根津甚八の晩年と死亡事故の沈痛。死因は肺炎、うつ病が引退理由だった

唐十郎さん主宰の「状況劇場」の看板俳優として活躍し、映画やドラマでも印象的な演技を見せた根津甚八(ねづ じんぱち)さん。

1978年の大河ドラマ『黄金の日日』の石川五右衛門役は非常にかっこよく、筆者も同作をきっかけに根津さんを好きになりました。

1974年の舞台『唐版 風の又三郎』で注目され、1982年の映画『さらば愛しき大地』で日本アカデミー賞の主演男優賞を受賞。

高い演技力で輝かしい経歴を手に入れたものの、晩年は不遇だったとされています。

自宅付近で起こした死亡事故、死因の肺炎をはじめとする病気の数々、うつ病が引退理由だったという情報に迫ります。

根津甚八のプロフィール

本名:根津透

生年月日:1947年12月1日

死没:2016年12月29日

身長:172cm

出身地:山梨県都留市

最終学歴:獨協大学外国語学部フランス語学科中退

所属事務所:ユマニテ ※故人のため退所済み

根津甚八は晩年に闘病生活

憂いのある役柄を多くこなし、円熟した演技で高く評価されていた根津さん。

私生活では1994年に15歳年下の仁香(じんか)さんと結婚し、2年後に長男を授かりました。

仕事も家庭も順風満帆に思われましたが、2001年に右目下直筋肥大を発症したことで、転落が始まります。

右目の下まぶたが下がることで、物が二重に見えてしまう病気で、日常生活に支障が出てしまうのです。

そこで根津さんは下まぶたを手術で整形。

視界は改善されたものの、左右のバランスが崩れてしまった顔を整形するため、何度も手術を受けることになります。

しかし顔はバランスを崩したままになってしまい、俳優生命を絶たれてしまうのです。

その後、根津さんの不幸はさらに続きます。

根津甚八は自宅付近で死亡事故を起こす

2004年7月6日、午前11時20分頃のことです。

東京都目黒区中根の交差点で、根津さんが運転していた乗用車が、67歳の男性をはねてしまいました。

男性は頭を強く打ってしまい、同日の午後5時すぎに亡くなります。

根津さんは業務上過失致死の疑いにより、書類送検されました。

交差点左側から男性が飛び出して来たことに、根津さんは気づけなかったのです。

信号機のない交差点だったためか、安全確認が遅れてしまったのでしょう。

あるいは手術の後遺症で、以前より視界が狭くなっていた可能性もありますね。

事故後、根津さんは所属事務所を通じて「ひたすらお詫びする」という思いを公表しました。

事故の3日後に営まれた被害者の通夜に参列したとき、根津さんは足元がおぼつかず、すっかり憔悴していました。

妻の仁香さんに支えられながら、沈痛な面持ちで会場へ入ったそうです。

焼香を済ませた後、親族席に向かって深々と頭を下げました。

その後は最後まで無言で宙を見つめていたそうです。

報道陣の呼びかけにも答えずに、うつむいたまま会場を去りました。

死亡事故を起こしてしまったというあまりに重い事実に、打ちのめされていたことがうかがえます。

根津甚八の死因は肺炎

死亡事故を起こした6年後の2010年、根津さんは引退して芸能界を去りました。

事故以来、体調を崩しがちになり、ヘルニア手術の後遺症で歩くこともままならない状況になっていました。

2009年にはうつ病を患い、引退後は自宅で療養生活を送ります。

2016年12月29日、肺炎により都内の病院で亡くなりました。

数々の病気や不幸に見舞われ、長く苦しい生活を送った末に世を去ったのです。

根津甚八はうつ病が引退理由

俳優業を愛し、芝居をすることが生きがいだった根津さん。

しかし病気や死亡事故、さらに金銭トラブルや最愛の母の死が度重なり、心身に大きなダメージを受けてしまいます。


体調の悪化により思うように演技ができなくなってしまい、2009年にうつ病を発症。

俳優生活40周年の節目の年になるはずだった2010年、ついに引退を宣言するのです。

療養生活中は投薬治療や医師の薦めによる日記の執筆に取り組んでいました。

日記からは復帰への思いがうかがえましたが、
「なぜ次々試練が降りかかる」「少しでも希望が欲しい」
という苦しい胸の内も吐露しています。

闘病中は自己嫌悪に陥り、生きる気力を失っていたようです。

根津甚八の唯一の復帰作

しかし晩年の根津さんの救いになる出来事がありました。

長男が難関私立大学の医学部に合格したのです。

さらに同時期の2015年、石井隆監督の映画『GONIN サーガ』で一度限りの復帰を果たしました。

20年前に公開された映画『GONIN』の続編で、根津さんは前作と同じく元刑事・氷頭要役を演じることに。

石井監督は前作で死んだ氷頭が生きていた設定にして、根津さんに出演してもらおうと計画したのです。

監督から熱心に誘われた根津さんは脚本を読み、
「これなら今の自分にもできる」
という気持ちになり、復帰を決意しました。

共演した東出昌大さんや桐谷健太さんは、大御所である根津さんの熱い役者魂に感銘を受けたそうです。

二度と再起できないと思われたものの、再び芝居をできたことは、大きな幸福だったことでしょう。

俳優復帰と息子さんの医学部入学が重なり、2015年は久しぶりに幸福を感じられた年になったはず。

根津さんは知人に向けて「息子と俺の春が同時にやって来た」と微笑みながら語っていたそうです。


翌年、妻の仁香さんと息子さんに見守られながら、安らかに息を引き取りました。

数々の不運に打ちのめされながらも、最期は周囲の気遣いや愛情に感謝しながら、穏やかに旅立てたのではないでしょうか。

天国では思う存分、芝居を楽しんでいることを願います。

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