東儀秀樹の家系図がすごい。父は会社員、姉は楽師。若い頃の闘病と経歴

雅楽器の神秘的な音色を生かしながら、現代楽器とのコラボレーションで新たな世界を構築してきた東儀秀樹(とうぎひでき)さん。

日本古来の芸能である雅楽を継承してきた東儀家と、その家系図に注目します。

父や姉はどんな方なのでしょう。

雅楽修業をしていた若い頃にがんを患い、不思議な体験をしたことや経歴もまとめました。

東儀秀樹のプロフィール

本名:東儀秀樹

生年月日:1959年10月12日

身長:177cm

出身地:東京都

最終学歴:國學院大學文学部第二部神道学科中退

所属事務所:矢島聰子事務所、ユニバーサルミュージック

東儀秀樹の家系図。始祖は始皇帝?

30代半ばまでは宮内庁式部職(しきぶしょく)楽部に所属する国家公務員だった東儀秀樹さん。

東儀家は、奈良時代から約1300年にわたり雅楽を世襲してきた楽家のひとつで、母方の家系です。

ご本人によると、現代は世襲制ではないものの、やはり楽家に生まれた男子は中学を卒業すると楽部の楽生科に進んで雅楽を学ぶケースが多いそう。

宮内庁の楽師になれるのは男性のみなので、母・東儀九十九(とうぎつくも)さんは会社員の男性に嫁いだということです。


母方の祖父は雅楽師でした。

東儀家の先祖は、渡来系氏族である秦氏の秦河勝(はた の かわかつ)といわれています。

聖徳太子のブレーンとして活躍した人物です。

東儀秀樹さんの話では、河勝は始皇帝の15代目の末裔とされ、その子が楽家として確立したとのこと。

実際に東儀家に残る江戸時代の家伝には、始祖は始皇帝と記されているそうです。

これが事実なら、家系図をさかのぼると始皇帝にいきつくことになりますね。

「信憑性はともかく」と断りながらも、遠祖が渡来人だったのは確かなようだと述べている東儀さん。

東儀家出自の著名人には、ヴァイオリン奏者で指揮者の東儀祐二さん、雅楽師で宮内庁首席楽長の東儀俊美さんらがいます。

2021現在、中学3年生になる息子の典親さんにも音楽の才能はしっかりと受け継がれているようですね。

東儀秀樹の父は商社マンだった

東儀秀樹さんの父は商社マンでした。

典型的なサラリーマンの家庭に育ったと回想していますが、ひとつだけ違っていたのは、父の仕事の関係で幼少期から海外生活が多かったこと。

1歳から7歳まではタイ、13歳から14歳はメキシコで過ごしています。

父がいろいろな国に行くたびにその国の民族衣装の人形を買ってきてくれたおかげで、東儀家には何十か国もの人形のコレクションがあるのだそう。

毎年のひな祭りには、お雛様と一緒に彼らもにぎやかに並ぶそうです。

楽部の楽生科に進むまでは正規の音楽教育を受けていなかった東儀秀樹さん。

ですが、海外生活で世界のさまざまな音楽に触れていただけでなく、家族全員が音楽好きで、とくに父がクラシックを好んでいたこともあって、あらゆるジャンルの音楽を吸収して育ちました。

小さい頃から雅楽だけを突き詰める楽師が多いなか、こうした素地が楽師としての成長を後押ししてくれたと自己分析しています。

また海外生活を経験したことで、日本人としての誇りや責任感も強く意識していたそうです。

姉・東儀雅美は龍笛の楽師

姉の東儀雅美さんは、同じく幼少期を海外で過ごしました。

大学を卒業すると、ロータリー財団奨学生として米国大学院に留学。

2015年の時点で株式会社・アルビオンの国際事業部に勤務していたことが確認できています。

雅美さんにはもうひとつ、雅楽師としての顔もあります。

元宮内庁楽師の芝祐靖さんに龍笛を学んだ彼女は、弟や母とともに国内外で日本文化の紹介に努めてきました。

雅楽という男性社会に女性が入っていくことについては、新たな伝統への挑戦と受けとめているそうです。

平安貴族は雅楽をよく家族で演奏していましたが、現代でそれができるのは稀なケースといえるでしょう。

家族の和や絆、空気感も表現のひとつとして大事、と語る東儀さん。

節目の年には初心に帰り、母や姉との演奏会を開催していきたいそうです。

2021年10月12日の「東儀秀樹25周年記念コンサート」には母、姉、息子と共演しています。

東儀秀樹、若い頃のがん闘病と不思議な体験

宮内庁の楽生科に入ったのは高校を卒業した18歳の時でした。

楽家なのに帰国子女、しかも先輩はみな年下。

「18歳のスタートでは遅い」「帰国子女に雅楽がわかるわけがない」などと風当たりは強かったようです。

まだ宮内庁の楽生だった1984年、膝のがんを患い、がんが消えるという不思議な体験をしています。

左膝に痛みが走り、入院した東儀さん。

医師と母の会話を盗み聞きしてみると、医師は「本人には言えませんが」と前置きして、がんの可能性を伝えていました。

この時、まだ25歳。

あとどのくらい生きられるかを医師や看護師に訊ねても、彼らは顔をこわばらせて否定するだけ。

実際は足を切断する延命処置も検討されていたそうです。

「どうせ死ぬなら、めいっぱい生きてやる」と気持ちを切り替えた東儀さん。

それからは曲が浮かぶと五線紙に書き、絵が描きたくなるとスケッチブックを広げ、見舞い客との時間も心ゆくまで楽しんでいました。

すると、医者が首をかしげる奇跡が起こります。


なんと、がんの可能性を示す数値が下がり、がんが消滅したのです。

数年後に再発した際も、幹部の切除をすすめる医師に対して「ようすを見させてください」と返答。

そして、がんは再び消えました。

文字通り「病は気から」を体現してみせた、信じられないエピソードですね。

東儀秀樹の経歴

東儀秀樹さんは成蹊高校卒業後の1986年に宮内庁式部職楽部の楽生科に進みました。

國學院大學の文学部二部神道学科で学ぶかたわら、楽師としてスタートをきります。

在籍中は篳篥(ひちりき)を中心に、琵琶、歌、舞、チェロなどを担当し、宮中儀式や皇居で開かれる雅楽演奏会に出演。

楽師として活動する一方で、1996年に『東儀秀樹』をリリース。

同年に宮内庁を退職し、フリーランスとして活動をはじめました。

2000年、『TOGISM2』で日本レコード大賞企画賞を受賞。

2002年、蜷川幸雄さん演出による『オイディプス王』で舞台音楽を担当、読売演劇大賞優秀スタッフ賞を受賞。

2004年、文化庁より芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。

また俳優としても活動しており、2008年の大河ドラマ『篤姫』では孝明天皇役を演じています。

2012年3月には全米同時発売の15周年記念アルバム『TOGI』をリリース。

2015年6月には『東儀家の子育て』を出版。

2019年には古澤巌さん、cobaさんとのユニットTFC55が6年目となり、全国ツアーを開催。

11月にはハワイ公演も行っています。


名古屋音楽大学、大正大学、京都嵯峨芸術大学などの客員教授も務めていました。

国家公務員として一生安泰といわれる職場を飛びだして、独自のフィールドを切り拓いてきた東儀秀樹さん。

由緒正しい東儀家にあって、型破りな音楽人生はまだまだ続きます。

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