具志堅用高の妻が美人。娘と家族、兄弟について。石垣島の実家と母

憎めない天然キャラで、「ちょっちゅね」のおじさんというイメージが定着した具志堅用高(ぐしけん ようこう)さん。

プロボクサー時代は闘志あふれるファイトスタイルでヘビー級なみのKO劇を連発し、日本中を沸かせた世界王者でした。

今回は妻や娘をはじめ家族について、また歴史に残るチャンピオンを育んだ沖縄の実家の兄弟や母に迫ります。

具志堅用高の妻は評判の美人

WBA世界ジュニアフライ(現ライトフライ)級王座の13戦連続防衛を果たし、地元沖縄で迎えた14回目の防衛戦に敗れて現役を引退した具志堅用高さん。

現役生活に別れを告げたのは、新婚の妻ともよく話し合った結果でした。

2023年に結婚42年目を迎えた妻の名前は香澄さん。


出会った頃、まだ大妻女子大学の学生だった香澄さんは、具志堅さんがボクシングの世界王者であることを知らなかったそうです。

馴れ初めは、具志堅さんを「100年に1人の天才」と呼んだ協栄ジム初代会長・金平正紀さんと、香澄さんの父・滝田直(ただし)さんが友人だったこと。

1979年の春、父に連れられて協栄ジムをたまたま訪れた香澄さんは具志堅さんと出会います。

「優しそうな人」と感じた香澄さんと、「色白の美人だな」と思った具志堅さん。

1980年4月、チリのマルチン・バルガス選手をリングに沈めて12度目の王座防衛を達成したあと、「香澄ちゃんを嫁さんにもらっちゃえ」と背中を押したのは金平会長でした。

6月27日の婚約発表時、香澄さんは池袋サンシャインビルにある会社に勤務するOL。

職場の上司は、「仕事熱心な、よく躾けられた娘さん」と香澄さんを評しています。

結婚式を挙げたのは、1981年3月のことでした。

披露宴の費用は4億5000万円と報じられています。

香澄さんは評判の美人で、1983年頃にはライオンの台所洗剤ママローヤルのCMにも出演したことがありました。

具志堅用高、娘の結婚にショック。家族構成は?

具志堅用高さんは1男1女に恵まれました。

娘の麻衣さんは日本航空に勤務していた元キャビンアテンダントで、航空整備士の男性と結婚。

結婚の報告を受けた時は、とても寂しくて落ち込んでしまったという具志堅さん。

結婚式では、麻衣さんが読んだ手紙に感極まって号泣しています。

結婚後、麻衣さんは女児を出産。

2014年の映画のイベントには、具志堅さん、娘の麻衣さん、孫の栞菜(かんな)ちゃんがそろって登場。

娘とのテレビ共演はあるものの、孫娘と一緒にカメラの前に立つのは初めてだった具志堅さんは、「照れちゃうね、恥ずかしい」と顔を赤らめる場面も。

「じいじ」と呼ばれるのがうれしくてたまらない、カウンターパンチをもらっても痛くないよと目尻が下がりっぱなしでした。

一方、息子の用輔さんは、東京・代々木上原のファイヤーキングカフェで働いており、ファンもいるほどの人気者だったことがわかっていますが、2023年現在も勤務しているかどうかは確認がとれませんでした。

麻衣さんと同じく既婚者で、3女がおり、上の2人は双子なのだそう。

2015年の「イクメン オブ ザ イヤー」では、「イクジイ」のスポーツ部門に選出された具志堅さん。


「4人の孫は私のパワーの源」とコメントしていましたが、その後、5人目で初めて男児の孫が授かったことが明らかになりました。

ところで、具志堅さんの家族といえば、しばしばテレビ共演をしていた愛犬のグスマンはどうしているのでしょう。

世界王座獲得時の対戦相手ファン・ホセ・グスマン選手から名前をもらった白いボクサー犬です。

調べたところ、グスマンは2020年に天に召されたとのこと。

わが子のようにかわいがっていた具志堅さんですから、悲しみの深さは想像にかたくありません。

具志堅用高の兄弟姉妹について

具志堅用高さんは兄、姉、弟がいる4人きょうだいの次男です。

兄の用詳(ようしょう)さんは八重山観光フェリーの操縦士であり、船長です。

八重山観光フェリーは、主に八重山列島と石垣島の間を運航する老舗の海運会社。

本社は沖縄県石垣市にあります。

兄の用祥さんとは顔立ちがよく似ているため、具志堅さんが八重山観光フェリーの事務所を訪れた際に兄と間違われ、「お疲れさまでーす」と声をかけられたというエピソードも。

姉の宮里圭子さんは父・用敬(ようけい)さんの死後、石垣島にある具志堅用高記念館の運営を引き継ぎました。

弟に関しては情報がありません。

具志堅用高の実家と母・ツネ

具志堅用高さんは石垣島(沖縄県石垣市)で生まれ、高校入学で沖縄本島に渡るまで島で育ちました。

石垣島の実家は沖縄旅行の観光コースになっていたそうです。


父・用敬さんは戦後に石垣島に移住したカツオ猟師でした。

もともと用敬さんは琉球王朝時代の士族、允氏具志堅家(いんうじぐしけんけ)の血筋。

しかし明治になると琉球王朝は解体され、具志堅家は没落してしまいます。

母・ツネさんは「神の島」と呼ばれる久高(くだか)島の生まれです。

16歳の時に父をしけで亡くし、数か月後に母も病で失ったツネさんは、長女として5人の弟と妹の親代わりになるために石垣島に渡り、漁師のもとで住み込みで働くことになりました。

笑顔のかわいい働き者の女性の噂はすぐに広まり、用敬さんはツネさん一目惚れ。

2人は1947年に結婚します。

母親には「けんかをしてはだめ」「人を殴ってはだめ」とよく怒られたと振り返る具志堅さん。

ボクシングに打ち込む息子に両親は落胆します。

世界チャンピオンになった息子と2年ぶりに再会した父は、たったひと言「よかったな」とねぎらいの言葉をかけたそうです。

寡黙で無骨な父の精一杯の祝福だったのでしょう。

世界王者の母となったあとも、ツネさんは小さな鮮魚店を営みながら、これまでと変わらぬ生活を続けました。

1981年、具志堅用高さんは14回目の防衛戦を沖縄で迎え、ついに王座から陥落。

石垣島に戻った息子に、母は「ご苦労さま」とやさしく声をかけたそうです。


ツネさんは70歳でこの世を去りました。

相手がダウンしたあとも襲いかかろうとする闘志がニックネームの「カンムリワシ」そのものだった具志堅用高さん。

4年半の世界王座君臨は、まぎれもなく具志堅時代といえる一時代でした。

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