黒澤明の息子はレストラン経営者、娘は衣装デザイナー。孫も芸能人&妻は高峰秀子ではない

『用心棒』、『乱』などを監督し、今も世界的な巨匠として名を馳せている黒澤明(くろさわ あきら)。

偉大な監督というイメージが強いですが、プライベートな情報も気になりますね。

今回は黒澤の息子がレストラン経営者、娘が大河の衣装担当という情報に迫ります。

また孫はいるか、妻は高峰秀子さんなのか確認します。

黒澤明のプロフィール

本名:黒澤明

生年月日:1910年3月23日

死没:1998年9月6日

身長:182cm

出身地:東京都

最終学歴:京華中学校(現在の京華中学高等学校)

黒澤明の息子はレストラン経営する実業家

まず黒澤の息子がレストラン経営者という情報に迫ります。

1945年生まれの息子は歌手、タレントとして活動していた黒澤久雄さんです。

クロパンの愛称で親しまれました。


成城大学在学中、フォークバンド「ブロードサイドフォー」を結成し、『若者たち』でヒットを飛ばします。

その後はバンドを解散し、留学しました。

留学しているだけあり、教養があるようで、79年以降はクイズ番組で活躍。

「クイズダービー」のゲスト回答者の中で勝率1位という成績を残し、他の回答者に圧倒的な差をつけています。

さらに父の監督作品『乱』からは、プロデューサーとしてクロサワ映画の製作に携わりました。

80年に歌手の林寛子さんと結婚し、3人の子供をもうけます。

しかしすれ違いが生じた結果、2003年に離婚。

4年後に黒澤プロダクションで秘書を務めていた女性と再婚し、2024年現在まで至っています。

レストラン経営者という情報ですが、久雄さんのことで間違いありません。

実業家の才能があったようで、レストランチェーン「黒澤グループ」の企画監修を務めています。

高級料亭の「永田町黒澤」、「欅くろさわ」や、古民家を改装した「鉄板焼Kurosawa」などいくつかの店舗を経営。

テーマはいずれもクロサワ映画の世界観を再現すること。

黒澤監督が愛した黒毛和牛を始め、ゆかりの料理を楽しめます。

様々なジャンルに対して才能ある息子だとわかりましたね。

3つの店が閉店

黒沢映画ファンの中には、久雄さんのお店で食事をし、楽しい時間を過ごした人も多いでしょう。


ですが、これから「行ってみたい」と考えている人は、閉店した店に注意が必要です。

まず、2021年には「永田町黒澤」が閉店となっています。

さらに、翌2022年には「欅くろさわ」と「饂飩くろさわ」の2つも閉店。

立て続けに好きな店がなくなってしまい、ショックを受けた人もいたかもしれません。

2024年現在、黒澤グループが手掛ける店で残っているのは、「鉄板焼Kurosawa」だけとなっているようですね。

かつては「どの店に行こうか」と迷うこともあったのでしょうが、今は一択になったわけです。

いずれの店も理由については「諸般の事情で」としていたようですが、やはりコロナの影響を心配する声は多いようですね。

確かに、多くの飲食店がダメージを受けていることは、さまざまなメディアで繰り返し伝えられてきた情報です。

黒澤グループの店も、同様に苦しい状況へ追い込まれてしまった可能性はあります。

コロナウイルスの蔓延など、誰も予想できなかったこと。

まさかの事態に、久雄さんも頭を抱えたことでしょうね。

しかし、お店が好きだった人たちには嬉しい情報もあります。


かつて「欅くろさわ」に勤めていたスタッフが、2023年から新たに蕎麦屋の経営を始めているのです。

この店では、「欅くろさわ」のそばを継承しつつ、少し違った新たなメニューも楽しめるのだとか。

お馴染みの蕎麦が新メニューとともに楽しめると知り、足を運んだ人も多いのではないでしょうか。

お店は変わっても、こうしておいしい蕎麦が残り続けるというのは、素敵なことですね。

芸能活動はしていない

お店の経営は順調とはいえない様子の久雄さん。

かつて芸能人として活躍していたことを知っている人なら、活動再開について想像してみることもあるかもしれませんね。

しかし、2024年現在、新たな芸能活動の情報はなく、復帰予定の噂などもありません。

久雄さんは2024年で79歳と高齢になっていますし、今後も芸能界へ戻ることはないかもしれませんね。

娘は大河ドラマの衣装担当

次に黒澤の娘が大河ドラマの衣装担当という情報です。

娘は黒澤組の衣裳デザイナーだった、黒澤和子さん。

映画やドラマの衣裳を担当し、世界的デザイナーの地位を確立しています。

和子さんは2020年、大河ドラマ『麒麟がくる』の衣装をデザインし、話題となりました。

大河で初めて、和子さんが黒澤の娘だと知った人もいるようです。


カラフルな衣装を通し、原色がブームだった戦国時代を鮮やかに再現していましたね。

ちなみに和子さんは、18年の大河ドラマ『西郷どん』でも衣装担当でした。

黒澤明は元々画家志望で、デザインにも造詣がありました。

和子さんは確実に父の才能を受け継いだ、偉大なデザイナーといえるでしょう。

黒澤明の孫は皆、芸能人

ここから、黒澤に孫がいるか確認します。

孫には、久雄さんの娘である黒澤優さんと、黒澤萌さんがいます。

長女の優さんはモデルを経て、女優活動をしていました。

『史上最悪のデート』や『伝説の教師』などのドラマに出演しています。

「チップスター」のCMにも出演しました。

2002年、ロックバンド「SOPHIA」のボーカル松岡充さんと結婚し、引退しています。

次女の萌さんは歌手で、父が脚本を書いた映画『海は見ていた』のイメージソングを歌っています。

安全地帯の『悲しみにさよなら』をカバーした曲です。

娘たちは芸能界で活動していたことがわかりました。


また和子さんの息子は、俳優の加藤隆之さんと、画家の加藤秀之さん。

秀之さんは母の衣装アシスタントを務めています。

黒澤の孫はいずれも芸術方面で活躍しているということですね。

黒澤明の妻は高峰秀子ではない

最後に黒澤の妻は高峰秀子さんなのか見ていきます。

1941年、山本嘉次郎が監督した『馬』で、助監督と編集を担当した黒澤。

映画の撮影中、主演の高峰さんと恋仲になりました。

落馬しかけた彼女を、黒澤が抱きとめて、背中を撫でてあげたことで恋に発展したといいます。

しかし将来有望な助監督の黒澤と、義母に厳しく監視されていた高峰さんの恋は制約つきでした。

デートも「ベルリンオリンピック記録映画」を観るくらいで、関係を維持するのはなかなか難しかったそうです。

黒澤の部屋を高峰さんが訪ねると、すぐ義母に連れ戻され、軟禁されてしまいます。

この時、たまたま新聞が2人の婚約を報じてしまい、義母は映画会社と協議して2人を引き離すことで合意。

2人の恋は、はかなく終わり、結婚には至っていません。

その後、高峰さんは義母に逆らって、松竹の助監督だった松山善三と結婚しました。

黒澤の妻は、実際には女優の矢口陽子さんです。

44年に彼が監督した『一番美しく』で主演を務め、翌年に結婚し、女優を引退。

結婚後はスタッフの弁当を作るなど、夫に尽くし続けました。

黒澤はわがままですから、支えてくれる妻が必要だったはず。

だとすれば、後年大女優として活躍した高峰さんと結ばれても、うまくいかなかったかもしれませんね。


あるいは高峰さんは、大スターになれなかったでしょう。

いずれも一芸に秀でた人々だったといえるのかもしれません。

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