細やかな調査に基づいて、歴史小説やノンフィクション作品を執筆した吉村昭(よしむら あきら)さん。
『戦艦武蔵』や『関東大震災』などで菊池寛賞を受賞し、日本を代表する作家の1人となりました。
2023年現在、67歳になる息子さんがいるようですから、どんな人なのか確認しましょう。
また妻の芥川賞作家・津村節子さんとのエピソード、自宅の書斎の整備、最期の様子を紹介します。
併せて、よく比較される歴史小説家の司馬遼太郎さんとの違いを確認します。
吉村昭のプロフィール
本名:吉村昭
生年月日:1927年5月1日
死没:2006年7月31日
身長:不明
出身地:東京府北豊島郡日暮里町(現在の東京都荒川区東日暮里)
最終学歴:学習院大学中退
吉村昭の息子は吉村司
吉村さんには息子と娘がおり、いずれも一般の方でした。
長男の吉村司さんは、2023年は67歳になります。
地元の三鷹市で主催された講演会で、「父 吉村昭を振り返る」をテーマに講師を務めました。
#三鷹市 主催講演会で作家 #吉村昭 さん #津村節子 さんの長男 #吉村司 さんの「父・吉村昭を振り返る」を #三鷹ネットワーク大学 で聴講しました。司さんは #太宰治賞 受賞作『星への旅』所収『少女架刑』の光景描写が秀逸と語ります。
吉村昭さんは家族に作品を褒められるのが一番嬉しかったそうです pic.twitter.com/DctY9FMXXi— 清原慶子Official (@kiyoharakeiko) February 22, 2021
2006年に亡くなった父について、業績だけでなく、家庭人としての人柄をも語り継ごうとしているようです。
父からは小学校時代に作文を褒められ、非常に嬉しかったといいます。
優しく、家族思いだった吉村さんは「小説家の前に、一家の主として家族を守る」意志があったそうです。
司さんにとっては偉大な小説家である前に、思いやり深い父だったのですね。
そんな人間らしい姿をも語り継ぐことで、立派な父の姿を多くの人に知って欲しいと考えているのでしょう。
吉村さんは家族に作品を褒められることが、最も嬉しい様子だったそうです。
司さんは純文学のすばらしさに目覚めたきっかけである、父の代表作『少女架刑』の光景描写を絶賛。
さらに史実を細かく調査してつづった記録文学『破獄』を評価し、ノンフィクション分野への貢献についても称賛しました。
吉村さんと司さんは互いを思いやり、肯定的な言葉を投げ掛け合いながら暮らしていたことがうかがえますね。
司さんは定期的に全国各地で、父に関する講演を行っています。
吉村作品に惹かれたなら、一度は講演会に足を運んで、作者の人となりにまで思いを馳せてみたいところですね。
吉村昭の妻は芥川賞作家の津村節子
吉村さんの妻は、小説家の津村節子さんです。
『玩具』で芥川賞、『流星雨』で女流文学賞に輝くなど、受賞歴が数多くある一流小説家ですね。
大好きな作家、津村節子さん。❤️
女流作家が誕生するまでの葛藤、
自伝的長編。まだ途中ですが、
読みやすくて夢中で読んでいます😊 pic.twitter.com/g2HJzmuA4F— マミー( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )♡ (@Vl4129BasErFgHk) August 21, 2020
95歳となる2023年現在も、現役で活動を続けています。
学習院女子短大で国文学を専攻し、校友雑誌「はまゆふ」の創刊者・編集長として活動しました。
また学習院大学の文芸雑誌「赤繪」でも作品を掲載。
短大卒業と同時に「赤繪」の編集長だった吉村さんと結婚しています。
2人は学生時代から小説を書きながら、交際をしていたのですね。
結婚後も夫婦で同人雑誌を発売し、貧しい生活を送りながら共に文学の道を志しました。
津村さんは長い貧困生活の中で子育てに励んだのです。
普通なら小説家の道を諦めそうになると思われますが、津村さんは1960年代に、見事直木賞や芥川賞の候補となりました。
そして1965年に芥川賞作家となって、小説家として活躍するのです。
同時期に吉村さんも活躍し始め、『石の微笑』が芥川賞候補となりましたが、結果的に妻が受賞しました。
吉村さんは芥川賞を逃したものの、見事に受賞した妻の実力を認めて、夫婦で喜びを分かち合ったのではないでしょうか。
長年苦楽を共にした2人ですが、2006年に吉村さんはがんで死去。
津村さんはその後も『異郷』で川端康成文学賞、夫の最期をつづった『紅梅』で菊池寛賞を受賞するなど活躍を続けます。
さらに東京都荒川区の「吉村昭記念文学館」で名誉館長に就任し、夫の業績を伝え続けてきました。
@荒川区のどっか
なんと吉村昭記念文学館がある!
抹茶カフェも併設されてるッwww
なんたる不覚ッ!!
僕ちゃんは司馬遼太郎より
だんぜん吉村昭です。#生麦事件 pic.twitter.com/iLUP0L62lb— 日暮里くん (@nippori_am) April 24, 2020
吉村さんは天国から、今なお自分に思いを馳せてくれる妻や息子に感謝しているに違いありませんね。
吉村昭の自宅の書斎を整備する事業は中止に
吉村さんは東京都三鷹市にある自宅の書斎で、多くの名作を生み出しました。
2017年、三鷹市は自宅敷地内にある約30平方メートルの書斎を、都立井の頭恩賜公園内に移築することを決定します。
同じく三鷹氏ゆかりの小説家だった太宰治の文学館と共に「太宰治文学館・吉村昭書斎」として公園内に整備することにしたのです。
2021年に着工予定でしたが、公園には野鳥をはじめ野生生物が多くいるため、反対の声が寄せられました。
三鷹市は検討の末、井の頭恩賜公園内における文学館と書斎の整備を中止することに決めます。
2023年現在、司さんを含む委員で話し合いながら、書斎の設置場所を再検討中とのことでした。
吉村さんの息吹を感じられる書斎を保存するために、最適な場所を見つけられることを願っています。
吉村昭の最期、自ら点滴の管を引き抜く
吉村さんは2005年に舌がんと膵臓がんが見つかり、翌年に膵臓を全摘出しました。
手術後も完全な復帰はできず、三鷹市の自宅で療養を続けます。
2006年7月30日の夕食後、吉村さんは突然、点滴の管を外しました。
妻の節子さんは驚き、看病していた娘さんと一緒にクリニックへ連絡。
娘さんが管をもう一度つなぐと、吉村さんは首の下に埋め込まれていたカテーテルを引き抜きました。
そのとき「もう、死ぬ」と告げたそうです。
看護師が駆けつけて、カテーテルを元に戻そうとしますが、吉村さんはその手を振り払いました。
延命を望まない強い意志をくみ取った看護師は、やむなく手を引いたそうです。
翌日の午前2時38分に、吉村さんは79年の生涯を終えました。
何としてでももう一度小説を書きたかったものの、再起不能となったことを悟り、自ら生涯を終えたのでしょう。
未亡人の津村さんは、「病に苦しんだ末に、吉村は自決した」と語ったそうです。
『紅梅』津村節子2011(文藝春秋)読了
「夫」つまり吉村昭の癌闘病とカテーテルポートを自ら引きむしって遂げる壮絶な最期まで。看護する妻の視点から綴った私小説。
一貫して、読者の同情を拒否するような抑制の効きまくった文体。なのに、悲しさや愛しさや尊敬、痛みが、ひしひしと伝わってくる。 pic.twitter.com/rDS05ewHJ2
— なでぃ (@my_nadi) February 22, 2020
確かに吉村さんの行為は一種の自決に思えますね。
延命や安楽死、尊厳死に関する議論に正解はありません。
吉村さんの行為についても賛否両論があるはずです。
しかしあの場にいれば、誰もが彼の意思を尊重し、看護師や家族のように延命から手を引いたのではないでしょうか。
いつか自分も想像を絶する痛みに耐えながら、不治の病と闘うことになる可能性を考慮し、最期について考えておきたいですね。
吉村昭と司馬遼太郎の違いは人気度
吉村さんとよく比較される歴史小説家が、司馬遼太郎さんです。
#読了
『#海の史劇』#吉村昭
日露戦争、日本海海戦で壊滅したバルチック艦隊の航跡
すでにブリボイの『ツシマ』、司馬遼太郎の『坂の上の雲』という名著がありながら(しかも『坂の上〜』と同時期!)、その一部始終を冷徹かつ力強い筆致で書き上げたのは「記録文学の大家」の面目躍如 pic.twitter.com/rpRMaV8aXl— toku the ブッチャーⅡ (@G9kxm1KEl4c62Ea) November 30, 2021
『坂の上の雲』や『竜馬がゆく』などで知られる歴史小説界のレジェンドでした。
2人は綿密な調査や取材を行った上で執筆していた共通点があります。
ただ人気度に関しては司馬さんの方が圧倒的に上です。
愛媛県松山市に「坂の上の雲ミュージアム」という、1作品のためだけのミュージアムすらあるほど、人気度は圧倒的です。
吉村さんの方が人気・知名度共に劣るのは、史実に手を加えず、あるがままに描いたためでしょう。
吉村さんは歴史的に見ると地味な人物の行動や食事の内容など、無名の人の動向を細部までリアルに描きました。
一方で司馬さんは、戦国や幕末という人気の時代を舞台に、英雄たちが活躍する姿を描いたのです。
司馬作品にはエンタメ要素がある分、万人受けすることは間違いありませんね。
リアリティにこだわった吉村さんは、一見「どうでもいい」ことまで細かく書いたため、娯楽重視の読者には退屈かもしれません。
ただ吉村さんの実力が司馬さんに劣っているわけではありません。
むしろ緻密な計算によって整備された内容と、現場重視の取材力は、司馬さんを圧倒していました。
好みは人それぞれですが、「どちらがいい」と断定せず、いずれの作品も読んで比較を楽しむのが理想的ですね。
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