植木 義晴(うえき よしはる)さんはパイロットを経て日本航空の社長にまで出世したことで話題になり、取材などを通じて父親が大スターだったことが世の中に広まりました。
今回は植木さんの家族や年収、大学を辞めてしまった意外な理由について見ていきましょう。
植木義晴のプロフィール
【大分県内ニュース】日本航空社長・植木義晴氏 【談話室】 #oita #大分 https://t.co/koAKiJR6VB pic.twitter.com/24LFkIFSsF
— 大分合同新聞 (@oitagodo) July 2, 2016
本名:植木 義晴(うえき よしはる))
出身地:京都府
生年月日:1952年9月16日
最終学歴:航空大学校卒業
主な役職:日本航空社長・会長 / ジェイエア副社長
植木義晴の妻や娘について
まずは植木義晴さんの妻や娘など家族について見ていきましょう。
日本航空のパイロットから社長にまで昇り詰めた植木さんの家庭が気になるところですが、カテゴリー的には一般人に入るので妻や娘について詳細な情報はありません。
それでは話にならないので様々なインタビューを調べると、休日の過ごし方を聞かれた際に”妻と散歩をしたり、娘夫婦と食事に行ったりしてます”と明かしていました。
以上のことから植木さんは結婚をしており、授かった娘さんはすでに嫁いだことが分かります。
また、子供については結婚した娘さんのことしか話していないので”一人っ子”かもしれません。
もしかすると結婚した娘さんが子供(孫)を産んでおじいちゃんになった可能性もありますが、プライバシーの関係もあるので積極的に公開することは無いでしょう。
植木義晴の父親は名優・片岡千恵蔵
通常であれば創業家ではない”サラリーマン社長”の父親が話題になることはありませんが、植木義晴さんの場合は超・有名俳優なので触れざるを得ません。
その俳優とは「時代劇六大スタア」のひとりとして数えられる片岡 千恵蔵(ちえぞう)さんです。
もちろん「片岡」は芸名で本名は植木 正義(まさよし)さんといいますが、よほどのファンでなければ本名だと伝わらないので今回は”片岡”という名義を利用します。
植木さんは兄や姉と同じく子役としてドラマや映画に出演したものの、泣く演技を上手く出来なかった時に父親から頬を叩かれたことが原因で芸能界を離れました。
『近代映画』臨時増刊「赤穂浪士」特集号(近代映画社、昭和31年1月)。エグゼクティブ向け雑誌のインタビューで読んだ記憶だが、植木義晴JAL社長は取引先の人と世間話をするとき、特に家族のことは隠さず、片岡千恵蔵の話をすることもあるそう。 pic.twitter.com/Xf9Eq9A41v
— 濱田研吾 (@hamabin1) June 15, 2015
子役をしていた期間は4歳~7歳の3年間とそれほど長くはありませんでしたが、仮に叩かれず俳優を続けていたら日本航空の存続は危なかったかもしれませんね。
ちなみに、植木さんは父親と関連付けられることを歓迎しておらず、インタビューでも”今さら父は変えられない”と深く言及することを避けている様子が伺えました。
同じ業界ならまだしも、まったくの畑違いなので何と言って良いか難しいところですね。
植木義晴はコロナで年収が激減?
世界を震撼させた「新型コロナウイルス」は様々な業界に悪影響を与えており、植木義晴さんが率いる日本航空も例外ではなく壊滅的なダメージを受けていました。
日本航空は取締役8名に対する報酬総額を発表する方式なので個人の金額は公表されていません。
公表されている資料によると、2019年3月期は9名に4億8,400万、2021年3月期は8名に2億5,800万となっており、単純に総額を人数で割ると3,225万円となります。
2023年現在は代表権が無い取締役会長になっているので平均より少し多い程度でしょうか。
また、日本航空は基本の報酬に加えて業績目標の達成度によって金額が変わる”業績連動型賞与”を導入していることから、現金だけでなく自社の株式を報酬として受け取っています。
同社の公式サイトには役員の所有株数が掲載されており、植木さんは2021年3月末時点で31,400株を持っていることが明らかにされていました。
通常であれば配当金も年収に含まれますが、業績不振によって無配(0円)となっています。
以上のことから、植木さんの年収はコロナ前より減った4,000万円前後だと考えられるでしょう。
大学を中退した理由は母親のひと言
最後に植木義晴さんが大学を中退していたという件について触れておきましょう。
植木さんはパイロットへの憧れから航空大学校を受験しますが残念ながら失格となり、1年の浪人生活を経て見事に(仕方なく?)慶應義塾大学法学部に入学しています。
ところが、母親から”負け犬のままで一生終わるつもりなの?”と驚くべき言葉を投げかけ、ついには”合格して行きたくなければ蹴ればいい”と煽って闘争心に火を点けました。
植木さんは一念発起して慶應大学を中退し、翌年に受けた航空大学校の試験は見事に合格。
1975年6月に操縦士として日本航空へ入社していますが、機長になることができたのは1994年4月からなので私たちが思っているよりも下積み期間が長いことに驚かされます。
【お知らせ】LinkedInのインフルエンサーとして、日本航空の植木義晴社長が参加いたしました。日本のおもてなしの心を経験談を交えながら情報発信していただきます!記事(英語): http://t.co/mzvIzyGd2a pic.twitter.com/6aX2fdlrpL
— LinkedIn Japan (@linkedinjapan) August 20, 2013
普通の親であれば慶應大学法学部に受かれば喜んで後押しをするところですが、植木さんの母親は喜ぶどころか中退して再受験を勧めるという行動に出ました。
これは母親が息子の能力や根性を信じていたこと、人生を振り返った時に「もう一度受ければ良かった」と悔いを残して欲しくないという思いが込められているのでしょう。
前述の父親もそうですが、植木さんは両親の影響を受けて機長になることができたと言えます。
やらないで後悔することが一番むなしいので、もし可能であれば挑戦した方が良いでしょうね。
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コメント
とても偉大です。
どこの?親でも 方法はともあれ 子供を信じ
導きたいですね。
お母さまには母も私にも温かく接して下さりありがとうございました。
感謝。