杏里(あんり)さんや中山美穂(なかやまみほ)さん達に楽曲提供をしたり編曲をしたりしてきた、角松敏生(かどまつとしき)さん。
父親はどんな人だったのでしょうか。
また、彼女がスチュワーデスだったという噂もあります。
今回は角松敏生さんの性格や父親について、また彼女がスチュワーデスという情報について見ていきましょう。
また角松敏生さん自身の歌唱力についても見ていきましょう。
角松敏生のプロフィール
本名:角松敏生(かどまつとしき)
生年月日:1960年(昭和35年)8月12日
身長:169cm
出身地:東京都渋谷区
最終学歴:日本大学文理学部哲学科卒業
所属事務所:ビーンズ/エメラルドスプラッシュ
角松敏生の性格
シンガーソングライターの角松敏生さんがこれまでに生み出してきた曲には、自身の性格が色濃く反映されているそうです。
角松敏生さんはとても正直な性格で、嘘がつけないといいます。
だから自分の思ったことしか作詞できないので、書いた歌詞のほとんどが実話に基づいたしまうのだとか。
歌詞にできるような素敵な人生を沢山送って来れたのも、角松敏生さんがカッコ良くてモテたからではないでしょうか。
また歌詞のない「インストアルバム」を作った時も、全ての楽曲に女性の名前が。
これはひょっとして、歴代の彼女の名前ということになるのでしょうか。
当事者だけが「私のイメージを曲にすると、こんな風になるのね」と感慨深くなったことでしょう。
またファンはファンで、「どんな素敵な女性たちだったのだろう」と想像を膨らませたかもしれません。
角松敏生のインストアルバム「SEA IS A LADY」が入ってきました。各曲のタイトルにイメージした?と思われる女性の名前が添えられています。https://t.co/zS2jTOTIw8 pic.twitter.com/gbpae69ybJ
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角松敏生さんの音楽に魅せられたファンは、熱狂的になる人が多いと言われています。
正直に全てをさらけ出して作られた音楽は、心に深く響くのでしょう。
父親の影響を受けて作り出した音楽
ここでは数多くの名曲を作り出した、角松敏生さんの父親について見てみましょう。
角松敏生さんの父親は放送関係の仕事をしており、ポップスが好きだったといいます。
しかし母親がそれを良く思わず、息子にはできるだけクラシック音楽を聞かせるようにしたのだとか。
いくら遠ざけても、角松敏生さんは父親に似たのかポップスに惹かれていったのだそう。
父親は一般人なので、プライベートなことはわかっていません。
角松敏生さんは、小学校高学年の頃には「雨にぬれても」を聞いて感銘を受けたと言います。
そして、ビートルズの魅力にすっかり虜になったということです。
小学生の時に、角松敏生さんの音楽の土台が出来たのでしょう。
そうやって出来た音楽の世界。
さらに角松敏生さんは、日本の新しいスタイルの音楽にものめり込んでいったそうです。
シュガーやサディスティック・ミカ・バンドなど、どこか洋風で新鮮な音楽に惹かれていったのです。
ギターを弾き始めてバンドも結成した角松敏生さんは、高校生でディスコに行くようになったといいます。
そこで、ダンスミュージックもどんどん自分のものにしていったのでしょう。
角松敏生の彼女はスチュワーデス
角松敏生さんは、スチュワーデスが好きなことがファンの間で知られています。
ライブのステージには、航空会社の制服を着たリカちゃん人形を置いていたこともあるとか。
楽曲も航空系をイメージしたものがたくさん作られているのです。
そうなると女性の好みもスチュワーデス、と繋がっていったといいます。
スチュワーデスは美人揃いなので、一目惚れをする確率は上がりそうですよね。
最初の妻もJALの客室乗務員でした。
さらには、彼女までもANAの客室乗務員だったと言われているのです。
最初の妻と結婚していた時に付き合っていた彼女だったようで、愛人という方が正確かもしれません。
1985年8月12日に日航ジャンボ機123便が墜落し、約500名の尊い命が奪われるという事故が起こりました。
角松敏生さんは搭乗していた乗務員に「RAMP I N」という曲を作ったそうです。
角松敏生の歌唱力
1981年にデビューした角松敏生さんは、アルバム「SEA BREEZE」で自分の歌声を聞いて愕然としたそうです。
レコーディングには、憧れのミュージシャンが参加してくれて感動していたということです。
しかし、自分の歌声がとても貧弱に感じてしまいました。
自分の歌唱力に自信がなかったため、克服するために努力したといいます。
ただしこれは、角松敏生さん本人の自己評価にすぎません。
実際は、ツヤのある伸びやかな歌声がデビュー当時から非常に魅力的でした。
中山美穂さんに書いた「You’re My Only Shinin’ Star(ユア・マイ・オンリー・シャイニング・スター)」を後にセルフカバーした角松敏生さん。
カバー曲というのは、どうしても元々歌っている人の歌声がチラつくものです。
しかし角松敏生さんが歌い上げたこの曲は、完全にオリジナルに聞こえる素晴らしい歌声で魅了しました。
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