梶原一騎がアントニオ猪木を監禁?つのだじろうに激怒。極真空手の分裂と大山倍達の後悔

日本中に格闘技ブームを巻き起こした梶原一騎(かじわらいっき)さん。

「アントニオ猪木監禁事件」、「つのだじろう詫び状事件」など数々の逸話を残しています。

代表作の「空手バカ一代」がきっかけで極真空手が分裂してしまったという情報も。

それでも大山倍達さんにとっては掛け替えのない存在だったようです。

梶原一騎のプロフィール

本名:高森朝樹

生年月日:1936年9月4日

出身地:東京市浅草区石浜

最終学歴:芝商業高校中退

梶原一騎がアントニオ猪木を監禁?

作品だけでなく人柄も型破りで豪快だった梶原一騎さん。

数々のスキャンダルの中でも最も衝撃的だったのがアントニオ猪木監禁事件でしょう。

事件が起きたのは1982年のこと。

たまたま同じホテルに宿泊していた事からアントニオ猪木さんと新日本プロレスの専務取締役営業本部長だった新間寿さんをホテルの自室に呼んだ梶原一騎さん。

すると部屋で待っていたのは梶原一騎さんの他、空手団体の士道館関係者。

更には反社会的勢力の関係者まで。

そして銃を所持している事を仄めかし脅迫、監禁したそうです。

ただ、不透明な部分が多いこの事件。

二人を自室に呼び出した理由も二つの説が噂されています。

まず1つめの説が版権問題。

当時、新日本プロレスでは大人気だったプロレスラーのタイガーマスク。

子供達の間ではアントニオ猪木さんを超える人気だったとも言われています。

タイガーマスクという名前から分かるように元になったのは梶原一騎さんが原作を務めた漫画。

そのため梶原一騎さんの元には使用料と権利料が支払われていたそうです。

ところがある時から使用料と権利料の支払いが滞るように。


この事に腹を立てアントニオ猪木さんと営業本部長を呼び出したと言われています。

もう1つの説が寛水流空手の創設です。

1979年に空手家の水谷征夫さんと寛水流空手を創設したアントニオ猪木さん。

プロレス界のスターが創設に関わったという事もあり寛水流空手の知名度は向上。

今や海外にも支部を持つほどの人気流派となっています。

ただ、極真空手と交流が深く、士道館の会長も務めていた梶原一騎さんにしてみれば面白くない話。

兼ねてから親交があったにも関わらず新しい流派を作るなんて到底受け入れられない事だったのでしょう。

そして脅迫、監禁に至ったと言われています。

このように幾つかの動機が噂されているこの事件。

実際に監禁されたのはアントニオ猪木さんではなく新間寿さんとも言われています。

ただ、新間寿さんも直接的な暴力や被害は受けていないと被害届を提出せず。

事件に関与したとして逮捕された人達を釈放するための陳述書まで書いたそうです。

謎が謎を呼ぶアントニオ猪木監禁事件。

その全容は梶原一騎さんしか知り得ないと言えそうですね。

梶原一騎はつのだじろうに詫び状を書かせていた

梶原一騎さんの代表作、「空手バカ一代」で作画を担当していたのがつのだじろうさん。

ところが原作が遅筆だった事から締め切りに追われ、他の仕事の時間も確保できず。

そのため連載から約2年で作画を降板。

そして新たに連載を始めたのが後にアニメ、ドラマ化されるほどの人気作となった「うしろの百太郎」でした。

その後、「恐怖新聞」もヒットした事でオカルト漫画の第一人者と呼ばれるように。

ただ同じ分野を描き続けると別の分野も描きたいと思うようになるもの。

そんな時、大山倍達さんから自らを主人公とした漫画の企画を持ち掛けられます。

本人から直々に企画を持ち込まれるなんて大変名誉なこと。

きっと大山倍達さんもつのだじろうさんが描く空手バカ一代を大変気に入っていたのでしょう

ですが、過去に空手バカ一代の作画を降板しているつのだじろうさん。

いくら本人からの依頼とはいえ空手バカ一代と同じく大山倍達さんが主人公の漫画を描くと梶原一騎さんの怒りを買うのでは、と一旦は断ったそうです。

ですが、大山倍達さんも何とかつのだじろうさんに描いて欲しいという思いが強かったのでしょう。


つのだじろうさんが矢面に立たないよう、別に原作者を付ける事を提案。

最終的には熱烈なアプローチ負けて漫画を描く事にしたつのだじろうさん。

ただ、原作を付ける事に懲りていたため一人で漫画を制作する事を決意。

こうして連載が始まった「ゴッドハンド」。

するとやはりと言うべきか梶原一騎さんから本人だけでなく編集側にもクレームが。

それに加えて人気も今一つだった事から9週で打ち切りという憂き目に。

ですが、連載終了後も脅迫のようなクレームが止む事はありませんでした。

あまりのしつこさに我慢の限界を超えたつのだじろうさん。

当時、連載していた漫画「魔子」で梶原一騎さんを中傷する言葉をアナグラムにして掲載してしまいます。

それを知った梶原一騎さんは激怒。

つのだじろうさんをホテルに軟禁し、各出版社や漫画家仲間に詫び状を書かせたんだとか。

恐らく軟禁された時には命の危険も感じた事でしょう

軟禁、詫び状で済んだのは不幸中の幸いだったのかもしれません。

空手バカ一代が原因で極真空手が分裂

世界最大の空手団体として知られる極真空手。

支部は世界中にあり、門下生は1200万人とも言われています。

極真空手がこれほどの空手団体となった最大の要因は間違いなく「空手バカ一代」。

漫画が連載されていた当時は連日のように50〜100人もの入門志願者が押し掛けたそうです。

ですが、後に極真空手は分裂するきっかけとなったのも空手バカ一代でした。

極真空手の創始者である大山倍達さんの半生を描いた空手バカ一代。

社会現象を巻き起こすほどの人気だった事から長期に渡って連載されていました。

ところが途中で大山倍達さん個人のエピソードを書き切ってしまったそうです。

そのため弟子のエピソードを中心としたストーリーに変更。

その中でも最もスポットライトを当てられたのが芦原英幸さんでした。

まるで準主人公のような扱いとなった事で芦原英幸さんは大山倍達さんと人気を二分するまでに。

そして次第に梶原一騎さんを指示する勢力が極真空手の中に誕生。

その後、大山倍達さん支持派、梶原一騎さん支持派、どちらにも属さない中間派と3つの派閥に分裂してしまったそうです。


この時は幾つかの派閥が誕生しただけで大きな分裂騒動には発展していません。

ですが、極真空手が一枚岩でなくなったのは事実。

大山倍達さんの死後、次々に分裂してしまったのも派閥の勢力争いの影響だったのでしょうね。

梶原一騎との決別は大山倍達の心残りとなっていた

かつては「義兄弟」の関係にあった梶原一騎さんと大山倍達さん。

極真空手の分裂騒動をきっかけに二人の関係には亀裂が。

そして共同出資で制作した映画「地上最強のカラテ」の利益配分を巡る争いにより二人の関係は途絶えてしまいます。

その後、梶原一騎さんが様々なトラブルを起こしても大山倍達さんは静観。

きっと周囲の人々は「二度と関わる事はない」と思った事でしょう。

ですが、いくら関係が悪化したとはいえかつては義兄弟だった仲。

恨み辛みの思いがありながらも完全に縁を切る事は出来なかったようです。

その証拠に大山倍達さんは梶原一騎さんが大病を患った時に匿名で励ましの手紙を送ったそうです。

一方、手紙を受け取った梶原一騎さんは匿名の手紙を読んで大山倍達さんが出したものと分かったんだとか。

疎遠になったとしても二人の間には強い絆があった事が分かりますよね。

恐らく何かきっかけさえあれば関係を修復したいと思っていた事でしょう。

ですが、二人の関係が修復する前に梶原一騎さんは死去。

大山倍達さんは葬儀に出席する事はありませんでしたが墓参りには訪れていたようです。


また、「仲直りすべきだった」、「申し訳ない」とのコメントも発表しています。

もし二人が和解していたら漫画界や格闘技界は今とは全く別のものになっていたでしょう。

日本中を巻き込むような新たなムーブメントも生まれていたかもしれませんね。

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