「ハイッ!」の決めポーズでお馴染みだったタレントの宮尾すすむさんは、2011年に亡くなりました。
息子の山口雅史(やまぐちまさし)さんも芸能界でタレントをしているようですが、2023年現在どうしているのでしょうか。
また、宮尾すすむさんのプロフィールについてや「笑っていいとも!」に出演の際のハプニングについても合わせて見ていきましょう。
宮尾すすむのプロフィール
本名:山口進(やまぐちすすむ)
生年月日:1934年(昭和9年)3月8日
死亡年月日:2011年(平成23年)7月12日
身長:176cm
出身地:満洲国新京
最終学歴:鹿児島県立阿久根高等学校卒業
所属事務所:エヌエムオフィス
宮尾すすむの息子・山口雅史の現在
宮尾すすむさんの長男である山口雅史さんは、1976年(昭和51)年に生まれました。
日本大学芸術学部在学中から3本も自主映画を制作するなど、意欲的に活動。
卒業後プロレスやゴルフの実況やレポーターなどを中心に活躍していたようです。
2011年9月に結婚した妻との年賀状を、2021年の正月にインスタにあげています。
ただ、山口雅史さんという名前を聞いても、ピンと来ない人が多いかもしれません。
「新日本プロレス」「全日本プロレス」「IGF」などのプロレス実況アナウンサーとしていたといいます。
しかしプロレス実況のアナウンサーとして思い浮かぶのは、古舘伊知郎(ふるたちいちろう)さん、辻よしなり(つじよしなり)さん、野上慎平(のがみしんぺい)さんあたりでしょうか。
メジャーな実況アナウンサーは、局アナ中心なのかもしれません。
その他には、山口さんが所属する事務所エヌエムオフィスのYouTubeチャンネルで、トークラジオを2019年ごろまでしていました。
山口雅史さんと元東スポ記者・高木圭介(たかぎけいすけ)さんが「実況解説ラジオ」として245回も上げています。
その中で、自分たちに仕事が来ないのはなぜなのかというトークを展開していました。
そこから推察すると、やはり芸能界での仕事はなかなか来ないということでしょう。
ところで所属事務所を見てみると、元々「宮尾すすむ事務所」だったことが判明。
会社概要には、代表者の名前が山口雅史さんになっていました。
つまり、芸能事務所の社長も兼任しているのですね。
宮尾すすむの死因
タレントの宮尾すすむさんがテレビに出るときは、いつも明るく元気に喋っていましたよね。
ですから1992年から大病を患い続けていたなんて、想像もつきませんでした。
1992年には顎下腺に腫瘍ができ、1994年には腸捻転を患いました。
腸捻転の手術が1日遅れていたたら、命が無かったと言われたほど酷かったようです。
さらに2007年5月に車を運転していたところ、失神。
前の車に衝突してしまい、急性硬膜下血腫だと診断されたといいます。
その後宮尾すすむさんは、芸能界での仕事を辞めていったそうです。
そして2011年6月半ばに末期の食道がんと診断され、なす術がないと医師に告げられました。
余命3ヶ月と言われましたが、1ヶ月経たないうちに肺炎で急逝。
宮尾すすむさんの息子・山口雅史さんは、食道がんであることを本人に知らせなかったそうです。
次にプロフィールの虚偽についてですが、宮尾すすむさんは1934年(昭和9年)生まれでした。
しかし昭和一桁生まれでは若々しくないという事務所の意向で、1941年(昭和16年)生まれだとサバ読み。
7歳も若く言うというのは、なかなか勇気が要りそうですよね。
事務所の考えなら、宮尾すすむさんに選択の余地はなかったでしょう。
自分の本当の生年が1934年(昭和9年)だと公表したのは、1994年のことでした。
それは宮尾すすむさんの愛妻が、47歳の若さで急死した後のこと。
自身も腸捻転で緊急入院をしたこともあり、いろいろ考えての決断だったのでしょう。
宮尾すすむのポーズやプロフィール
「突撃レポート」や「スタードッキリマル秘報告」のレポーターで、テレビを明るく盛り上げていた宮尾すすむさん。
独特のポーズは、どのようにして誕生したのか気になりますね。
それは、地方の生放送番組で突然出来上がったそうです。
タイムキーパーがうっかり残り時間を間違えてしまい、CMに移る時間が少し余ってしまいました。
その時に、宮尾すすむさんがとっさに出したのがあのポーズ。
授業の初めや話題の切り替え時にやる宮尾すすむポーズにじわじわウケてる生徒が数人いて嬉しい。 pic.twitter.com/64QcNqqNmX
— 三浦宏文 MIURA Hirofumi (@HirMiura) December 10, 2020
それ以来、番組に出る時はいつも「ハイッ!」と言いながら手をアゴに添えていくことになりました。
実は元々は、宮尾すすむさんのお母さんが写真撮影の際に使っていた決めポーズだったそうです。
息子の山口雅史さんも、幼い頃から宮尾すすむさんから直々に伝授。
かなり厳しく教えられたようで、何度も繰り返し練習させられたといいます。
宮尾すすむさんは、よく一緒に仕事をした沢田亜矢子(さわだあやこ)さんにも教え込んだそうです。
それも真面目な性格から、きちんと教えないといけないと思ってのことだったようです。
息子の仕事もきちんとチェックして、ダメ出しを行っていたといいます。
宮尾すすむに繋ぐ「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングでハプニング
フジテレビのお昼のバラエティ番組「笑っていいとも!」は、大人気でした。
あるとき番組前半で芸能人がゲスト出演していく「テレフォンショッキング」で、ハプニングが起こったのです。
それは1983年9月13日の放送で、当日ゲストのミミ萩原(はぎわら)さんが翌日のゲストを指名。
翌日のゲストに選ばれたのが宮尾すすむさんでした。
その時ちょうど新幹線に乗車していた宮尾さんと、当時は直接電話で話すことは不可能でした。
携帯電話が普及する前のことだったからです。
タモリさんは宮尾すすむさんと連絡を取ろうと、列車着信通話のオペレーターと電話で話した時に問題が発生。
オペレーターが、スタジオアルタの直通の電話番号をはっきりと復唱してしまったのです。
タモリさんが電話番号を伝える時には、コソコソと隠れて言っていたのでセーフ。
ただ、問題はその後の復唱にありました。
オペレーター側からすると、預かった電話番号を確認して言うのは当然のこと。
しかし電話はスピーカー通話になっていたので、最後の1つの番号を除き視聴者にバレてしまいました。
それからどんどんスタジオアルタに着信が鳴り、全部イタズラ電話だったのです。
司会のタモリさんは、その都度面白おかしく「イタズラするのはやめなさい!」と叱っていました。
宮尾すすむさんと電話が繋がったのは、次のコーナーに入ってしばらくしてからだったそうです。
今になれば笑える話ですが、当時は電話会社からフジテレビに苦情が入ったといいます。
最後の一桁だけ電話番号がわからなかったために、よそにまでイタズラ電話が殺到したようです。
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