百貨店「白木屋」の株式買い占めなどで、「乗っ取り屋」の実業家として名を馳せた横井英樹(よこい ひでき)さん。
社長を務めていたホテルニュージャパンの火災事件で服役し、出所後の1998年に亡くなりました。
田園調布にあった自宅と遺産は、現在どうなっているのでしょうか。
突然の死の原因と併せて確認します。
横井英樹のプロフィール
本名:横井英樹
生年月日:1913年7月1日
身長:不明
出身地:愛知県中島郡平和村(平和町を経て現・稲沢市)
最終学歴:高等小学校
横井英樹の自宅は田園調布にあり、美容家・鈴木その子が買取
横井さんの自宅は、東京都大田区の高級住宅街・田園調布にありました。
多くの富裕層が暮らしている一等地であり、この地で暮らすことは一種のステータスでもあります。
横井さんは、田園調布にある約500坪の土地に建てた豪邸で暮していました。
しかし1982年2月8日、東京都千代田区永田町のホテルニュージャパンで火災が発生。
死者33人、負傷者34人を出す大惨事となりました。
宿泊客の寝タバコが原因とはいえ、被害が拡大したのは、利益重視の運営方針による影響が大きかったそうです。
ホテルでは経費削減のため、スプリンクラーや防火扉を付けていませんでした。
さらに壊れた火災報知機は修理されておらず、人員削減のため宿直の従業員も少なかったことで、被害が広がったのです。
その上横井さんは、オーナーでありながら宿泊客の命を軽んじる発言をしたため、バッシングを浴びます。
どこまでも利益を優先させてきた横井さんは、禁錮3年の実刑判決を受けて服役。
刑期を終えて出所したものの、晩年は事業が以前ほどうまくいきませんでした。
亡くなる1か月前には、田園調布の豪邸を手放し、弟夫婦の家で暮らしていたそうです。
豪邸は美容家・鈴木その子さんが買い取っています。
鈴木さんは真っ白なお化粧で知られた「美白の女王」です。
写真週刊誌報道カメラマン時代の23年前、1996年7月のちょうど今頃、出所直後のホテルニュージャパン元社長、横井英樹を撮りました。田園調布の自宅前。おそらく出所後の横井の姿を報じた唯一の記事かと。横井没後、自宅跡地は「美白の女王」鈴木その子が購入し、美白御殿を建設途中で急逝しましたね。 pic.twitter.com/r7vbc1UIi5
— 神立尚紀 (@koudachinaoki) July 19, 2019
田園調布の土地を買い取り、自宅「美白御殿」を建設する計画を立てていました。
横井邸は取り壊され、鈴木さんの豪邸の建設がスタートします。
しかし建設中に、鈴木さんが68歳で肺炎により急逝。
結果的に建設は中止となり、再び土地は売却されたのです。
横井さんの豪邸の運命は、栄枯盛衰を絵に描いたように思えますね。
横井英樹の遺産は現在もある可能性が高い
横井さんは晩年に零落したとはいえ、膨大な遺産があったことは確かです。
「乗っ取り屋」として百貨店の株式を買い占めるなど、冷酷な手段で巨万の富を手に入れました。
正確な遺産額はわかっていませんが、彼がかわいがっていた叶姉妹の2人には100億円ほどの遺産を渡したとも言われています。
叶姉妹は優雅な生活を楽しんでいる様子ですから、100億円を存分に使ったのかもしれませんね。
パトロンとして叶姉妹に遺産を渡したことが事実とすれば、家族にも巨額の遺産が入った可能性があります。
まだまだ食うに困らない遺産が、現在も残っているのではないでしょうか。
孫のZeebraは遺産を寄付した可能性もあり
横井さんの孫で、ヒップホップDJのZeebra(ジブラ)さん。
Zeebraさん、青山にやっぱり来てくれましたね!😂#WREP https://t.co/kJwwPf86oA
— まなぶ (@123MBU) October 5, 2021
第二弾はVol.39「目の前にまち」から「カルチャーはまちを塗り替える」を紹介します!
ヒップホップの最先端を突き進む原点にして頂点の偉人Zeebraさんにインタビューに行きました! pic.twitter.com/Gpn64jnF3r
— 早稲田リンクス (@wasedalinks) October 6, 2021
『ZEEBRA自伝 HIP HOP LOVE』を執筆し、祖父についても、冷酷な面を含めて赤裸々につづりました。
祖父の重い罪を背負いながら、少しでも善行を積み重ねるつもりで生きてきたZeebraさん。
ただ祖父が遺してくれたお金を汚いお金だと考えて、複雑な気持ちに悩まされたこともあるのでしょう。
もしかすると、慈善団体などへ遺産を全額寄付した可能性もありそうですね。
横井英樹の死因は虚血性心疾患
横井さんは1993年、ホテルニュージャパン火災事件により、禁固3年の実刑判決を受けました。
1996年に出所すると、資産のほとんどを安値で売却されてしまいます。
結果的に残ったのは、ダイエー碑文谷店と池上のボウリング場だけでした。
晩年の日課は、両店を巡回することだったそうです。
1998年11月30日、いつものように両店を巡回していると、突然の体調不良から昏睡状態に陥ります。
そして午前11時42分に、虚血性心疾患により85年の生涯を終えたのです。
虚血性心疾患は、動脈硬化によって血流が悪くなり、心臓に血液が送り込まれなくなった結果起きる症状です。
原因には高血圧や喫煙、糖尿病などのほか、ストレスもあります。
横井さんは実刑を受け、大部分の財産を失ったことで、大きなストレスを抱えていたのでしょう。
人の命よりも利益を重視した結果、自身の命も縮めてしまったのかもしれません。
横井英樹の家系図。孫はZeebra、息子と娘の苦難。星由里子との関係とは
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