新選組の副長として有名な土方歳三(ひじかた としぞう)。
2021年には司馬遼太郎の小説が原作の映画『燃えよ剣』が公開され、主人公の土方を岡田准一さんが演じて話題となりましたね。
今回はあまり知られていない土方の家紋と生家、生まれた土地である日野について紹介します。
最後に生い立ちを見ていき、土方の幼少期に迫りましょう。
土方歳三のプロフィール
別名:義豊、隼人
生年月日:天保6年5月5日(1835年5月31日)
死没:明治2年5月11日(1869年6月20日)
身長:推定167cm前後
出身地:武州武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)
土方歳三の家紋は左三つ巴
戦国武将が好きな人は、有名武将の家紋を調べたことがあるのではないでしょうか。
ただ幕末の志士となると、家紋の旗印を使っていたわけではありませんね。
幕末のドラマなどでも、新選組のメンバーの家紋を気にしたことがある人はあまりいないかもしれません。
そのため認知度は低いようですが、土方の家紋は立派なデザインで人気を集めています。
土方家の家紋は「左三つ巴」。
巴が渦を巻いている文様で、「火災除け」の意味が込められています。
巴は腕を保護する武具を意味する形で、世界各国で似たデザインの文様が確認されてきました。
日本では縄文時代から存在し、文様としては平安時代から戦国時代にかけて使われるようになります。
江戸時代には300以上の家が使用するほど人気が高まりました。
右一つ巴や左渦巻き巴などさまざまなタイプがありますが、人気の文様のため、あまり珍しくはありません。
ただ土方の文様だと思うだけで、非常に洗練された、かっこ良いデザインに見えてきますね。
一夢庵大ふへん堂、2月15日、維新伝心2に出店します。写真は幕末家紋のミニようかんセット。お味はほうじ茶(龍馬、高杉、土方)と芋ようかん(桂、沖田)の2種類。5個入1000円。 pic.twitter.com/0XAjqYwsdg
— 京都嵐山一夢庵 大ふへん堂 本社 (@kyoto1muan) February 11, 2015
羊羹のパッケージデザインにも使われているほか、新選組のメンバーの家紋を縫い込んだマフラーにも刺繍されています。
ただし土方の家紋は人気で、マフラーはすぐに売り切れてしまったそうです。
人気の家紋入り正絹マフラー入荷いたしました。並べたとたんに土方さんの家紋は売り切れてしまいました。西陣で絹の着物生地を使って手作りされたもので一点物です❗タブレット入れにもなるご朱印帳入れもあります。 pic.twitter.com/Y5cX0dFWi5
— 新選組屯所旧前川邸 (@kyumaekawatei) November 15, 2015
土方家の家紋が人々を惹きつけ続けていることがうかがえますね。
土方歳三の生家は生まれた土地である日野の資料館に
土方ファンであれば、「歳三の生家を訪れたい」と考える人も多いはず。
土方の生家は、東京都日野市の「土方歳三資料館」として一般に公開されています。
土方さん がトレンドにあったので、俺の土方さん写真を放出する。
土方歳三の生家と、土方歳三ビール&饅頭\(^o^)/ pic.twitter.com/qWEZ89DTeO
— いさぽん🍚\(^o^)/🍚 (@isao_pg) April 30, 2020
館長は6代目の子孫である土方愛さんで、運営と資料整理に従事しつつ、新選組関連のイベントにも参加してきました。
生家の正門からすぐのところに庭があり、右側に土方の胸像があります。
そして
神の生家へ
土方歳三資料館土方先生の愛刀 和泉守兼定を拝見いたしました。
感激!五月十二日
ひの新選組まつりに
出陣いたす!時が来たので話そう
我が先祖は幕臣
幕府軍として箱館戦争に参加しているのじゃ!お土産に誠の饅頭買った✌️ pic.twitter.com/7vhW5dYG8X
— 弾正 (@JaegerDanjo) May 2, 2019
左側を見ると、土方自身が植えたとされる矢竹の一群が目に入ります。
矢竹は弓の矢の原料であることから、農家出身ながら武士に憧れを抱いていた彼の熱い志がうかがえますね。
展示品は直筆書簡や句集、池田屋事件で使った鎖帷子などの貴重資料ばかりです。
土方家の家伝薬「石田散薬」の史料もあり、土方ファンであれば時間を忘れて展示を楽しめるに違いありません。
大人500円、小中学生300円の安さで、貴重な展示品の鑑賞やグッズ購入を楽しめるお得な歴史スポットです。
上質なサービス内容から、ファンの期待に応えようとする子孫の心意気がうかがえますね。
土方歳三の生い立ち。農民ながら武士に憧れる熱い少年
土方は天保6年5月5日(1835年5月31日)、武蔵野国多摩郡(現在の東京都日野市)の農家に生まれました。
10人兄弟の末っ子で、幼少期に両親を亡くしています。
次男が家督を継いだため、次男の妻である女性から育てられました。
農民ながら武士に憧れていた土方は、裸で家の柱を使い、相撲の稽古に励むほど豪胆な性格だったそうです。
イバラのように場所を選ばず、あらゆるところを突っつきまわすため、「バラガキ」と呼ばれていました。
乱暴で無鉄砲な少年だったということですね。
武士を夢見ていた土方は、実家で作っていた「石田散薬」の行商をしつつ、道場で剣術修行に励みました。
剣術の試合ではあまり成績が良くなかったそうですが、なぜか実戦では強かったとのこと。
乱暴者だったため、砂で相手の目をつぶしたり、相手を羽交い締めにするなど荒っぽい戦い方が得意だったといいます。
道場では戦い方が型破りすぎて、成績が悪かったのかもしれませんね。
25歳で天然理心流の道場「試衛館」で、新選組局長となる近藤勇と出会いました。
2人は試衛館の同志と共に、将軍を守る「浪士組」を結成。
これが後年に新選組となるのです。
見事に武士となった土方は副長として近藤を支え、「鬼の副長」と恐れられる存在となりました。
幼少期から熱い志を持ち、夢を実現させた土方の生き様はドラマチックで、多くの人を惹きつけ続けているのです。
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