松谷みよ子の娘は作品のモデル。夫は文筆家で離婚後も家族愛。自宅取り壊し&89歳で死去

『モモちゃんとアカネちゃん』で知られる児童文学作家の松谷みよ子(まつたに みよこ)さん。

今回は主人公のモモちゃんのモデルとなった、実の娘さんが現在どうしているのか見ていきましょう。

また人形劇団の座長だった夫と離婚した背景を見ていき、家族の情報をまとめます。

また自宅の現在(2023)と、死去した際の詳細を娘さんの証言も交えて確認します。

松谷みよ子のプロフィール

本名:松谷美代子

生年月日:1926年2月15日

死没:2015年2月28日

身長:不明

出身地:東京市神田区元岩井町(現在の東京都千代田区岩本町)

最終学歴:東洋高等女学校(現在の東洋女子高等学校)

松谷みよ子の娘はモモちゃんとアカネちゃんのモデル

「モモちゃんとアカネちゃん」シリーズは、作者の実体験を土台に書かれた、松谷さん一家の自伝ともいえる作品です。

主人公・モモちゃんのモデルは長女の瀬川たくみさん。

晩年は母の面倒を見て、2015年2月28日に松谷さんが息を引き取る際も傍らで見守りました。


またモモちゃんの妹アカネちゃんのモデルは、次女あけみさんです。

多くの子供たちは「モモちゃんは私」「アカネちゃんは私」と思いながら作品を読んでいたに違いありません。

きっと「本物のモモちゃんとアカネちゃん」である姉妹は、子供たちの夢を壊さないようあまり表舞台に出ないようにしていたのでしょう。

「モモちゃんとアカネちゃん」シリーズは、かわいらしい姉妹のほのぼのとした日常を描く作品ではありません。

やや寂しい雰囲気の作品のため「怖い」と感じた子供たちもいるのではないでしょうか。

児童文学でありながら、両親の離婚や死の影などの重いテーマと向き合った作品です。

松谷さんの娘さんたちは、確かに特殊な家庭で育ち、両親の離婚を経験していました。

松谷みよ子の夫は瀬川拓男

松谷さんの夫だった瀬川拓男さんは、民話の収集に取り組んだ文筆家です。

人形劇団「太郎座」の主宰者として、劇の脚本・演出などを担当した演劇人でもあります。

木下順二さんをはじめとする文筆家たちが民話論争を展開していた時代。


瀬川さんは「机上の空論」を否定し、松谷さんとともに各地方を歩き回って、土地に伝わる民話を語り部から直接聞きました。

収集した物語は夫婦の共著『信濃の民話』『秋田の民話』として出版されたほか、全12巻の『日本の民話』にまとめられています。

そんな瀬川さんが松谷さんと出会ったのは1952年のこと。

交際を始め、翌年には婚約しました。

松谷さんが発表した『龍の子太郎』を劇団太郎座で人形劇として上演し、全国巡演を果たしています。

同作は共同映画によって映画化もされました。

夫婦は協力し合いながら、文化芸術活動にいそしんでいたのですね。

松谷みよ子は離婚後も瀬川拓男を家族と思っていた

太郎座は舞台やテレビで公演を行い、順調に活動していました。

しかし運営を巡って意見の食い違いが生じ、古くからの座員が次々と辞めてしまいます。

瀬川さんは新しいメンバーを採用したものの、松谷さんは彼らとの相性が悪く、夫との間にも溝を感じるようになりました。

こうして1967年3月、離婚を申し出て娘さんたちとともに家を出たのです。


長女のたくみさんは当時10歳でした。

母が本当は夫を愛し続けていたことをずっと感じていたそうです。

松谷さんが亡くなる前、たくみさんは「パパの隣のお墓に入る?」と質問しました。

すると松谷さんは「いいね」と答えたそうですよ。

娘さんが感じていた通り、本当は夫といつまでも一緒に暮らしたかったのかもしれません。

しかし演劇活動へのこだわりによってすれ違いが生じ、やむを得ず離婚したのでしょう。

1970年に瀬川さんは演劇活動を休止。

この時期から心臓発作に見舞われるようになり、1975年12月12日に突発性心筋症で亡くなりました。

46歳の若さで亡くなった夫に代わり、松谷さんが手続きをして、有限会社太郎座は解散したのです。

元夫と永遠に別れても、彼を家族として考えていたことがうかがえますね。

松谷みよ子の自宅は取り壊し

松谷さんは存命中、東京都練馬区の自宅に法人を置いて「有限会社松谷みよ子事務所」を運営していました。

母の死後は2人の娘さんたちが協力して、滋賀県大津市に個人事業として事務所を移しています。

2021年3月、松谷さんが練馬の自宅で開いていた図書館「本と人形の家」の取り壊しが決まりました。

図書館として愛された場所が更地になり、娘さんたちは複雑な気持ちになったに違いありません。

蔵書は大津の事務所に移されたのではないでしょうか。

なんとか記念館を建てて、誰もが気軽に利用できる図書館も併設できれば理想的ですね。

松谷みよ子は89歳でかっこよく死去

89歳で老衰によって亡くなった松谷さん。

たくみさんは「かっこよく亡くなりました」と語っています。


亡くなる前、母娘は数日間、病室でオルゴールやCDなどをかけて音楽を楽しんでいました。

『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』などのバレエ音楽のほか、エディット・ピアフの曲を聴いていたそうですよ。

寝た状態ではありましたが『白鳥の湖』が流れたときは気分が高揚したのか、踊っているつもりで身体を動かしていました。

穏やかに息を引き取ったのは2015年2月28日のこと。

桜が満開の4月4日にお別れの会が営まれました。

生前「こんなふうに死んでみたい」と望んでいたのは、西行法師の歌に描かれた旅立ちの様子。

「願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」

思い描いた通りの見事な最期を迎えたのですね。


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