熊井啓の監督代表映画、日本列島・黒部の太陽。記念館は安曇野。娘と妻について

20世紀の日本映画界を代表する社会派の巨匠だった映画監督の熊井啓(くまい けい)さん。

『海と毒薬』(86年)や『千利休 本覺坊遺文』(89年)で世界的にも高く評価されました。

今回は熊井さんの監督代表作である映画について、1965年の『日本列島』と1968年の『黒部の太陽』に絞ってご紹介します。

また功績を伝える安曇野市の記念館と、熊井さんの娘の情報についても確認します。

熊井啓のプロフィール

本名:熊井啓

生年月日:1930年6月1日

死没:2007年5月23日

身長:不明

出身地:長野県南安曇郡豊科町(現在の安曇野市)

最終学歴:信州大学文理学部

熊井啓の代表映画・日本列島

まず熊井さんの代表作である、映画『日本列島』についてご紹介します。

1965年公開の『日本列島』は、米軍基地で起きた不可解な殺人事件を扱った作品です。


神奈川キャンプ犯罪調査部の担当官・リミット曹長の水死体が見つかったものの、米軍はなぜか死体を本国に強制送還。

米軍の犯罪調査を担当する秋山は、かつて妻を外国の兵隊に殺害されながらも、事実を当局からもみ消された経験がありました。

義憤に駆られた彼は、リミット殺人事件の真相を突き止めるべく、調査に乗り出すのです。

秋山を往年の名優・宇野重吉さん、熱血新聞記者を二谷英明さん、ヒロインを芦川いづみさんが演じました。

本作はモスクワ国際映画祭に招待された秀作ですが、受け手の評価は分かれているようです。

不可解な事件が多く起きていた戦後日本において、タブーともいえる問題にメスを入れた点を評価する人もいます。

一方で筆者は、「社会派作品」にしては、やや演出が過剰だと感じました。

白黒はっきりさせない結末が魅力的ではあるものの、もう少しリアリティを加味しても良かった印象があります。

いつの時代も権力者に都合の悪い真実は覆い隠されるものです。

しかし本作では、隠し切れないほどの事件が起きるため、リアルな社会派ドラマと呼ぶにはやや無理のある結末だったといえます。

黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る』も同じことがいえますが、こちらは娯楽作品です。

娯楽作品であれば、結末に対して「それは無理があるだろう」とツッコミを入れるのは野暮でしょう。

しかし「社会派」と銘打った『日本列島』については、もう少しリアリティが欲しい作品といえます。

ただ戦後日本の闇を感じさせる野心的な作品という点では、高く評価されるべき貴重な映画だったことは確かでしょう。

熊井啓の代表映画・黒部の太陽

熊井さんの代表作で今なお高い人気を誇っているのが、『黒部の太陽』です。

1968年に公開された同作は、難工事とされた黒部ダム建設工事を、とくにトンネル工事に焦点を当てて描きました。

骨太な社会派作品であると同時に、熱い人間ドラマも描かれており、リメイクされるほどの人気を獲得しました。

宇野重吉さんが主宰する劇団民藝の全面協力のもと、三船プロダクションと石原プロモーションが共同で制作。


三船さんと裕次郎さんのほか、2人と親交のあった名優たちが出演し、オールスターキャストによる映画となりました。

本作は名優2人の活躍が目立つため、監督である熊井さんの存在感が薄くなってしまった印象がありますね。

ただ熊井さんは、一歩間違えれば死者が出てもおかしくないほどの、危険な撮影を命がけでやり切りました。

トンネルでの出水シーンでは、出水事故によって裕次郎さんたち数名が負傷したそうです。

スタッフとキャストが命がけで関わった本作は、昭和の熱い男たちの生き様を今に伝える作品となりました。

2012年には当時の石原プロ会長・石原まき子さんが、東日本大震災の復興支援のため、本作を全国で上映することを発表。

『黒部の太陽』は、今後も日本が苦難に見舞われた際、一種の希望として人々に求められ続けることでしょう。

熊井啓の記念館は安曇野市に

熊井さんは長野県安曇野市の出身です。

2011年2月、安曇野市にある交流学習センター「きぼう」の2階に、「熊井啓記念館」が開館しました。

地元の施設の一部を使った小さな記念館とはいえ、豊富な関連資料の展示によって、彼の業績を伝えています。

『黒部の太陽』の監督であるイメージが強いものの、ほかの作品を知らないという人も多いようです。

ぜひ感染症の流行が落ち着いた時期に、熊井さんの業績を知るためにも記念館に足を運んでみることをおすすめします。

熊井啓の娘と妻について

熊井さんの娘が気になるという人が多いようです。

調べてみたところ、とくに娘に関する情報はありませんでした。

娘がいるとしても、一般人のため、詳しい情報は公表されていないのでしょう。

熊井さんの妻は、ポプリ研究家でエッセイストの熊井明子さんです。

同じ信州大学を卒業し、お見合いで結ばれました。

明子さんは仕事人間の夫を長年支え続けたそうです。

一方でポプリを日本で広めつつ、シェイクスピア研究にも従事。

1999年にはシェイクスピア研究の業績が認められ、山本安英賞を受賞しました。


夫婦そろって文化人のため、娘さんがいるとすれば、同じく教養とセンスのある女性なのでしょう。

社会派監督のイメージが強い熊井さん。

家庭人としての彼の姿も深く調べてみると、大変面白いかもしれませんね。

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