犬養道子と安藤和津の関係、夫と家系図について。老人ホーム秦野での晩年&若い頃の逸話

ヨーロッパ放浪を経て、評論家や難民救済に取り組む活動家として活躍した犬養道子(いぬかい みちこ)さん。

難民に支給する奨学金「犬養道子基金」の代表を務め、人道支援に96年の生涯を捧げました。

祖父の犬養毅をはじめ、家系図には有名人が名を連ねています。

エッセイストでタレントの安藤和津さんとも関係があるようですので、詳細を確認しましょう。

また夫について確認し、家系図をまとめます。

さらに老人ホーム秦野で過ごした晩年の様子、若い頃の逸話を紹介します。

犬養道子のプロフィール

本名:犬養道子

生年月日:1921年4月20日

死没:2017年7月24日

身長:150cm前後

出身地:東京都新宿区四谷

最終学歴:津田英学塾(現在の津田塾大学)中退、アメリカ・オランダ・フランスなどに留学

犬養道子と安藤和津は異母姉妹

道子さんの祖父は、戦前に内閣総理大臣を務め、五・一五事件で暗殺された犬養毅です。

父は犬養首相の息子である犬養健(いぬかい たける)、母はその正妻・仲子でした。


安藤和津さんも同じく父は犬養健です。

ただし母は、柳橋の芸者でのちに料亭「をぎ乃」の経営者となる荻野昌子でした。

つまり和津さんは、健が本妻以外の女性に産ませた庶子だったのです。

道子さんにとっては異母妹にあたります。

母が異なる異母姉妹は、ひと昔前であれば珍しくなかったのでしょう。

和津さんは父の健が51歳のときに生まれました。

後になって犬養家の正式な子供として認知されています。

結果的に和津さんは、犬養家の偉大なDNAの継承者に恥じぬ、立派な子孫を残すことになります。

犬養道子に夫はいなかった模様

道子さんの夫や子供について調べてみましたが、情報は見当たりませんでした。

つまり結婚せず、独身を貫き通して、文筆活動や人道支援に生涯を捧げていたようです。

直系の子孫は残していないことになりますね。

しかし犬養家の家系図は非常に華やかで、多くの有名人が子孫を残し続けてきました。

各方面に優秀なDNAが脈々と受け継がれているのです。

犬養道子の華麗なる家系図まとめ

道子さんの異母妹である安藤和津さんは、俳優の奥田瑛二さんと結婚しています。

夫婦の間に生まれたのが、映画監督の安藤桃子さんと女優の安藤サクラさんです。

特にサクラさんは映画『万引き家族』での演技が世界的に評価され、日本を代表する女優としての地位を確立していますね。

犬養毅の子孫たちは、政界ではなく、映画界・芸能界で華々しく活躍してきたのです。

ちなみに奥田瑛二さんの父親は、当初は息子と和津さんとの結婚を許しませんでした。

奥田さんは政界とは関係のない民間人で、しかも売れない俳優だった頃は野宿をするほどの極貧生活を送っていました。

父親としては立派な家柄に生まれた和津さんと、「不出来な息子」は釣り合わないと考えていたのです。

「不良息子の元にお嬢様が来るものではない」と言って、2人の結婚に反対します。

奥田さんを心から愛していた和津さんは「そんなことはありませんから、なんとかお許しください」と頭を下げたそうです。

本来であれば奥田さんが犬養家の人々に頭を下げると思われますが、この2人の場合は立場が逆だったのですね。

特殊なケースではありましたが、なんとか許しを得て、めでたくゴールインしました。

緒方貞子は犬養道子の従姉の娘


またほかにも道子さんの家系図には、日本人初の国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんがいます。

難民救済に生涯を捧げた偉大な日本人で、道子さんにとっては従姉の娘にあたります。

道子さんと異なり貞子さんは、ハードな仕事の傍ら、結婚して家庭をもうけました。

息子の緒方篤さんは映画監督で、短編映画『不老長寿』や長編映画『脇役物語』などを手掛けています。

優秀ドイツ・ビデオ賞をはじめ海外の映像・映画賞に輝く、優秀な映画人です。

犬養家からは映像分野に秀でた人材が多数輩出されていることがわかりましたね。

犬養道子は晩年に老人ホーム秦野で生活

道子さんは神奈川県にある老人ホームで晩年を送りました。

生活していたのは老人ホーム秦野とされています。

自然に恵まれた場所で、よく庭を散歩していたようです。

クリスチャンだったため、老人ホームで生活中も、車に乗せてもらい教会へ通っていました。

若い頃からライフワークとして聖書の研究にも取り組んでいた道子さん。

きっとホームの入居者たちやスタッフを相手に、聖書の知識を披露することもあったのでしょうね。

2017年7月24日に老衰により96歳で亡くなった場所も、この老人ホームでした。

カンボジアやアフリカ諸国など紛争地を飛び回る壮絶な日々を経て、晩年は平穏な生活を手に入れたのです。

神奈川の地で静かな晩年を送りながらも、世界の情勢には常に目を光らせていたに違いありません

犬養道子の若い頃の逸話

道子さんはNHKのニュース解説員を経て、「婦人公論」誌の特派員となり、ヨーロッパで仕事をしました。

徐々に社会問題に取り組み始め、1979年からは世界の難民問題に関わり始めます。

そんな彼女の原点は、27歳で哲学や聖書学を学ぶため渡米したときの体験にありました。


1948年当時は日本が第二次世界大戦で敗戦したばかりでした。

道子さんはアメリカで人種差別を受け、つらい日々を送っていたそうです。

慣れない環境の中でついに体調を崩して入院。

「不治の病」と呼ばれていた肺結核を患っていることがわかりました。

医者からはロサンゼルス近郊のモンロビアに優秀な施設があるため、そこで治療を受けるようすすめられます。

しかし施設には、ニューヨークから特急の列車で5日もかけて行く必要がありました。

乗車賃がなかった道子さんは、留学仲間たちに頼んで、必死にお金を集めます。

治療費は日本の両親がなんとか工面すると約束してくれたため、集まったお金で列車に乗り込みました。

列車内でも発熱と嘔吐に苦しんだ末、3日目には食べ物が底を尽きました。

最後のお金でジュースを買ったとき、ジュースを持って来てくれた車掌に「重病ですね」と声を掛けられます。

道子さんは、モンロビアで肺結核の治療を受ける途中であることを話しました。

すると車掌は翌日に、ジュースとサンドウィッチを無料で渡してくれたのです。

さらに4日目の夕方には、車内放送が流れます。

「日本人の重病の女子留学生が乗っています。鉄道省に電報を打った結果、列車をモンロビアで臨時停車させるよう指令が来ました」

なんと列車は道子さん1人のために、臨時停車することになったのです。

モンロビアに停車し、道子さんが駅で待機していた看護師たちに介抱されると、列車の窓から乗客たちが紙吹雪のようなものを投げて来ました。

名刺や連絡先を書いた紙に、ドル紙幣を挟んだものでした。


見知らぬ乗客たちの好意によって、道子さんは3年におよぶ入院生活を経て、無事に退院。

旅費も治療費も、乗客たちが支払ってくれたのです。

道子さんが人道支援に邁進したのは、この体験があったからこそ。

人間のすばらしさを実感していた彼女にとって、困っている人に手を差し伸べるのは当たり前の行為だったのですね。

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