2021年公開の映画『燃えよ剣』の主人公として注目された土方歳三(ひじかた としぞう)。
イケメンの新選組副長として根強い人気を誇っていますね。
当時から多くの女性の心をつかんでいたようですが、妻と子供はいたのでしょうか。
また婚約者だった琴という女性と、なぜ結婚しなかったのか確認します。
併せて「モテてモテて困る」という気持ちを込めた手紙についても見ていきます。
土方歳三のプロフィール
別名:義豊、隼人
生年月日:天保6年5月5日(1835年5月31日)
死没:明治2年5月11日(1869年6月20日)
身長:推定167cm前後
出身地:武州武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)
土方歳三に妻はおらず生涯独身、子供は消息不明
土方の妻と子供について調べたことがある人は多いでしょう。
イケメンのモテ男でしたから、絶世の美女を妻にしていたとしても不思議ではありませんね。
#ひから始まる人といえば
土方歳三 本人が周知のイケメンだからへたな人はキャスティングできないよね。母は子供の頃に見た「新撰組始末記」の戸浦六宏さんが印象に残ってるそうです。私は「新撰組!」の山本耕史さんかなあ。奇しくもどちらもNHK作品。 pic.twitter.com/NLm4Y9eXCs— おケイ (@ks25776805) October 27, 2021
しかし意外にも、土方に妻はいませんでした。
花街の女性と浮名を流したものの、結婚に至った女性は1人もいなかったとされています。
ただ女性遊びが派手だったため、17歳のときには奉公していた呉服屋の女中を孕ませてしまったという説もありました。
親族に反対された結果、相手の家にお金を渡して縁を切ったそうです。
もしこの話が本当であれば、土方には子供がいたことになります。
しかし妊娠したという女性と子供については一切資料がなく、消息は不明です。
多くの女性と節操なく関係を持っていた土方ですから、どこかに隠し子がいたとしても不思議ではありません。
妻子はいないとされてきたものの、もしかすると直系の子孫が隠れているのかもしれませんね。
ちなみにレーサーの番場琢さんが、かつて「曾祖父が土方」と語ったことがありました。
真偽は不明ですが、番場さんは土方の隠し子の子孫だった可能性がありそうですね。
土方歳三の婚約者は琴
妻がいなかった土方ですが、かつて婚約者がいました。
三味線屋の美しい看板娘だった、琴という女性です。
土方歳三には、琴という許嫁がいたそうな。結局土方が京都に出たときに破局して、その後琴の行方は不明。
土方は京都で大変モテたので、置屋の遊女たちにも街の情報をスパイさせていたという都市伝説まである。…もし幾松が小五郎を追いかけたように、琴が何としても側にいたくて上洛したとしたら…
— 狐野トシノリ (@foxworks_) August 17, 2018
土方が上洛したため2人が結ばれることはありませんでした。
琴はかなり美しい女性だったというだけでなく、三味線の調律と演奏の腕前は一流だったそうです。
美貌とスキルを兼ね備えた彼女に、土方も夢中になっていたに違いありません。
兄の紹介で挙式寸前まで行くも夢を優先
2人を引き合わせたのは、土方の兄だった為次郎だそうです。
為次郎は浄瑠璃好きの風流人だったため、三味線屋の常連だったといいます。
土方も結婚に乗り気で、琴との結婚を楽しみにしていたようでした。
しかし武士を夢見ていた彼は、やがて上洛して、新選組の副長として活躍することになります。
挙式直前、「一事業を遂げ、名を成したい。しばらくは自由の身にしてくれ」と言った土方。
兄弟たちは彼の気持ちを尊重し、琴を許嫁とすることで、上洛を認めました。
しかし土方は新選組の副長となり、多忙な日々を送るようになります。
土方歳三は許嫁と結婚せず独身
新選組の副長として日々の任務をこなし、暇があれば女遊びに興じた土方。
結果的に琴と結婚することはなかったのです。
ただ一度だけ、故郷に戻ったときに琴と再会しています。
かつて結婚を約束した相手を前に、土方もかつての想いがよみがえり、切ない気持ちになったことでしょう。
短い時間を2人で過ごした後、土方は再び上洛します。
琴は去ってゆく彼の背中に向かって、「お身体にお気を付けて」と言葉を掛けました。
これが2人の今生の別れとなったのです。
その後の琴の消息は不明です。
三味線屋の看板娘ですから、結婚を申し込む男性は後を絶たなかったはず。
箱館戦争で戦死した土方に思いを馳せ、失意の内に亡くなったとすれば、あまりに悲しい生涯です。
すてきな男性と結婚して、幸せに暮らしたと信じたいですね。
土方歳三の「モテる手紙」自慢
土方の「モテる手紙」として知られている手紙が残っています。
彼は「鬼の副長」として恐れられるようになってからも、女性からは非常にモテていました。
自身もモテっぷりを自慢したかったようで、わざわざ自分宛ての恋文をたくさん詰めて、故郷に送ったこともあります。
あるとき土方は、親戚に宛てた手紙の追伸に、戯れ歌を書きました。
このときに詠んだ歌が、「報国の 心を忘るる 婦人かな」
「モテてモテて、国に奉仕する気持ちを忘れそうだ」という意味合いです。
今日は #恋文の日 だったんですね!#土方歳三 は芸者たちにもらったラブレターを「婦人恋文」という冊子にまとめて、親戚に送り自慢したそうですよ!こんな俳句を添えて… ( #やばい日本史 より)
報国の 心を忘るる 婦人かな
(国のための 心を忘れちゃいそうで困るぜ 女子たちのせいで) pic.twitter.com/mDWllcW4Ui— ダイヤモンド社@秋の夜長は読書📚 (@diamond_sns) May 23, 2019
しかも手紙の中には、自分を好きな女性たちの名前をずらりと書き記していました。
かなりのモテ男であると同時に、茶目っ気のある人だったことがうかがえます。
土方は女性を虜にする甘いマスクとかわいらしさを兼ね備えた、幕末のアイドルだったと言えますね。
土方歳三の子孫と家系図。六花亭のデザイナー&レーサー&めぐみ。似てる芸能人は?
土方歳三の生存説まとめ。正体は荒木飛呂彦?ロシアの高官?死因と最後について
コメント