新選組の副長として、局長の近藤勇を支えて活躍した土方歳三(ひじかた としぞう)。
1869年に34歳で亡くなったとされてきましたが、今でも生存説が飛び交っています。
実は漫画家の荒木飛呂彦さんと同一人物という都市伝説、ロシアで生きていたという説をチェック。
死因と最後の様子を確認し、生存説があり得るのか考えてみましょう。
土方歳三のプロフィール
別名:義豊、隼人
生年月日:天保6年5月5日(1835年5月31日)
死没:明治2年5月11日(1869年6月20日)
身長:推定167cm前後
出身地:武州武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)
土方歳三の生存説1:漫画家の荒木飛呂彦として活躍
通説では土方は、函館戦争で銃弾を受けたとされてきました。
しかし先陣を切っていたわけではなく、率いていた隊の後方にいたため、銃弾は当たらなかった可能性もあるそうです。
さらに遺体も見つかっていないため、生き延びていたという説が生じたようですね。
土方の生存説の1つは、漫画家の荒木飛呂彦さんと同一人物というものです。
大ヒット漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の作者ですが、彼に関するさまざまな都市伝説が生まれています。
荒木さんは若々しくハンサムなため、「不老不死説」や「吸血鬼説」までささやかれてきました。
年表で1980年代から2020年代までの顔写真を確認すると、まったく老けず、むしろ若返って見えるためです。
1960年生まれで2023年には63歳を迎えるものの、容姿がまったく変わらないのは驚きですね。
さらにレオナルド・ダヴィンチの代表作『モナ・リザ』のモデルという説もあるほど。
確かにモナ・リザと荒木さんの顔は、骨格とやや中央寄りのパーツが似ているかもしれませんね。
女「これが おそ松、こっちがカラ松、これが一松」
男「全部同じじゃん」
女「てめえ、表出ろ」男「これがモナリザ、こっちが土方歳三、これが昔の荒木飛呂彦、こっちは最近の荒木飛呂彦」
女「全部同じじゃん…」
男「そうなんだよ…」 pic.twitter.com/liixhNmBG9— かがみんのストーカー (@dokodemobaka) May 26, 2016
16世紀から老けずに生き続けていることはあり得ませんが、妙に納得できてしまうのも事実です。
そんな荒木さんにまつわる都市伝説の1つが、土方と同一人物であるというもの。
あり得ない話ですが、確かに2人の顔や髪型はどことなく似ています。
#完全に一致では無いのだが何となく似てる
こんなん荒木飛呂彦と土方歳三一択 pic.twitter.com/lmQkNvwXpr— 海音 くじら🐋 (@Umine_Kujira) July 27, 2018
ネット上で確認できる荒木さんの年表は、最初が土方の写真から始まっていますが、見事に本人と同化していますね。
荒木飛呂彦先生の容姿年代表画像を集めてみて石仮面使ってるかの如くの老けなさに笑ってるんだけど、どの画像も土方歳三から始まってるのに気がついて更に爆笑してる。 pic.twitter.com/mUHOxHI9eS
— 無双竜機ボルグレス・バーズ (@7Boruguresu8000) February 2, 2021
2人には血縁関係はないものの、これほど似ていると「何らかの関係がある」と考えてしまうのも無理はありません。
同一人物説は一種のネタですが、もしかすると荒木さんは、本当に土方の生まれ変わりなのかもしれませんね。
土方歳三の生存説2:ロシアで生きていた
土方の生存説で最も有名なのは、ロシアで生きていたというもの。
近年ロシアの歴史資料の中に、土方らしき男性の名前が見つかったそうです。
資料によると土方は高官としてロシアの政治に関わっていたとのこと。
函館の五稜郭で政府に敗北したのち、ロシアの協力を得て明治政府を倒そうとしたのであれば、辻褄は合います。
日露戦争でロシア側として日本と戦った可能性はありそうですね。
少なくとも荒木さんと同一人物という説に比べれば、十分に信憑性はあります。
ロシアでの生存説があるからこそ、そこから荒木さん説などの突拍子もない説につながっていったのでしょう。
死因は銃弾による失血死。最後は函館戦争で一本木関門を守備
土方は明治2(1869)年5月11日、函館戦争で戦死したとされてきました。
戊辰戦争で政府側に敗れた新選組。
局長・近藤勇が処刑され、隊士たちは多くが戦死してしまいます。
歴戦を生き抜いた土方は、幕臣・榎本武揚と合流し、蝦夷地へ渡りました。
榎本率いる旧幕府軍は、函館の五稜郭に立てこもり、明治新政府に対抗する独立政府「蝦夷共和国」の設立を計画。
有名な新撰組の副長で、実戦経験も豊富な土方は、明治新政府と戦うべく先頭に立つことになりました。
函館戦争が始まると、土方は高い手腕を発揮して活躍。
しかし最後に守備していた関所「一本木関門」で、腹部に流れ弾を受けてしまうのです。
新撰組隊士の大野右仲が駆けつけたときには、絶命していたとのことでした。
乗馬姿のまま亡くなったとも、落馬して亡くなったとも言われています。
前者の亡くなり方は、土方を美化する伝説の1つにも思えますね。
いずれにせよ、被弾したことによる失血死が死因とされています。
では遺体はどこへ行ってしまったのでしょうか。
もしかすると、土方の首に報酬がかかっており、遺体を敵方に奪われないよう新選組の隊士が隠した可能性がありそうですね。
また五稜郭から、ある人物が遺体を引き取りに向かったとされています。
蝦夷共和国政府の忍者だった小芝長之助です。
重要人物だった土方の死を伏せるため、遺体を隠そうとやって来たのかもしれません。
あるいは明治新政府と協調したかった蝦夷共和国政府にとって、血気盛んな土方は邪魔だった可能性もあります。
もしかすると小芝は、土方暗殺に関与していたとも考えられるのです。
真相は定かではありませんが、土方の存在自体が一種の伝説となっているのでしょう。
今後も土方に関するさまざまな憶測が飛び交い、新説も登場するかもしれませんね。
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