李麗仙の若い頃の活躍!長渕剛との共演作。国籍は日本。夫・唐十郎と離婚&死去の原因は肺炎

李麗仙(りれいせん)さんは若い頃舞台を中心に活躍した女優。

活躍の場は舞台だけにとどまらず、テレビドラマでは長渕剛さんと共演したことも。

もともとは在日韓国人として生まれた彼女ですが、ある出来事をきっかけに日本国籍を取得。

彼女に帰化を決意させたのはどんな事件だったのでしょうか。

離婚した夫・唐十郎さんとの深い関係や、死去の原因についてもご紹介します。

李麗仙のプロフィール

本名:大靏初子(おおつるはつこ)

生年月日:1942年(昭和17年)3月25日

身長:162cm

出身地:東京都

最終学歴:東京都立広尾高等学校

所属事務所:不明

李麗仙「アングラの女王」と呼ばれた若い頃

李麗仙さんは1963年、日本名・星山初子の名前でデビュー。

それから数年経ったころから李礼仙に名前を変え、舞台を中心に女優として活躍しました。

彼女の若い頃についてその活躍や人柄がわかるエピソードをご紹介します。

演劇一色の若い頃

中学の頃に児童劇団に入団、その後高校時代には演劇部に所属。


高校卒業後は舞台芸術学院へ進むなど、かなり若い頃から演劇に専念してきたようです。

しかしこの学院は中退して、唐十郎さん率いる状況劇場に参加。

劇団では『腰巻お仙』、『二都物語』、『唐十郎版・風の又三郎』、『女シラノ』などに出演し劇団の看板女優として輝きを放ちます。

劇団結成当時は資金を稼ぐため「金粉ショーダンサー」として全国のキャバレーを飛び回ったこともありました。

ところで初めて聞く方は「金粉ショーとは何ぞや」と疑問に思われますよね。

金粉ショーとは、油を溶かした金粉を裸の全身に塗って踊るというもの。

李麗仙さんは若い頃に、かなり珍しい経験をしていたのですね。

また彼女は若い頃、個性的な演技から「アングラ演劇の第一人者」として名をはせました。

アングラとはアンダーグラウンド(地下)の略。

60年代のアメリカで生まれた地下運動で、反体制的、商業的な演劇に反する芸術的な演劇のことを指します。

李麗仙さんはアングラの女王として、アングラ演劇ブームを巻き起こしたのです。

若い頃の李麗仙さんが、日本の演劇界に残した爪痕はとても大きかったと言えそうですね。

若い頃の李麗仙は気風のいい姉御肌

状況劇場で活躍した若い頃の李麗仙さんを知る人によると、彼女は「気風のいい姉御肌」。

お金をもっているかどうかに関わらず、純粋なファンを大切にするような方だったようです。


なんでも彼女が参加していた状況劇場は、公演日の午後1時に整理券を発行していたそう。

李麗仙さんは、それより早い12時ごろに若いお客さんが並んでいるのを見かけると、とっておきのファンサービスを行っていたというのです。

その時間帯は団員が小屋の中で稽古しているので、「稽古見て行きなさい」とこっそり稽古を見学させていたのだとか。

お金がなくても演劇が好きだという学生ファンを大切にするとは、何とも粋でカッコイイ女優だったのですね。

李麗仙と長渕剛は『親子ジグザグ』で共演

李麗仙さんと長渕剛さんはドラマ『親子ジグザグ』で共演したことがありました。

同ドラマは1987年から放映されたホームドラマ。

長渕剛さんが主演を務め、李麗仙さんは長渕剛さん演じる下別府勇次の母親役を熱演。

「息子に散々苦労をさせられたため、復讐しようと上京してくる母親」というなんだかすごい役どころでした。

きっと迫力のある演技を見せてくれたのではないかと想像がつきますね。

ドラマが放映されて数十年が経った後も、李麗仙さんと言えばこの『親子ジグザク』の長渕剛さんの母親役だった人と記憶している方がとても多かったよう。

その証拠に2021年に彼女の死去のニュースが流れると、ネットには「親子ジグザグで長渕剛さんの母親役だった女優さんが亡くなった」という追悼の声が数多く寄せられました。

在日韓国人3世として生まれた李麗仙、家族のため日本国籍に

李麗仙さんは、在日韓国人3世として東京で生を受けますが、後に日本国籍を取得しています。

幼少期には国籍をからかわれることもあったそうですが、「何が悪い」と言い返す気丈さを持っていたという李麗仙さん。


そんな彼女は1975年に日本国籍を取得し、名前を大靏初子に改名しています。

日本国籍取得の背景には、その数年前に起こったある出来事がありました。

1973年自身のルーツである韓国では民主化運動が盛んで、それに対し政府が圧力をかけるという状況が続いていました。

そんな折、当時の民主活動家で後に大統領になる金大中さんが都内のホテルで拉致されるという事件が起こったのです。

李麗仙さんは、韓国の反政府運動に加担していた詩人の金芝河さんと親交がありました。

そのせいなのか、その年に彼女がバングラデシュ渡航用のビザを申請したとこ、ろ自身がブラックリストに登録されていることが判明するのです。

これに加え知人が逮捕されるなどの出来事も重なり、自身を取り巻く状況が危ういことに不安を募らせるようになっていきます。

結局は家族の安全を第一に考え、息子が小学校に上がった1975年に日本国籍を取得。

李麗仙さんの日本帰化の背景には、当時の社会情勢が関わっていたのですね。

李麗仙の離婚した夫・唐十郎、離婚後も盟友として交流

李麗仙さんの元夫は劇作家の唐十郎さん、2人の間には俳優・大鶴義丹さんが生まれています。

2人の出会いは李麗仙さんが舞台芸術学院の学生だったころ。

唐十郎さんが1963年に状況劇場を立ち上げると彼女もこれに加わります。

その後は看板女優として活躍しつつ、1967年に唐十郎さんと結婚。


結婚の翌年には一人息子の大鶴義丹さんが誕生しています。

公私ともに支え合う最良のパートナーに見えますが、2人は1988年に離婚。

結婚して21年後に離婚へと踏み切った元夫婦ですが、離婚理由ははっきりとは分かっていません。

しかし李さんは以前スポーツ誌のインタビューに対し次のように語っています。

これからは違う生き方をするのもいいんじゃないかと思ってね。

なんでも2人は状況劇場が始まってから25年、常に一緒にいて芝居をしてきたため、普通の夫婦の3倍は夫婦をした感覚があったそう。

そのためこれから先は友達になり、それぞれの道を進むのもアリという結論に達したということのようです。

離婚後唐十郎さんは状況劇場を解散し劇団唐組を結成、さらに私生活でも翌年に別の女性と再婚します。

一方で離婚前年に芸名を「李礼仙」から「李麗仙」に変えた妻は、テレビや映画へと活動の舞台を広げていきました。

演劇を通して強く結びついていた2人。

夫婦としては破局しましたが、離婚後も盟友として親交は続いていたと言います。

李麗仙79歳、肺炎により死去

李麗仙さんは2021年6月22日肺炎のため杉並区の病院で死去、葬儀・告別式は家族と近親者のみで執り行われました。


2018年に脳梗塞を発症してからは、息子・大鶴義丹さんと同居していた二世帯住宅を出て病院に併設された介護施設に入所していた李麗仙さん。

麻痺などの後遺症があったためリハビリを続けていたようです。

2021年の春に肺炎を患ってからは病院へ移り、入院生活を続けていました。

大鶴義丹さん曰く、病状は坂道を転がるように悪化していったそう。。

結局は病院から退院することもないまま2021年6月、肺炎によりこの世を去りました。

時期が時期なだけにコロナで死亡との噂もあったようですが、新型コロナウイルスとは関係がなかったようです。

息子は女優として人生を駆け抜けた母の死に寄せて次のようなメッセージを発表しています。

唯一無二のアングラ女優人生を全うして、一片の悔いなき人生だったと思います

元夫の唐十郎さんは死去の翌日自宅にお別れを告げに行き、最後は唯一無二の盟友であった元妻に次のような言葉をかけたと言います。

李麗仙、また逢おう!

女優・李麗仙さんの活躍は、いつまでも人々の心に残ることでしょう。


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