村田喜代子の夫と家族、子宮体がん治療。芥川賞&泉鏡花賞受賞、映画化について

芥川賞をはじめ数々の権威ある文学賞を受賞し、川端康成文学賞の選考委員を務めてきた小説家・村田喜代子(むらた きよこ)さん。

近年は夫の看護で苦労しながらも、自身の体験を土台にして意欲的に小説を書き続けてきました。

今回は村田さんの夫、家族の詳細を確認し、子宮体がんの治療経験についても見ていきます。

併せて、芥川賞受賞作と泉鏡花賞受賞作、黒澤明監督によって映画化された作品を紹介します。

村田喜代子のプロフィール

本名:村田喜代子(旧姓:貴田)

生年月日:1945年4月12日

身長:不明

出身地:福岡県八幡市(現在の北九州市八幡西区)

最終学歴:八幡市立花尾中学校

村田喜代子は夫を看護

村田さんの夫は一般人のため、経歴や馴れ初めなど詳しい情報は見当たりません。

ただ2000年代、旦那さんの心臓に動脈瘤が見つかり、村田さんが看護していたことが分かっています。

夫婦で東洋医学や民間療法による治癒方法を探し続けた末、何とか手術で一命をとりとめました。

旦那さんは回復したものの、村田さんは夫の病気と向き合う中で、うつに近い気分の落ち込みを感じたそうです。


団塊世代で共働きだったからこそ、旦那さんのことは「相棒」と考えていました。

彼が病気になると「駄目じゃない、しっかりしてよ」という苛立ちを覚えたそうです。

また夫が三途の川に近づいている間、自分だけが岸辺に取り残された感覚に陥り、寂しさに苦しみました。

そのため旦那さんには「倒れないでよ」「置いて行かないでよ」と難癖を付けたくなるのだそうです。

2009年には看護体験を土台にした小説『あなたと共に逝きましょう』を発表しました。

小説には実体験と同じく、長年連れ添った夫婦の暮らしが、夫の動脈瘤破裂の危機によって崩壊する様を描いています。

妻が手術を拒否する夫を連れて、湯治や食餌療法を試していく様子をリアルにつづりました。

実際の村田さんたちも、喫煙は動脈瘤に悪影響をもたらすとして夫婦で辞め、玄米と野菜による食餌療法を実践。

旦那さんは食べ物を100回噛んでしっかり消化していたためか、術後の回復が早く、すっかり元気になりました。

心労がたたった村田さんの方が、一気に老け込んでしまったようです。

ともあれ旦那さんが大病から生還できたのは何よりでしたね。

村田喜代子の複雑な家族

2023年現在、村田さんの旦那さんが亡くなったという情報はないため、夫婦で2人暮らしをしているのでしょう。

子供がいることも分かっていますが、詳しい情報は見当たりませんでした。

ただ村田さんは子供たちを、常に大切に思い、愛情を注いできたはずです。

北九州市に生まれた村田さんは、誕生前に両親が離婚しています。

母方の祖父・菊次郎さんと祖母・スギさんが戸籍上の両親となりました。

母の重子さんは再婚し、村田さんには異夫弟ができます。

しかし母は再び離婚し、その後再々婚しました。

村田さんは9歳まで祖父母と弟の4人で暮らします。

やがて弟が母の再々婚先に引き取られたため、祖父母と3人で暮らすようになりました。

村田さんは「別れ」「老い」「死」を常に意識しながら幼少期を送っていたのです。

代表的な村田作品には、両親が不在の子供を描いた『鍋の中』や逆に大家族が登場する『春夜漂流』などがあります。

特殊な家族を小説に描いてきたのは、自身が実際に特殊な環境で育った影響があったためでしょう。

そして自分の子供たちには寂しい思いをさせないため、惜しみなく愛情を注いだに違いありません。

村田喜代子の子宮体がん治療

村田さんは2011年、子宮の一部である子宮体にがんを発症し、放射線治療を受けました。

同年に起きた福島第一原発事故による放射線被害で、多くの人々が自宅に戻れず苦しんでいた時期のことです。

放射線被害を受ける人々に対して、放射線によって生き延びようとする自分の境遇が後ろめたく感じられたといいます。

治療のおかげで回復してからは、当時の複雑な気持ちを小説に昇華させました。

放射線治療の経験と、同年に起きた東日本大震災と福島第一原発事故を重ねて描いた長編『焼野まで』です。

放射線によって生かされている主人公が、書籍やニュース映像を通して、震災と津波、原発事故の様子を知るという作品。

自身の体験を普遍的な事象と絡め、問題提起する手腕は高く評価されました。

同作を発表した2016年には旭日小綬章の受章が決定しています。

放射線は人を生かしもするし、殺しもする。

文明の利器は諸刃の剣であることを痛感させられる、現代の名作です。

村田喜代子の芥川賞受賞作と泉鏡花賞受賞作

村田さんは権威ある文学賞・芥川賞と泉鏡花賞をいずれも受賞しています。

1987年に芥川賞を受賞したのが『鍋の中』です。

少年少女たちが田舎で老女と生活する様子を描いた、ひと夏の物語でした。

単なるほのぼのとしたストーリーではなく、子供たちの複雑な内面を、見事な情景描写と共に描き切った秀作です。

2021年、芥川賞受賞から34年もの時を経て泉鏡花賞を受賞したのは『姉の島』です。

『鍋の中』で子供たちの心理を描いた村田さんは、70代に入ってから書いた『姉の島』で、老女たちの姿を描きました。

カジメ、アワビ、沈没船といった海に関するモチーフを描きながら、2人の退役海女たちが奮闘する異色冒険小説です。

読者を深い海の底へと誘ってくれるのは頼もしい海女たちですから、安心して作品世界に身を任せられますよ。

作品を黒澤明が『八月の狂詩曲(ラプソディー)』として映画化

先ほど紹介した村田さんの芥川賞受賞作『鍋の中』は、1991年に黒澤明監督が映画化しています。

タイトルは『八月の狂詩曲(ラプソディー)』で、子供たちと老女が登場する点は同じですが、内容はかなり異なります。

そのため村田さんは映画の内容に不満を抱きました。不要と思えるシーンすらあり、大変複雑な気持ちで鑑賞したのです。

しかし最終的に「映画は自分の小説とは別物」と考えることで、不満を解消させます。

村田さんの映画に対する気持ちは、エッセイ『ラストで許そう、黒澤明』につづられています。


ラストで許そう、黒澤明 村田喜代子

結果的に脚本と原作の間で試行錯誤した黒澤監督を労っている村田さん。原作の改変も受け入れてくれる寛大な人なのですね。

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