津村節子の現在。子供と家族、自宅について。芥川賞受賞作はボツにされた小説

『流星雨』や『智恵子飛ぶ』などの小説を書き、女流文学賞をはじめ数々の賞に輝いてきた津村節子(つむら せつこ)さん。

2023年で95歳を迎えますが、現在もお元気で過ごしているのでしょうか。

夫の小説家・吉村昭さんに先立たれて15年が経った今の、子供、家族、自宅の情報を確認します。

併せて、一度はボツにされた作品『玩具』で芥川賞を受賞するまでの経緯について紹介します。

津村節子のプロフィール

本名:吉村節子

生年月日:1928年6月5日

身長:不明

出身地:福井市佐佳枝中町(現在の順化1丁目)

最終学歴:学習院女子短期大学文学科国文学専攻

津村節子は現在も現役小説家

小説『玩具』で芥川賞を受賞してから、半世紀以上も小説を書き続けてきた津村さん。

90代を超えてもなお、現役の小説家として活動し、お元気に過ごしていることが分かりました。


また東京都荒川区にある「吉村昭記念文学館」では名誉館長を務め、亡き夫の業績を後世に伝えるべく活動しています。

2006年に夫が亡くなってからは、毎朝彼の遺影にコーヒーを供えてきました。

90代の現役小説家が欠かさず行っている習慣は他にもあります。

骨を形成するための注射を打つこと、また週1回はヨガに通い身体を動かすこと。

健康的な習慣のおかげか、驚くべきことに白髪も生えて来ず、若々しい身体をキープできているそうです。

驚異的なバイタリティを武器に、長く活躍を続けてきたのですね。

津村節子の子供は息子と娘

津村さんには息子さんと娘さんがそれぞれいます。

2023年には、67歳の長男・司さんが「父 吉村昭を語る」のテーマで講演をしました。

偉大な父の素顔を明かし、業績と共に人となりを伝えていく取り組みに尽力しているようですね。

下積み時代を送っていた頃の夫婦は、吉村さんの給料が15,000円、同人雑誌で2人が稼いだ額が3,000円でした。

司さんのミルクを買うだけで、月末には食費さえなくなっていたといいます。

夫婦は苦しい時期にも、小説への情熱を捨てることなく、必死に生き続けていたのですね。

津村節子の家族は夫の吉村昭と子供たち

津村さんは学習院女子短大時代、文芸部の活動で知り合った学習院大学の吉村さんと結婚。

15年間、一緒に同人雑誌を販売し続けました。

一緒に小説を書き続けたものの、しばらくは窮乏生活を送っていたそうです。

子供たちにも恵まれたものの、食費にも事欠く生活の中、苦労は絶えなかったはず。

それでもおしどり夫婦のきずなは切れず、徐々に2人そろって文壇での地位を確立していくのです。

吉村さんは『破獄』や『冷い夏、熱い夏』などの作品が高く評価され、文壇の重鎮となっていきました。

しかし2005年に舌がんと膵臓がんが見つかります。

闘病しながら短編小説の推敲を続けたものの、新作の執筆はできませんでした。

2006年7月30日の夜、自宅で療養中、看病していた娘さんに向かって「死ぬよ」と言葉を掛けました。

そして自ら点滴の管を抜き、静脈に埋め込まれたカテーテルポートも引き抜いて、数時間後に息を引き取ったそうです。


自ら79年の生涯に終止符を打ったのは、これ以上の延命は無意味だと判断したためでしょう。

管を埋め込まれ、仕事も生活もままならない中、苦しみを長引かせるだけの治療を終えたかったに違いありません。

津村さんや息子さん、娘さんは、彼の最後の決断を尊重したのですね。

津村節子の自宅は東京都三鷹市

津村さんは吉村さんと結婚後、なるべく安いアパートを探し、転居をくり返したそうです。

あるときは小田急線の急行が停まらないほどの小駅で降り、畠と小川がある人里離れたアパートに引っ越しました。

しかし夫婦で小説を書き続け、見事に大成してからは、東京都三鷹市の立派な家で暮らせるようになったのです。

吉村さんが最期を迎えた自宅も、三鷹市の家でした。

立派な家の中で息を引き取ったとき、長い下積み時代を回顧していたのかもしれません。

津村節子は『玩具』で芥川賞を受賞

津村さんは学習院女子短大時代、少女小説を出版社に持ち込んだ結果、原稿依頼が来るようになります。

講談社の「少女クラブ」からの依頼で書いた、『ひまわりさん』は大ヒットしました。

津村さんは「小説家の運不運は、編集者運による」と語っています。

出版社に作品を持ち込んでも、相手にしてくれない編集者と、依頼をしてくれる編集者がいるのです。


持ち込みの経験から、編集者次第で小説家の運命が決まることを知ったのですね。

小説『玩具』も、新潮社の「新潮」ではボツになりました。

作品は、夫から疎外されていることを感じ寂しさに耐える妻の姿から、奇妙な夫婦の生活を描いたものでした。

苦しい生活を送っていた当時の津村さんの、夫婦生活に対する不満が感じられるような、重苦しい雰囲気の話です。

新潮社では「暗い内容でウケない」と判断したのかもしれません。

しかし同社の編集者・田邉さんが、文藝春秋の「文学界」では採用される可能性があることを伝えてくれたそうです。

実際に持ち込んだ結果、同作は芥川賞を受賞しました。

編集者との巡り合わせによって小説家の運命が変わるのは、本当なのですね。

田邉さんはわざわざライバル社を紹介して、津村さんの運命を変えてくれたのです。

損得ではなく、相手の気持ちを重視してくれるすばらしい編集者ですね。


現代でもどこかに、田邉さんのような思いやり深い編集者がいるのでしょうか。

見当たらない気がしますが、未来の津村さんを発掘してくれる編集者がいて欲しいものですね。

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