1971年に漫画誌「月刊漫画ガロ」に掲載された『かんのむし』でデビューした漫画家の花輪和一(はなわ かずいち)さん。
多くの作品に「毒親」と呼ばれる、子供に悪い影響をもたらす親が登場します。
花輪さん自身も愛情を注いでくれない親のもとで育ったため、トラウマを作品に反映してきました。
両親が亡くなった現在、親へのトラウマは克服できたのでしょうか。
特殊な生い立ち、刑務所服役の経験をチェックしたうえで、丸尾末広さんとともにガロの代表格となるまでを見ていきます。
花輪和一のプロフィール
本名:花輪和一
生年月日:1947年4月17日
出身地:埼玉県大里郡寄居町
最終学歴:中学校
花輪和一の毒親、冷たい母親と粗暴な義父
花輪さんは毒親を作品に登場させることが多いですが、自身も両親から悪い影響を受けていました。
毒親の概念を初めて知ったのは、花輪和一氏の「刑務所の中」の以下を読んだ時でした pic.twitter.com/gETQixpkJh
— 竹村 (@BambooMura) January 28, 2021
幼少期の時点で父親を亡くし、3~4歳の頃に母親が再婚。
その後、一緒に暮らすことになった義理の父親のことが大嫌いでした。
義父は粗暴な性格で、夜中に茶碗や鍋を投げることも多くあったそうです。
花輪さんは当時の家庭について「もう地獄。アウシュビッツ収容所の記録映像を見て、俺の家と同じだと思った」と語っています。
過酷な労働と殺りくが行われたナチスドイツの収容所に例えたくなるほど、家庭はすさみ、崩壊していたのです。
父親だけでなく、母親も冷淡な性格で、愛情を注いでくれなかったそうです。
花輪さんは大人になってから、かわいそうな相手に同情を感じられない、鈍感で冷たい人を嫌ってきました。
母親が非情な性格の人だったため、同じような性格の人を憎むようになったのでしょう。
どれほど母親が非情な人だったのかがわかるエピソードがあります。
花輪さんが田舎に帰ったとき、飼い犬の顔に大きなダニがたかっていたそうです。
「なぜ放っておくのか、かわいそうではないか」と母親に訴えると、「鈍くて犬の気持ちがわからないんだよ、なんでかわいそうって思えないのかな」と答えたそうです。
母親は花輪さんをなでることも、抱きしめることもありませんでした。
誰かに愛情を注いだり、共感したりすること自体が不可能な人だったのですね。
花輪さんは義父に怯えていたため、母親に甘えることもできなかったそうです。
同時に親を憎んだこともなかったといいます。
ほかの家庭の様子を知らないため、自分の親のやり方が正しいと思い込んでいたのです。
母親が亡くなったのは花輪さんが36歳のとき。
それから10年ほど経ち、母親の存在が遠く感じられるようになった結果、ようやく自分の家が異常だったことに気づき始めました。
幼少期は「ものすごくストレスを受けて、それが当たり前になって、自分の気持ちが混乱していた」と振り返っています。
自分の感情がわからず、思考が停止してしまった結果、親に不満ひとつ言えなかったのですね。
本当は母親が生きている間に、「寂しかった」「傷ついた」と言葉をかけたかったはず。
「親が異常だと、子供は一生引きずる」と語る花輪さん。
幼少期にため込んでしまった負の感情を吐き出すため『刑務所の前』などの代表作に、毒親の姿を描き続けたに違いありません。
花輪和一は現在、北海道在住
花輪さんは2023年に76歳を迎えますが、特に病気の情報などはないため、お元気で過ごしているのではないでしょうか。
詳しい情報がないため近況について断定はできないものの、数年前の情報によると北海道で暮らしているそうです。
母親への複雑な感情を抱き続けているとはいえ、その死によって幼少期のトラウマからは解放されたのではないでしょうか。
昔は自分の感情がわからなかったものの、今は幼少期の自分が「苦しい」と感じていたことに気づけただけでも大きな変化ですよね。
花輪さんはあまり外で声をかけられるのが好きではないため、「隠れているのがいい」と語っています。
今は作品も発表せず、ファンとも距離を保ちながら、ひっそりと平穏に暮らしているのでしょう。
花輪和一の過酷な生い立ち
花輪さんは先述の通り、冷たい母親と粗暴な義理の父親のもとで暮らしました。
暴れ回る父親を憎み、「死ね」と心の中で呪い続ける日々を送ります。
15歳で両親から逃れるように埼玉の実家を出て、東京の工場に勤務しながら、雑誌の挿絵を描き始めます。
やがて伝説の漫画雑誌「ガロ」の漫画家としてデビューしますが、両親に対する負の感情から解放されることはありませんでした。
北海道に渡った理由は、「津軽海峡を越えれば両親から解放されるかもしれない」と考えたためです。
実際に花輪さんは数珠を握りしめて津軽海峡を越え、北海道に渡りました。
花輪さんのあらゆる行動は、両親に対する負の感情が土台になっていたのです。
花輪和一は刑務所服役の経験あり
1994年12月11日、花輪さんは銃刀法違反の疑いで北海道警察および警視庁に逮捕されてしまいます。
銃やメカが好きで、改造モデルガンや壊れた拳銃を修理したものなどを所持していたためでした。
懲役3年の実刑判決を受けた結果、逮捕の翌年から札幌刑務所、函館少年刑務所で服役しました。
1997年9月4日に仮釈放され、2000年に獄中での経験を描いた漫画『刑務所の中』を発表しています。
獄中で書き溜めていたイラストやメモ、日記を参考資料とし、当時の様子をリアルに描きました。
同作からは独房の構造や「クサい飯」の実態、トイレに行く方法、看守や囚人との関係などを知ることができます。
特に「クサい飯」と呼ばれてきた刑務所で提供される食事は、意外にもおいしそうであることがわかり話題となってきました。
花輪和一先生の『刑務所の中』は
ジャンルとしてはグルメエッセイに近い🤔 pic.twitter.com/gTRtyAEAi6— しばたみつまるWF7-5-2 (@mitsumaru_shiva) March 4, 2021
花輪和一先生の"刑務所の中"
恐ろしく寒々しい内容を想像したのだが、実はグルメ漫画だった
刑務所の中に出てくる食べ物の描写が細かくて旨そうで驚いたよね pic.twitter.com/Wt8iISxBfR— 外薗昌也@鬼畜島 パンプキンナイト 闇異本 犬神連載中 (@hokazonomasaya) April 27, 2018
常に監視され、看守の号令によって行動する生活の様子。
管理下に置かれた一日はあっという間に過ぎて行くそうです。
同作を読んでリアルな刑務所の様子をのぞいてみるのも、新鮮な体験になるかもしれません。
花輪和一と丸尾末広はガロの代表格
花輪さんは丸尾末広さんとともに、漫画誌「月刊漫画ガロ」の看板漫画家として活躍しました。
丸尾末広先生の絵が好きだから、
今は「少女椿」しか持ってないけど他の本も集めたい… pic.twitter.com/uWNjA2B3CS— ハナコ (@ha__na__ko0802) February 9, 2022
丸尾さんは『少女椿』『犬神博士』『芋虫』など、怪奇的な作品で知られる漫画家です。
花輪さんもまた「耽美系」や「猟奇系」などと評される漫画家で、丸尾さんと「ガロ」の二大看板スターとなりました。
花輪和一先生、丸尾末広先生が作画されたチラシも出てきた。合田佐和子画伯のチラシは、ものすごく好きで机の前に貼っていたのでボロボロになってしまった。年号が書いてないのでいつのチラシかわからないが「寺山修司2年ぶりの新作書下ろし」などの惹句も。『青ひげ公の城』は寺山存命中の演出作品。 pic.twitter.com/pyMWE1R7cZ
— 秋山あゆ子 (@aa6464) January 23, 2020
1964年に創刊された「ガロ」は2002年頃に廃刊となります。
廃刊後も2人は交流を続けていたようで、2017年には一緒にインタビューを受けていました。
時おり会っては、漫画談議に花を咲かせているのではないでしょうか。
丸尾さんは2023年現在も現役の漫画家です。
花輪さんは2020年代以降、活動していない様子ですが、盟友である丸尾さんとは連絡を取り合っているのかもしれませんね。
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