芦原英幸の若い頃は板金工。強いと評判!破門理由は大山倍達の嫉妬?暴力事件の真相

「ケンカ十段」の異名をもつことで知られる伝説の空手家・芦原英幸(あしはらひでゆき)さん。

空手ブームの火付け役となった漫画「空手バカ一代」の準主役キャラのモデルとしても有名です。

今回は、芦原さんの若い頃を振り返りつつ、極真を破門された理由や暴力事件の真相について迫ります。

芦原英幸のプロフィール

愛称:ケンカ十段

本名:芦原英幸(あしはらひでゆき)

生年月日:1944年(昭和19年)12月4日

身長:175cm

出身地:広島県佐伯郡能美町

最終学歴:中学校卒業

所属事務所:新国際空手道連盟 芦原会館

芦原英幸、若い頃は板金工。どれほど強いのか

芦原英幸さんは、空手を志した経験がある人ならば誰もが知っているという、伝説の空手家です。

実践的な空手を得意とする彼は「ケンカ十段」の異名をもち、師匠を含め誰もが恐れるほどに強かったのだとか。

しかし、彼はいわゆる天才格闘家のような存在ではなく、若い頃はかなり苦労もしたようです。

中学卒業後すぐ就職。板金工として働く

芦原さんは、瀬戸内海にある広島県・江田島で生まれ育ちました。


幼少期から空手の英才教育を受けたなどということは無く、中学までは剣道を習っていたといいます。

中学卒業後は進学せず、東京へ出て就職し自動車板金の仕事に就いたそうです。

芦原さんの就職先について、自動車修理工場で働いていたという情報と、ガソリンスタンドで働いていたという二つの情報がありますが、どうやらこの両者は同じだと思われます。

この工場には6年ほど勤めたそうです。

芦原さんは手先が器用だったそうで、その後、板金工としての経験を活かして色々な武器を自前で製作してしまったのだとか。

作った武器は数知れず、手製の手裏剣や、金属製で突起が仕込まれたヌンチャクまであったのだとか。

現在では間違いなく銃刀法違反で逮捕案件のようにも思えますが、昭和という時代ならではといったところでしょうか。

芦原氏の特殊ヌンチャクだ。これは、一見普通の金属の棒のようだが、中央で棒を回すと二つに分かれチェーンのついたヌンチャクに。

芦原さんは、このヌンチャクをもとにAバトンと呼ばれるトンファーを完成させました。

このAバトンを警棒の代わりとして警察へ売り込んでいたそうですが、惜しくも採用される前に亡くなってしまったそうです。

ケンカ十段どれほど強い

伝説的な存在で「ケンカ十段」という異名をもつ芦原さん。

さぞや彼の強さを物語る多くの逸話が残っているのだろうと調査しましたが、意外にも確かな情報は少ないようです。

芦原さんはもとから最強の存在だった訳ではなく、道場の先輩に降参したところを不意打ちされ負傷したり、ムエタイ選手との対戦では手痛い敗北をしたりと、たびたび辛酸をなめさせられたのだとか。


そんな芦原さんの口癖は「格好つける暇があったら稽古しろ」。

彼自身も暇を見つけては路地裏や公園の隅など、ありとあらゆる場所で稽古に励んだそうです。

「ケンカにもセンスが必要」などと言いますが、芦原さんはそれだけではなく、偉大な格闘家の例にもれず努力の人だったようですね。

ほかには、ヤクザやチンピラを相手にストリートファイトしていたとか、暴漢に囲まれて1人で全員倒したとか噂話はつきないものの、どれも強く脚色されたものばかり。

芦原さんが若い頃といえば昭和30年代ですから、多少の脚色は一般的だったのかも知れませんね。

紙媒体が主流だったこともあり、インターネット上にはこれといった情報はあまり残っていないようです。

極真からの破門理由は大山倍達の嫉妬?

芦原さんは、自身で芦原会館を設立する以前は極真会館に在籍していました。

その実力もさることながら、当時大変な話題作だったという漫画「空手バカ一代」で準主役級の扱いを受けるなど、人気もうなぎ上りだったのだとか。

その人気は、芦原さんの師匠で極真会館創設者の空手家・大山倍達(おおやまますたつ)さんですら嫉妬するほど。

大山さんは「空手バカ一代」の主役としても知られています。

極真会館の本部指導員として弟子たちを指導する立場になっていた芦原さんは、極真空手を広めるためにブラジルへの赴任が決まっていたそうです。

しかし、赴任数日前に暴力事件を起こしてしまい、結局ブラジル行きはなかったことになりました。

そればかりか、極真会館から無期限禁足処分を受けてしまい、廃品回収をして反省を示すことに。

無期限禁足とは出入り禁止ということですが、結局、その後は破門となりました。


表向きには芦原さんの起こした暴力事件が破門の理由となっていますが、なんと、そこには大山さんの嫉妬心もあったのだそうです。

大山さんは、自分をも凌ぐ人気と強さを兼ね備える存在となりつつあった芦原さんを疎んでいたと伝えられています。

事件後、芦原さんの破門を審議するための全国支部長会議が本人同席のもと行われました。

結局、芦原さんは破門という決定が下されましたが、この結果に彼は激怒。

そこにいた支部長達を「お前ら全員、窓から投げてやる!」などと脅したといいます。

さらには、師匠である大山さんにむかって、「牛殺しの大山と言われちょるんでしょ!」「ここで決着つけてやる!」とかかってこいと言わんばかりに食って掛かったんだとか。

どうなることかと思われましたが、その場に居合わせた相談役・柳川魏志(やながわたかし)さんに説得され事なきを得ました。

柳川さんは在日韓国人の元ヤクザで、柳川組・初代組長だった人物です。

まるで任侠映画のような一幕ですが、この時のことが後日、別の暴力事件へと繋がっていくのです。

暴力事件の真相

芦原さんが破門されてしまう原因となった暴力事件は、これまた任侠ドラマのような話として伝えられています。

芦原さんが若い頃から通い詰めていたというスナックで飲んだ帰り際の出来事です。

常連だった芦原さんはスナックのママと親しげに店の外へ出ましたが、その様子を車に乗った5人組に見られ因縁をつけられたのだとか。

そのケンカを買ってしまい、1人で5人全員をボコボコに。

ケンカで酔いが醒めたのか、隣の食堂で食事をしていた芦原さん。


そこへ警察がやってきて通りで倒れていた5人について聞かれましたが、あっさりと自分がやったと認めたそうです。

当然、警察署で取り調べを受けることになった芦原さんですが、自分のことを佐藤栄作総理だと名乗り警官を怒らせてしまいます。

手錠を後ろ手にはめられ殴られたそうですが、芦原さんは頭突きで反撃し警官を失神させてしまったのだとか。

単なるケンカでは収まらず、警官への暴行まで加わるとは大問題ですね。

やがて芦原さんは極真から破門となりますが、その後も暴力沙汰は絶えなかったそうです。

1982年の夏には、なんと、殺されかけたといいます。

愛媛県松山市の芦原会館総本部道場へ「明日、タマをとりにいきます」と電話があり、実際に不審な男3人がやってきたのだとか。

その中の主犯は、当時の極真・北海道支部長だった空手家・高木薫(たかぎかおる)さんだったとされています。

高木さんはピストルを隠し持っていたそうですが、ほかの2人ともども返り討ちにし、近くの砂浜に首まで埋めてしまったのだといいます。

高木は、ピストルを隠し持っていた。目的は、もちろん芦原を殺(や)ること。

いやはや、なんとも物騒な話ですね。

伝説と言われた空手家たちのまわりに、ヤクザやケンカ云々がここまで多いとは意外です。

漠然と思い描いていた「空手は崇高なもの」「ケンカや弱者には使わない」といったイメージが吹き飛んでしまいました。

「格闘技界には胡散臭い人間が多い」とは空手家・佐竹雅昭(さたけまさあき)さんの言葉ですが、どうやら、本当のことのようですね。


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