真樹日佐夫(まき ひさお)さんは『あしたのジョー』『タイガーマスク』などの漫画原作を手掛けた人です。
同じく漫画原作者で『空手バカ一代』などの代表作がある兄・梶原一騎さんに紹介され、空手を始めました。
ストリートファイトでも無敗だったとされ、数々の武勇伝が語り継がれています。
ただ武勇伝の信ぴょう性について疑問の声を投げかける人がいるのも事実。
今回は真樹さんの実力と強さ、若い頃の逸話の信ぴょう性に迫りつつ、息子、娘、妻など家族の詳細も確認します。
真樹日佐夫のプロフィール
真樹先生最高だな~✨
強くて優しくてお茶目で頭がいい。
古くからの弟子達について語る場面では、僕らは何度も聞かされた話だけど、やはり涙が出てくるな。#真樹日佐夫https://t.co/GlPJgLHyDM— 真樹道場横浜北支部(裕太支部長) (@2DEP4yjF7infOlu) April 14, 2022
本名:高森真土
生年月日:1940年6月16日
死没:2012年1月2日
身長:不明
出身地:東京市渋谷区穏田
最終学歴:自称早稲田大学中退
真樹日佐夫の実力&強さにはさまざまな意見あり
かつて銀座では「真樹日佐夫と喧嘩をするな」と言われていました。
相手が10人いたとしても1人で全員を倒したとされています。
元極真会館総本部師範代、世界空手道連盟真樹道場宗師など格闘家としていかにも権威がありそうな肩書を持っていました。
肩書を見るだけでもかなり強そうですし、相手が誰であっても喧嘩に負けなかったという話ばかり残っているのです。
しかしその実力と強さには、疑問の声も上がっています。
「本当にそこまで強かったのか?」「本当は弱かったのではないか?」
これらの声が上がる理由を見ていきましょう。
かつて真樹さんが師範を務めていた極真会の道場に通っていた人の証言を紹介します。
道場で1人だけゼエゼエと苦しそうな息遣いをしている人がいたため誰かと思ったら、真樹さんだったそうです。
大会には一度も出場しておらず「実は弱かったのでは?」と思われても不思議ではなかったといいます。
また元極真会員の中村忠さんの著作『人間空手』には、「真樹さんは強いとか上手いとかいうレベルではなかった」との記述がありました。
実際に真樹さんの道場に通っていた人々の証言ですから、信ぴょう性は高そうですよね。
ただ真樹さんに反発していた勢力の思惑によって「実は弱かった」という証言が浸透している可能性もあるのではないでしょうか。
そもそも本当に弱ければ道場の師範が務まるはずがありません。
伝説的なエピソードには誇張が混ざっている可能性もありそうですが、一定以上の実力があった可能性が高いと考えられます。
真樹日佐夫の若い頃の逸話
真樹さんは決して弱かったわけではなく、それなりに強かったことは事実でしょう。
しかし若い頃の伝説的なエピソードには「本当にそのようなことがあったのか」と疑問を呈したくなるものが多くあります。
中には「日本一強い」とされたヤクザと喧嘩して、見事に勝ったというエピソードも。
またかつて道場生だった麻原彰晃に何度も稽古をつけていたという逸話もありました。
ただすべてのエピソードに目撃者の証言があるわけではないため、真相が不明なものも多いです。
真樹さんを慕う人々は、格闘家としての強さだけでなく、人間性に魅了されている印象があります。
だとすれば慕う人々によってエピソードが誇張された可能性が高いのではないでしょうか。
真樹さんがヤクザのようにサングラスをかけて、若者を引き連れながら銀座界隈を歩く姿は非常に目立ったそうです。
人々はただならぬ雰囲気に恐怖を感じ、真樹さんが歩いて来るとすぐに道を開けたといいます。
しかし仲間に出会うと気さくに声をかけて飲みに連れて行き、お金はすべて払ってくれる優しさを持つ人でした。
おそらくその人間性に惚れた人々が、事実を誇張しながら伝説的なエピソードを作り上げていたのかもしれませんね。
真樹日佐夫に息子はいない
真樹さんの息子について気になる人が多いようですが、息子はいなかったとされています。
息子がいたとすればきっと稽古をつけて、道場を継がせていたに違いありません。
しかし実際には息子がいなかったため、代わりに弟子たちへ愛情を注いでいたのでしょう。
結果的に多くの弟子たちから慕われ、さまざまなエピソードが残ることになったのではないでしょうか。
真樹日佐夫に娘はいない
真樹さんには娘もいませんでした。
ただ兄である梶原一騎さんの娘、つまり姪にあたる女性に関するエピソードがあります。
昭和(梶原一騎・真樹日佐夫兄弟)と令和(平本蓮vs萩原京平)の格闘技界ファッションセンス比較 pic.twitter.com/l7nDIFRHWf
— ジャン斉藤 (@majan_saitou) December 4, 2020
厳格な梶原さんの家庭内暴力に耐えられなくなった彼女は家出し、高田馬場の居酒屋に住み込みで働き始めました。
家出して1年近く経った頃、記者からの取材がきっかけで梶原家の母親が「娘に会いたい」という思いを公表。
このエピソードが載った記事に反響はありませんでしたが、取材がきっかけとなり娘さんは家に戻ったそうです。
親子関係の修復を手伝った記者にお礼の席を設けたのが真樹さんでした。
梶原さんは肝機能障害により禁酒していたため、代わりに真樹さんが記者にお酒をごちそうしたのです。
お酒を飲みながら「兄貴は娘が戻って来たことを喜んでいた、ありがとう」とお礼の言葉を述べました。
家族の問題が解決して心から安堵していたに違いありませんね。
真樹日佐夫に妻はおらず独身
真樹さんは結婚していなかったとされ、生涯独身だった可能性が高いです。
息子も娘もいなかったのは当然ですね。
ただ強さと優しさを兼ね備えた人として、女性から慕われて愛人を作っていた可能性は十分あります。
真樹さんの死後、人知れず涙を流した女性がどこかにいたのかもしれません。
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