稲盛和夫、晩年の活動とは。病気と病状、激やせが話題。得度したが出家せず、盛和塾を創始

日本が世界に誇る実業家の1人である稲盛和夫(いなもりかずお)さん。

晩年は経済界の重鎮として数々の要職を歴任。

その哲学を伝えるべく盛和塾を設立するなど後世の育成にも積極的でした。

激やせが話題になるなど過去に患った病気の病状も気になるところ。

出家したという情報についても見ていきたいと思います。

稲盛和夫のプロフィール

本名:稲盛和夫

生年月日:1932年1月21日

没年月日:2022年8月24日(90歳)

出身地:鹿児島県鹿児島市薬師町

最終学歴:鹿児島県立大学(現・鹿児島大学)工学部応用化学科卒業

稲盛和夫の死因は老衰

京セラや第二電電の創業者として知られる稲盛和夫さん。

経営破綻した日本航空を3年足らずで再上場に導いた事はあまりにも有名。

今となっては「新・経営の神様」とも呼ばれる事も。


そう呼ばれるだけの偉業を成し遂げてきた事は間違いありません。

そんな稲盛和夫さんが、2022年8月24日に90歳というご年齢で亡くなりました。

京都市伏見の自宅で、老衰で亡くなったようです。

「人間として何が正しいのかを座標軸に、そこから物事をすべて経営判断することが大切だ。上に上がれば上がるほど責任は重くなって、これでいいのだろうかと常に自戒して、努力をしていく、そんな生真面目な経営者であってほしい」

敬天愛人、「天を敬い、人を愛す」、数々の名言を残した稲盛さんが好きだった言葉です。

同郷である鹿児島の偉人、西郷隆盛が愛用した言葉です。

その言葉通り、多くの人を愛し、そして愛された、日本を代表する偉人の一人と言えるでしょう。

経営者として、激動な時代を歩んできたであろう稲盛氏、天国で健やかに休まれることを願ってやみません。

稲盛和夫、晩年の活動とは

晩年の稲森和夫さんは表舞台には出てくる事は殆ど無くなりました。

穏やかな日々を過ごしていると思う人も多いでしょう。

ところがメディア露出は減ったとはいえ、晩年も数多くの企業で名誉会長や特別幹事、理事長に顧問などの要職を兼任。

多忙な日々を過ごしていたと思われます。

おそらく表舞台に出てこないのは年齢よりも体力の影響が大きいのでしょう。

90歳という年齢を考えると数々の要職を歴任しているのも驚異的なこと。


それに加えてメディア出演なんて、とても出来ません。

ただ、名誉会長や特別幹事、社外取締役という役職には疑念を抱く人もいるはず。

政界を引退した政治家や定年退職した官僚が就任するイメージを持つ人も少なくないでしょう。

実際に名前だけで大した仕事をしていない人もいるかもしれません。

ですが、「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉を残している稲盛和夫さん。

自分の利益ではなく企業や社会の事を第一に考え、要職を担ってた事は間違いありません。

だからこそ多くの企業が要職に招き入れているのでしょう。

日本の経済界に無くてはならない存在だった稲盛和夫さん。

その思想や志は、間違いなく多くの人に影響を与え、引き継がれていることでしょう。

過去に発症した病気と現在の病状は?

長きに渡って経済界で活躍した稲盛和夫さん。

65歳の時に行った健康診断で胃癌である事が発覚。

しかも進行性の癌だった事から直ぐに手術する事に。

そして胃の3分の2を切除したそうです。

若いほど進行が早いと言われる癌。

もし稲盛和夫さんがもう少し若ければ手術も出来ない程、進行していたかもしれません。

手術可能なタイミングで発見された事は不幸中の幸いと言えるでしょう。


また、癌はステージが進むほど再発率も高くなります。

そのため手術が成功した後も通院が必要となるケースは少なくありません。

そこで気になるのが稲盛和夫さんの病状。

その後、癌の再発など大病を患ってはいないのでしょうか。

ですが調べてみても癌が再発したという情報はありません。

また、癌以外の大病を患ったという情報も見当たりませんでした。

おそらく胃癌になった事で体には人一倍気を付けるようになったのでしょう。

もし、稲盛和夫さんに万一の事があれば日本にとって多大な損失となります。

最後はご自宅で亡くなったことを考えると、周囲の人々も多分に体調に気をつけていたのかもしれません。

稲盛和夫が激やせした事が話題に

かつて癌という大病を患っている稲盛和夫さん。

2019年頃に「激やせ」した事が話題となりました。

その姿に癌の再発を心配した人もいたかもしれません。

ですが、前述の通り癌の再発や、他の大病を患ったという情報はありません。

そのため痩せてしまったのは加齢によるものと思われます。

年を取ると顔の脂肪が減り、頬がこけてしまいます。


それにより痩せて見えてしまったのでしょう。

ただ、年を取ると老化するのは自然の摂理。

こればかりはどうしようもありません。

本人は至って元気でも痩せて見えると余計な心配をされてしまいます。

こんな無用な気遣いをされる事も表舞台に出てこなくなった理由の1つなのかもしれません。

稲盛和夫は出家ではなく在家得度

幼少期、隠れ念仏に連れていかれた事で宗教に興味を持ったという稲盛和夫さん。

65歳の頃に臨済宗円福寺の僧侶、西片擔雪さんの導きにより得度。

そして「大和」という法名を与えられ居士としても活動するようになりました。

ただ、出家はしておらず在家得度。


出家に比べると在家得度は楽と思う人がいるかもしれません。

ですが、稲盛和夫さんは若い僧と一緒に厳しい修行の日々を過ごしています。

草鞋に網代笠、黒染めの衣という姿で地方を巡り托鉢も行ったそうです。

経済界で確固たる地位を築いたにも関わらず厳しい修行に身を投じるなんて。

誰にでも出来る事ではありません。

きっと常に自分を律する強い精神があったから素晴らしい経営者になれたのでしょう。

今も尚、多くの人々に慕われるのも納得ですね。

稲盛和夫といえば盛和塾

「経営の神様」と呼ばれる松下幸之助さんが設立した松下政経塾。

今もなお政治家や経営者、大学教員など数々の逸材を世に送り出す政治塾として知られています。

そして「新・経営の神様」と呼ばれる稲盛和夫さんも塾を設立し塾長を務めていました。

その塾こそが「盛和塾」です。

若手の経営者に「経営哲学」ならびに「人生哲学」を伝えるために開塾。

国内だけでなく海外にも支部を拡大し、塾生数は1万人超。

稲森和夫さんが世界的に支持される経営者である事が良く分かりますよね。

ただ、設立者が亡くなっても継続している松下政経塾とは事なり盛和塾は2019年を持って解散となっています。

解散した最大の理由が高齢となり精力的な活動が出来なくなったこと。

また、盛和塾で学んだ誰かが教えたとしてもそれは「稲盛哲学」ではありません。

そのため当初から1代限りである事を表明していました。

世界各国に支部を持ち、1万人を超える塾生がいてもその決意が覆ることはなかったようです。


逆に言えば1代限りと決めていたからこそ自分の全てを惜しみなく伝えていたはず。

その教えを学べた塾生達は本当に幸せですよね。

盛和塾の卒業生が、経済界の中心に立つ日が来るかもしれません。

そんな日が来たら再び盛和塾、稲盛思想が注目を集める事になりそうです。

間違いなく、日本を代表する経営者のお一人でした。

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