三浦朱門の息子は人類学者、孫は一般人。妻の曽野綾子が介護。死因の病気とは

『箱庭』や『武蔵野インディアン』などの代表作がある作家で、元文化庁長官でもあった三浦朱門(みうら しゅもん)さん。

息子さんとお孫さん、奥さんに恵まれ、晩年は家族に支えられながら生活していたようです。

朱門さんを支えた家族の詳細を息子、孫の順に見ていきつつ、妻で作家の曽野綾子さんによる介護の様子に迫ります。

また死因となった病気が何だったのか確認します。

三浦朱門のプロフィール

本名:三浦朱門

生年月日:1926年1月12日

死没:2017年2月3日

身長:不明

出身地:東京府豊多摩郡東中野(現在の東京都中野区)

最終学歴:東京大学文学部言語学科

三浦朱門の息子は人類学者の三浦太郎

朱門さんと曽野さん夫婦の長男・三浦太郎さんは、人類学者として活動してきました。

東京都立三田高校から南山大学文学部人類学科に進学。

専門はフィリピンにおけるイスラーム社会やスールー王国の歴史などで、世界史に近い分野を研究しています。


南山大学の大学院まで進み、人間文化学研究科人類学専攻の修士課程および博士課程で学びました。

大学在学中から、女性週刊誌「女性セブン」でコラムを執筆し、文筆家として活動していました。

また中央競馬や国際競馬の評論活動にも取り組み、英知大学(のちの聖トマス大学)の教授時代には、園田競馬場に「英知大学賞」を設けます。

母である曽野さんは太郎さんをモデルにした小説『太郎物語』を発表しました。

高校編と大学編に分けて太郎さんの青春を描いた同作は、1980年にNHKが『太郎の青春』としてドラマ化しています。

また太郎さんの妻・三浦暁子さんも、文筆家として活動しています。

上智大学文学部に在学中、三田高校の先輩だった太郎さんと結婚しました。

偉大な作家夫婦の家庭に嫁入りしたことで、恋愛論や結婚論などを執筆するようになります。

エッセイを中心に人物評伝も執筆してきました。

文筆家一族のため、お互いの文章を批評し合うこともあったのかもしれませんね。

三浦朱門の孫は一般人

太郎さんには複数の子供がいるため、朱門さんは多くの孫たちに囲まれていました。

孫たちは一般人のため詳細は不明ですが、一時期はイギリスに暮らしていたそうです。

朱門さんが体調を崩して入院したときは、イギリスから日本までお見舞いにやって来ました。

そのまま朱門さんは孫たちに見守られて息を引き取ります。

かわいい孫たちに囲まれて、最期の瞬間は幸せを感じていたのではないでしょうか。

孫たちが心から祖父を慕っていたことがわかるエピソードですね。

三浦朱門を妻の曽野綾子が介護

朱門さんが亡くなるまでおよそ1年間、妻の曽野さんが自宅介護をしていました。

曽野さんは「介護中は一日中、夫の食べ物について考えていました」と当時を振り返っています。

どのような食べ物なら問題なく食べてくれるのか、考えるのは一苦労だったことでしょう。

朱門さんはよく歩く健康的な人でしたが、晩年はたびたび転倒するようになっていました。

自宅の中は段差がなかったため、介護生活に入ってからは車椅子を使って移動していたそうです。

朱門さんには介助ボランティアの経験があったため、車椅子を扱うのに慣れていました。

家の中を自由に動き「僕は車椅子を自分でこげる。だからどこにでも行ける」という様子を見せていたといいます。

そのため自分で冷蔵庫に行って、好きなタイミングでビールを飲むこともあったそうですよ。

ただ入浴については苦労をしていました。

曽野さんが朱門さんを浴槽へ移すのに失敗してしまい、洗い場に横たわらせてしまったことがあるのです。

なかなか夫を持ち上げられなかった体験は、曽野さんのトラウマになりました。


そのためしばらくは椅子に座って、シャワーだけを使うようにしたそうです。

ヘルパーさんが来てからはようやく入浴できるようになりました。

食欲もあり健康的だった朱門さんですが、徐々に衰弱していきます。

亡くなる直前、自宅へ往診に来た医師から「血中酸素が少ない」と告げられ、緊急入院。

入院当初は冗談を言う余裕もありましたが、その後は意識がなくなり、8~9日間眠り続けました。

最期の朝、曽野さんは病院で夫の呼吸が停止したことに気づきます。

夫とともにクリスチャンだった曽野さんは、人間の死を常に覚悟していたため、決して驚きませんでした。

窓の外では朝日が昇ろうとしている中、夫の髪の毛を優しくなで続けたそうです。

三浦朱門の死因となった病気は肺炎

2017年2月3日、朱門さんは朝日が昇るタイミングに合わせたかのように、天国へ旅立ちました。

死因となったのは間質性肺炎です。

肺胞を支える組織「間質」が炎症を起こす病気で、呼吸困難、呼吸不全などの症状が出ます。

乾いた咳が続き、治療薬の副作用や感染症などが原因で、容体が急変することもある病気です。


朱門さんは91歳と高齢だったため、肺の機能が衰弱して、容体が悪化した後はそのまま亡くなったのでしょう。

妻、息子、孫に愛された作家は、穏やかに昇天したのです。

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