長谷川町子の父親&母親はどんな人?女性だけの家族、姪も同居。家系図まとめ

庶民の暮らしをユーモラスな家族漫画に描き、戦後の日本に安らぎを与えた長谷川町子(はせがわまちこ)さん。

アニメ『サザエさん』の磯野&フグ田ファミリーは、騒動が起きても最後は一家団らんの明るい笑い声で終わりますが、生みの親である長谷川町子さんの家族はどんな方たちだったのでしょう。

父親と母親、姉妹、同居していた姪についてまとめました。

家系図には『サザエさん』のキャラクターのモデルになった人物もいるようです。

長谷川町子のプロフィール

本名:長谷川町子

生年月日:1920年1月30日

死没:1992年5月27日

身長:非公表

出身地:佐賀県小城郡東多久村(現在の多久市)、福岡市春吉(現在の同市中央区渡辺通)

最終学歴:山脇高等女学校(現在の山脇学園高等学校)

長谷川町子の父親は娘の成功を見ることなく病没

長谷川町子さんの父親は勇吉さんといい、三菱炭坑の技師でした。

そのため、炭坑町だった佐賀県の多久で町子さんは誕生します。

のちに勇吉さんは独立してワイヤーロープの事業を興し、一家は福岡へ。


幼なじみで親友でもあった高松千代子さんの話によると、長谷川家はお手伝いさんがいる裕福な暮らしぶりだったそう。

しかし、町子さんが旧制福岡高等女学校に在学していた1933年、勇吉さんは51歳の若さで病死。

大人になっても父への思い入れが深かったのは、13歳で父親を亡くしたことも大きく影響していたでしょう。

「とびきりハンサムで、すてきな紳士」「子煩悩」「短気なところは娘たちに受け継がれた」といった言葉を残しています。

子煩悩で、仕事より家庭を大事にする父親であったのは事実のようです。

仕事そっちのけで家族とでかけてしまい、運悪く得意先と鉢合わせしてしまったというエピソードも。

『サザエさん』の波平さんとは全然タイプの違う、きちんとした方だったと冗談めかして高松さんは語っています。

どうやら父親の勇吉さんは波平さんのモデルではなさそうですね。

長谷川町子にチャンスを与えた母親・貞子

勇吉さんの没後、妻の貞子さんは少しだけ泣いて暮らしたあと一念発起。

8歳、14歳、16歳の娘たちを連れて上京します。

娘たちの才能が東京で花開くのを願ってのことでした。

「田河水泡の弟子になりたいな」とつぶやいた町子さんの言葉に母と姉は奔走。

弟子入りの夢は叶います。

田河水泡といえば、当時『のらくろ』を連載中だった人気漫画家。

主人公ののらくろはフィリックスと混同されることがありますが、フィリックスはアメリカ生まれの黒猫のキャラクターです。

その翌年、町子さんは『少女倶楽部』に『狸の面』を発表して漫画家デビュー。

「天才少女」として一躍注目を浴びることに。


町子さんだけでなく、長女の毬子さんが洋画の大家・藤島武二に弟子入りしたのも母の後押しのおかげでした。

前述の高松さんは、娘たちの才能を引きだしたのは貞子さんであり、気さくで頼りになる方だったと述べています。

晩年、貞子さんは認知症を患い、娘の顔も忘れて、他人行儀な口調で思い出話を語るようになりました。

女性が今ほど自由に行動できなかった時代に、女だけの一家を先頭に立って引っ張ってきた貞子さん。

当時は認知症という言葉すらなく、三姉妹のショックは大きかったことでしょう。

1987年、貞子さんは91歳の天寿をまっとうしました。

長谷川町子の女性だけの家族。姪も同居

長谷川家の三姉妹で、生涯一度も結婚せずに独身を通したのは町子さんだけです。

東京・世田谷区の長谷川家には、母と戦争未亡人の姉・毬子さん、同じく夫に先立たれた妹の洋子さん、洋子さんの姪たちが同居していました。

女性ばかりの三世代家族ですね。

縁談が多く持ち込まれていたという町子さんですが、結婚には至らなかったことになります。

その理由は、自分自身がお嫁さんが欲しいくらいで、夫や子供の世話で一生を送るのは嫌だから。

サザエさんは幸せな結婚生活を送っているのに、生みの親が未婚ということで、よく取材でも質問されたようです。

けれども町子さんは「毎日が楽しくて、結婚なんて考えられない」などと、ひょうひょうとかわしていたのだそう。

子供が欲しいと思ったこともあるそうですが、姪の誕生で母親の気分が味わえるようになったそう。

姪とは、妹の洋子さんの娘である隆子さんと彩子(さいこ)さんです。

隆子さんは1955年生まれで、上智大学文学部フランス文学科を卒業後にソルボンヌ大学に留学。

2023年現在はパリ在住で、長谷川たかこ名義で文筆家として活動中。


ワカメちゃんのモデルになった、自慢の姪です。

著書に『ワカメちゃんがパリに住み続ける理由』などがあります。

長谷川町子の家系図まとめ

つぎに長谷川家の家系図をみていきましょう。

町子さんは三人姉妹の次女ですが、戸籍上は四人姉妹の三女です。

というのは、姉の毬子さんのすぐ下に美恵子さんというもう一人の姉がいたのです。

しかし彼女は5歳で夭逝してしまいました。

毬子さんの夫の東学(あずままなぶ)さんは朝日新聞の記者でしたが、挙式の1週間後に出征して戦死。

妹の洋子さんは読売新聞記者の鹿島隆さんと結婚し、隆子さんと彩子さんをもうけるも、鹿島さんが35歳でがんのため病没。

この義弟がマスオさんのモデルになったともいわれていますね。

洋子さんが結婚したのが1953年ですから、それ以降の連載に鹿島さんが影響を与えた可能性はあるでしょう。

町子さんは47歳の時に胃がんの手術を受け、胃の5分の4を摘出していますが、ご本人には胃潰瘍と伝え、胃がんであることは生涯知らせなかったそうです。

義弟ががんで夭逝したことで、「がんになったら自殺する」と周囲にもらしていたためです。

姪にあたる隆子さんの娘はイラストレーターのカミーユ=彩瑛・長谷川・ロワイエさんです。


自ら生み出したサザエさんというキャラクターとともに国民に愛されてきた長谷川町子さん。

『サザエさん』の設定は時代性に合わないという意見もありますが、長谷川町子さんが描いてきた家族の明るい日常こそ多くの人が願うものであり、そこに根強い人気の秘密があるように思えてなりません。

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