本田宗一郎の家系図。息子が逮捕&愛妻エピソードとは。孫や弟は何をしている?

本田 宗一郎(ほんだ そういちろう)さんは技術者として日本のみならず世界でも有名ですが、作業着を脱いだ家族の一員としての姿はあまり知られていません。

そこで今回は本田さんの家系図や子供など家族について迫っていきましょう。

本田宗一郎のプロフィール

本名:本田 宗一郎(ほんだ そういちろう)

出身地:静岡県

生年月日:1906年11月17日

主な役職:本田技研工業(社長・取締役最高顧問) / 本田技術研究所(所長)

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本田宗一郎の家系図

まずは家族全体を把握するために本田宗一郎さんの家系図を見ておきましょう。

とは言っても言葉だけだと分かりにくいので、当サイトが作成した家系図をご覧ください。

【本田家系図】

宗一郎さんは私生活をあまり明かさない性格だったこともあって家族の情報は少なく、妻や子供たちの氏名や生年は判明していますが詳細な経歴などは不明な点が多いです。

また、成功者にありがちな政略結婚などはしておらず庶民的な家系図であることが伺えました。

長女の恵子さんは結婚をして「尾形姓」になったことが明らかになっていますが、もしかすると夫は本田開発興業の社長を務めていた尾形次雄さんかもしれません。

恵子さん以外の妻や息子さんなどについては個別に見ていくので引き続きご覧ください。

本田宗一郎の息子が逮捕されていた

この項目では本田宗一郎さんの息子が逮捕・収監された件について見ていきましょう。

家系図の通り宗一郎さんには2人の息子さんを授かっていますが、脱税の容疑で逮捕・収監されたのは長男であり株式会社「無限」の創業者でもある博俊さんです。

1942年4月11日に生まれた博俊さんは日本大学(芸術学部)を卒業し、1973年に株式会社「無限」を創業して四輪車のレーシングエンジンやパーツを数多く生み出しました。

1992年にホンダがF1事業から撤退すると代わりに参戦し、2000年までに通算4勝を達成。

そんな中、2002年12月に自社の元監査役だったA氏が横領の疑いで告発され、A氏の「本田の指示に従った」という証言により2003年7月に法人税法違反で逮捕されています。

最高裁まで争いましたが会社は2億4千万円の罰金、博俊さんは懲役2年の実刑判決が確定。


検察によると「1997年から2000年にかけて約10億円を脱税」とされていますが、対する博俊さんは裁判を通じて「無罪・冤罪」を主張して闘い続けました。

冤罪を晴らすべく弁護士や専門家を動員したことで裁判費用は20億円以上にもなったそうです。

一連の流れを見ると、10億円を脱税する人が自身の裁判に20億円以上も使うとは考えられず、A氏に騙し取られたという民事裁判では和解を含めて全て博俊さんが勝訴。

今さら実刑が確定して刑期を終えた判決にアレコレ言っても仕方ないですが、関係者の間でも「実は冤罪だったのでは?」という声は少なくないと言われています。

博俊さんは2016年頃から少しずつ活動を再開し、自動車関連のイベントに姿を見せていました。

これから先、どのような形で自動車関係に携わるのか興味が尽きませんが、元気を失っている日本自動車界に良い刺激を与えてくれると期待しましょう。

※次男の勝久さんについては情報が一切見当たらないので割愛させていただきます。

本田宗一郎が最後に乗ったのは妻の背中

本田宗一郎さんは1935年に小学校の教員だった磯部さちさんと結婚しています。

当時の本田さんは「アート商会」からのれん分けされた若き実業家だったことから多くの縁談話があったそうですが、さちさんの見合い写真を見て一目惚れをしたそうです。

惚れた女性と結ばれてもマシン第一の生活はまったく変わらず、それどころか愛妻にまで作業を手伝わせるという常人離れをした”職人気質”を発揮していました。

本田技研を設立してからは内助の功として夫を支え続け、本田さんが亡くなる二日前に「背負って歩いてくれ」と言われておんぶをしたのは有名なのでご存知の方も多いでしょう。

様々なマシンに乗り続けた頑固な職人が最後に乗ったのは愛妻の背中だったのです。

本田さんにとって「乗る」という行為は最後まで特別な意味を持っていたのでしょうね。

最後になりますが、さちさんは2013年12月15日に99歳という高齢で亡くなっています。

本田宗一郎の弟や孫について

ここでは本田宗一郎さんの弟や孫について見ておきましょう。

世間では「本田と言えば本田宗一郎」という印象が強いですが、6歳年下の弟・弁二郎さんも本田技研の設立に貢献し、1963年には株式会社「本田金属技術」を創業しています。

歴史上の人物で例えれば豊臣秀吉と弟・秀長と言ったところでしょうか。

弁二郎さんは1962年まで本田技研の常務や弟として公私ともに兄を支え続けましたが、他の役員と一緒に解任されて会社から放り出される形になってしまいました。

解任に至る経緯は明らかにされていませんが、宗一郎さんのポリシーでもある”親族の入社禁止”を徹底した説や社内の若返り案などが言われていますがハッキリしていません。

それでも兄弟の関係は変わらず良好で、資金を出し合って「本田財団」を設立しています。


弁二郎さんは1992年12月1日に亡くなりましたが、前年に死去した兄を追ったような最期でした。

ちなみに、もうひとつのテーマである孫について目立った情報はありませんでしたが、長男と長女は結婚をしているので授かっていも不思議ではないでしょうね。

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