タレント活動や講演会、コメンテーターなど多岐にわたって活躍中のエッセイスト、安藤和津(あんどう かづ)さん。
奥田瑛二夫人としても知られていますが、祖父は教科書でおなじみの犬養毅ということを知る人は少ないかもしれません。
この記事では安藤さんの実家の家族にスポットをあてました。
父、母、兄はどんな方なのでしょう。
また愛人の子に生まれた婚外子でありながら箱入り娘として育てられた生い立ちにも迫ります。
安藤和津の父は元法務大臣・犬養健(いぬかいたける)
安藤和津さんの父は、五・一五事件で首相在職中に暗殺された犬養毅の三男(次男とする資料もある)・犬養健さんです。
健さんの実母は毅の正妻ではなく、斎藤仙さんという芸妓でした。
長兄の廃嫡後、健さんは犬養家の嗣子に。
東京帝国大学哲学科を中退したのち、大正期には『白樺』第二世代の作家として活動していましたが、元号が昭和となった年に断筆。
その後、政界に転じて親子2代の政治家となり、第2代・第3代の法務大臣を務めました。
犬養毅が話題なので豆知識。
犬養毅の三男である犬養健、ゾルゲ事件事件における関与が疑われ起訴されてたり、父が辛亥革命で有名な孫文をはじめとする中国革命家を支援していた関係もあり、影佐禎昭や今井武夫らとともに、泥沼化する日中戦争期間中、和平工作に全力を注いでたりする。 pic.twitter.com/PXZ3eXO3t9— 横山少佐@皇道派(TS昭和維新) (@daitouayokoyama) July 28, 2019
健さんは仲子夫人との間に1男1女をもうけており、うち長女が評論家の犬養道子さん。
安藤和津さんの母は仲子夫人ではなく、荻野昌子さんですから、道子さんは27歳年上の異母姉にあたります。
荻野昌子さんの没年や享年から逆算すると、昌子さんと健さんの年齢も親子ほどの違いがあったことがわかります。
安藤さんは父が51歳のときに婚外子として誕生し、のちに認知されました。
年の離れた親子だったため、祖父と孫にみられることが多かったそうです。
ところが1960年8月28日、健さんは64歳の若さで他界。
安藤さんはまだ中学1年生でした。
上智大学中退後にイギリスに留学したのは父の遺言だったそうです。
安藤和津の母・荻野昌子は元芸妓
安藤和津さんの母・荻野昌子さんは東京・台東区柳橋の芸妓でした。
女学校をやめて花柳界に身を投じたのは、実家の石材店が倒産したから。
その後健さんと出会い、芸妓をやめて料亭「をぎ乃」を切り盛りするようになりますが、この資金繰りには健さんのサポートが少なからずあったでしょう。
健さんの葬儀では、犬養家の親族席に座らせてもらえなかった愛人とその娘。
けれど昌子さんは、「ふん、それがなんだっていうのよ」と歯牙にもかけなかったといいます。
母は江戸っ子気質で、さっぱりした性格だった、と安藤さん。
【#安藤和津 出演情報】
3/31(水)
NHK Eテレ「ハートネットTV 私のリハビリ・介護」
20:00〜20:29安藤和津が出演致します。
是非ご覧ください!https://t.co/ZdjVKdmggg pic.twitter.com/0MIL0Pi5av— 安藤和津STAFF (@office_kazz) March 30, 2021
健さんの没後は、娘を「パパからもらった宝物」と呼んで溺愛した昌子さん。
口うるさいほど厳しく管理して育てたのは、愛娘への深い愛情の表れだったのでしょう。
昌子さんが82歳で亡くなったのは2006年4月15日でした。
おむつの交換や介護食を作るなど、すべてを注ぎ込んだ介護生活は助走期間を含めると12年に及んだそうです。
介護中も看取ったあともうつに苦しんだ安藤さんでしたが、のちに寛解。
こうした体験をもとに『オムツをはいたママ』『“介護後”うつ 「透明な箱」脱出までの13年間』を上梓したほか、介護経験をテーマにした講演も行っています。
安藤和津の異母兄は犬養康彦。もう一人の兄とは
安藤和津さんには、父・健さんが正妻との間にもうけた20歳年上の異母兄がいます。
名前は犬養康彦さん。
康彦さんは学習院大学を卒業後、共同通信社に入社。
1991年から1998年まで社長を務め、退任後は相談役として活躍しました。
2015年7月12日、虚血性心疾患のため87歳で亡くなっています。
安藤和津さんの兄として一般的に知られているのはこの康彦さんなのですが、じつはもう一人兄がいるようですね。
2010年9月、安藤さんはロドリゴ・ガルシア監督の映画『愛する人』のプレミア上映に、娘で映画監督の安藤桃子さんと出席。
その際のトークショーで、生き別れの兄を思い出して涙ぐむ一幕がありました。
ご本人の言葉によると、母は兄を産んでまもない頃に兄を手放さざるをえなくなり、それからは会うこともままならず、ずっと兄のことを気にかけながら生きていたとのこと。
安藤さんの言う「母」とは、実母の昌子さんとしか考えられません。
仮にその兄が父方に引き取られたとすれば、父親は犬養健さんとは考えにくいですね。
また健さんには、康彦さん以外の息子の情報もありません。
この兄とは7歳違いで、安藤さんが15歳の頃に白血病で死去したとの情報がありますが、残念ながらソースが不明で定かではありません。
安藤和津の実家と生い立ち
実家は都内でたびたび引っ越し
実家は安藤和津さんの成長に伴い、たびたび変遷しています。
母・昌子さんが経営する「をぎ乃」は、前を隅田川が流れる一等地にあり、当時としてはモダンな洋式トイレがあるほど贅を尽くした料亭でした。
幼少期の安藤さんは、「をぎ乃」の2階で母と暮らしていたようです。
小学校にあがる頃になると、母が料亭の真向かいに建てた家で祖母や叔母ら親族との同居生活がスタート。
昌子さんの母や妹にあたります。
中学生になる頃には、料亭街は娘の育つ環境としてよろしくないと考えたのか、千代田区麴町の庭付きの戸建てに転居。
さらに20歳を迎える頃、母は「これからは、あなたの花嫁修行につきあうわ」と宣言して、「をぎ乃」をたたんでしまいます。
この時に購入した港区のマンションには、マンション内で数度の引っ越しを繰り返しながら、長く居住することになりました。
生い立ちは裕福な箱入り娘
婚外子として生まれた安藤さんですが、育った環境はとても裕福でした。
学習院初等科から高等科を経て上智大学に進学し、その後イギリス留学したことも、お嬢様育ちを物語る学歴といえるでしょう。
幼い頃から自分専用のお手伝さんがつき、中学3年生まで自分でお金を払って買い物をしたことがなかったそうです。
当然ながら、日常生活にも母の厳しい目が光ります。
日記を読まれるのは序の口で、外出先で証人つきの連絡を入れさせられるのも当たり前。
「一人で電車に乗ってはいけない」「授業が終わったら連絡を入れなさい」と、母の管理は続きます。
窮屈な生活の反動か、イギリス留学中は解放感にひたっていたのだそう。
今夜くらべてみました。
安藤 和津さんの家系・・・どっどっどうなってんの?
コレ終戦の5年後の写真て…。 #今夜くらべてみました pic.twitter.com/NwK1UhSriJ— テレビっ子マン (@R8qj4c) December 31, 2016
昌子さんの厳しすぎる管理からは、娘を大事に思う気持ちが伝わってきます。
そこには妾の子でも立派に育てあげてみせるという意地があったのかもしれませんね。
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