長野久義の性格がわかるエピソード。高校や大学、ホンダでの成績は?

長野 久義(ちょうの ひさよし)さんはプレースタイルや私生活が注目されがちですが、内面の性格も強い信念を持っていて立派だと話題になっていました。

今回は長野さんの性格に関するエピソードやアマチュア時代の成績を見ていきます。

長野久義のプロフィール

本名:長野 久義 (ちょうの ひさよし)

出身地:佐賀県三養基郡基山町

生年月日:1984年12月6日

投球・打席:右投右打

ポジション:外野手

所属球団(選手歴):読売ジャイアンツ (2010~18) / 広島東洋カープ (2019~)

長野久義の性格がわかるエピソード

長野久義さんの性格は真面目で優しいとファンや関係者の中で話題になっていますが、一方で頑固であったり「妙な潔癖症」だったりとバラエティーに富んでいるそうです。

この項目では長野さんの性格が分かるエピソードについてチェックしていきましょう。

巨人入りの夢を叶えるために2度もドラフト指名を拒否

普通のプロ野球志望者だとドラフトで指名されれば喜んで入団するところですが、長野さんは”読売ジャイアンツ入り”という自分の夢を叶えるために2度も辞退していました。

ちなみに、日本大学に在籍していた2006年に北海道日本ハムファイターズから、ホンダ自動車の野球部に所属していた2008年には千葉ロッテマリーンズから指名されています。

どれだけプロ野球に入りたくても指名されない選手が多い中、入団拒否を含めて3回もドラフト会議で指名をされるというのは滅多にお目に掛かれない異例の出来事です。

次も指名してもらえるか分からないにもかかわらず、自分の夢「ジャイアンツ入り」を叶えるために入団を拒否したのは常人では考えられない”一途な愛”と言えるでしょう。

口では何とでも言えますが、実践をした長野さんの信念の強さは特筆すべき内容です。

坂本勇人とタイトルを分け合う優しさ

長野さんは入団3年目に先輩の坂本勇人さんと一緒に最多安打賞(173本)を獲得していますが、このタイトルを巡っては”ちょっとした秘話”がありました。


2012年シーズンの最終戦で坂本さんが先行する長野さんのヒット数に並んだ際、原辰徳監督は長野さんに対して「(次の打席)どうする?」と問いかけたそうです。

最終戦なので長野さんが打席に出なければ2人でタイトルを分け合うことになりますが、勝負をすれば自分だけがタイトルに輝くという可能性があった状況でした。

ここで長野さんは「出ない」という道を選び、坂本さんと最多安打賞を分け合ったのです。

打率と違って打席に立っても不利になることは無いのですが、勝負をせずに先輩と一緒にタイトルを分け合ったエピソードからは長野さんの優しさが伺えました。

潔癖症なのにロッカーが汚い

長野さんは野球選手にしては珍しい潔癖症らしく、水の回し飲みだけでなく食べている最中の料理を分け合ったりすることにも抵抗感を覚えるほどでした。

もっとも、コロナ禍では潔癖症に限らずタブーになってしまったのは言うまでもありません。

他にもご飯と何かを混ぜるのが嫌いというこだわりを持っていますが、なぜか自分のロッカーは散らかっているというダブルスタンダードを発揮しています。

もしかすると、長野さんの潔癖症は食ベ物関係に限定されているのかもしれませんね。

このエピソードからは潔癖症だけでなくフワッとした天然っぽさを伺うことができました。

長野久義の高校や大学時代の成績

ここでは長野久義さんの学生時代の成績について見ていくことにしましょう。

高校は地元から離れた福岡県太宰府市にある「筑陽学園高校」に進学していますが、のちにプロ野球選手になる人の中では珍しい一般入試での入学だったそうです。

高校時代は強豪校が多い地域だったこともあり、甲子園の土は1度も踏めていません。

しかしながら、プロのスカウトは長野さんの秘めたる素質をこの当時から見抜いており、とある球団からプロ入りの話があったそうですが断って日本大学に進学。

日本大学の野球部に入った当時は三塁手をしていましたが、持ち前のバッティングを活かす(専念する)ために3年次の春から中堅手に転向して才能が開花しました。

4年次には春季(47打数/23安打・打率.489)と秋季(52打数/21安打・打率.404)の2季連続で首位打者に輝き、秋の日米大学野球など国際試合でも活躍をしています。

しかし、2006年のドラフト会議では本命の読売ジャイアンツから上位指名をされず、北海道日本ハムファイターズからの4巡目指名を拒否して本田技研工業へ入社。

飛躍を遂げた大学時代でしたが、夢が叶わなかったというホロ苦い学生時代でもありました。

長野久義はホンダを経て念願の巨人入り

長野久義さんは北海道日本ハムファイターズからのドラフト4巡目指名を断り、2007年に本田技研工業へ入社して社会人野球という新天地に身を置きました。

入社間もない「第62回JABA東京スポニチ大会」では3番ライトとして起用され、チームのベスト4入りに貢献しただけでなく同大会の新人賞にも輝いています。

持ち前のバッティングは磨きが掛かり、新人ながらチームを代表する主力選手になりました。

ドラフトの対象となった2008年の会議では千葉ロッテマリーンズに2巡目で指名をされましたが、読売ジャイアンツ入りという夢を叶えるために本田技研工業に残留することを決断。

2009年シーズンはドラフト会議での悲しみを振り払うかのような活躍を見せ、夏の「第80回都市対抗野球大会」ではチームの優勝と首位打者(.579)を獲得しています。

そして同年10月29日のドラフト会議でジャイアンツから単独1位で指名をされ、学生時代から続いた長野さんの「ジャイアンツ愛」がようやく成就することとなりました。

強情なまでに巨人への愛を貫いた長野さんは凄いとしか言いようがないですが、まさか在籍9年で広島カープに移籍することになるとは思いもしなかったでしょうね。


長野さんだけでなく内海哲也さんも似たような道を歩んでおり、ファンやOBの間から”球団は選手に冷たすぎる”という人事面での批判が少なからず上がっているそうです。

もっとも、これは”情よりも利”というプロの厳しさを表している出来事と言えるでしょう。

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