たこ八郎の死因は心臓麻痺。タモリの番組いいともでの訃報と葬儀。弟2人もボクサー

「たっこでーす」というセリフで子供から大人まで人気があった、たこ八郎(たこはちろう)さん。

44歳という若さで1985年に急死したという知らせは、タモリの長寿テレビ番組「笑っていいとも!」の生放送中に発表されました。

たこ八郎さんの葬儀についてや、弟に関しても話題があるようなので早速見ていきましょう。

たこ八郎のプロフィール

愛称:たこちゃん

本名:斉藤清作(さいとうせいさく)

生年月日:1940年(昭和15年)11月23日

死亡年月日:1985年(昭和60年)7月24日

身長:160cm

出身地:宮城県仙台市宮城野区

最終学歴:仙台育英学園高等学校卒業

たこ八郎の死因は心臓麻痺

たこ八郎さんのことは、「たっこでーす」と言っていた芸人だと知っている人は多いでしょう。

1983年から1985年にかけて、昼の大人気バラエティ番組「笑っていいとも!」にも出演していましたね。

それなのに、1985年7月24日に突然「亡くなった」という報道に世間は驚きました。

当時たこ八郎さんはまだ44歳で、これからという時だったのです。


亡くなるきっかけになったのは、その日の朝に泥酔状態で海に入ったこと。

溺れたのではなく、不運にも心臓麻痺を起こしてしまったのが亡くなった理由でした。

一体どれほどの飲酒量だったのか、ということも気になりますね。

実は前日の夜から、ゴールデン街にある常連の店で飲み始めていたのだそう。

それから「海へ行こう」ということになり、移動中も到着後もずっと飲んでいたといいます。

到着した海辺には監視員もいたそうで、ベロベロに酔ったたこ八郎さんをマーク。

「絶対に泳いではいけない」と厳しく止められたのに、酔いすぎて聞く耳を持たなかったのでしょうか。

あの時海に入っていなければ、そして大量に酒を飲んでいなければと悔やまれます。

ひょっとしたら長生きをしていたかもしれませんね。

たこ八郎はタモリの番組いいともで訃報が発表された

さて、「たこ八郎さんが亡くなった」という知らせはレギュラーで出演していた「笑っていいとも!」で発表されました。

訃報が「笑っていいとも!」で知らされるということは、ほとんどないのではないでしょうか。

とぼけたような、どこか人とずれているようなところが受けて、人気者になっていた時でした。

「笑っていいとも!」のエンディングの時に、タモリさんから訃報を耳にした人の多くは「ネタなのでは」と耳を疑ったようです。

しかしその後のニュースや新聞などの報道で、それが事実であったと理解しました。

1985年といえば、携帯電話すら普及していないときです。

情報が素早く伝わるということが無い時代でした。

葬儀では赤塚不二夫が委員長になり、芸能界仲間が見送った

たこ八郎さんの葬儀には、多くの芸能人が駆けつけたそうです。

たこ八郎の葬儀委員長には赤塚不二夫

たこ八郎さんの葬儀で葬儀委員長を務めたのは、何とあの赤塚不二夫(あかつかふじお)さん。

昭和を代表する漫画家で、代表作は「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」「天才バカボン」など。

たこ八郎さんがボクシングを引退した後、コメディアンの由利徹(ゆりとおる)さんに弟子入りした頃からの仲だったそうです。

生前何気なく、たこ八郎さんが「自分が死んだら葬儀委員長をして欲しい」と赤塚不二夫さんに頼んでいたのです。

まさか本当に、それもあんなに早く葬儀委員長をすることになるとは夢にも思っていなかったことでしょう。

出棺の際は、「この野郎、早く逝きやがったな」と泣きながら送りだしたということです。

たこ八郎の葬儀に多くの芸人仲間が参列

たこ八郎さんの突然の死に際し、多くの芸能界の仲間が参列しました。


一緒にお酒を飲んでいた落語家の立川談志さんや、芸人仲間のビートたけしさんなど錚々たる顔ぶれ。

弔問には、訃報を伝えたタモリさんも訪れました。

その際のコメントは「たこが海で死んだ。何も悲しいことはない」というもので、とても深い思いが込められているようです。

それは、表面的には「(生き物の)タコが海で死ぬのは自然なことだ」ということなのでしょう。

しかし、本当はとても悲しい事実の「裏返し」と取れる言葉ですね。

葬儀は、たこ八郎さんの師匠・由利徹さんの三本締めで終わりました。

たこ八郎さんは芸人仲間によって地蔵になった

たこ八郎さんの死後、東京・台東区にある法昌寺には「たこ八郎地蔵」が。

2023年現在も、多くの人がこの地蔵にお参りにやって来るといいます。

作ろうと集まったのは、師匠の由利徹さんと赤塚不二夫さんと映画監督の山本晋也さんなど。

宮城県の出身だったたこ八郎さんは、お墓も故郷にあります。

芸人仲間は、「東京にもお参りするところがあれば」ということで建立されました。

たこ八郎さんには、他の人とは違う空気感がありました。

それがお茶の間でも人気になったのですが、芸能界の中でも愛されていたのがわかりますね。

たこ八郎の弟は2人

たこ八郎さんは芸人になる前、フライ級のプロボクサーとして活躍していたそうです。

19歳だった1960年ごろから試合に出ていたことが分かっています。

対戦成績は43戦34勝で、第13代日本フライ級王座のタイトルも獲得。

「河童の清作」というニックネームで呼ばれてファンもいましたが、試合で頭部にダメージを受けて1964年に引退しました。

実は、たこ八郎さんの弟2人もプロボクサーだったのだとか。

斉藤清爽さんと斉藤清明さんという名前だったということが分かっています。

ちなみに、たこ八郎さんの名前に似た「いか八朗(はちろう)」さんという俳優がいます。

2人は兄弟でも親戚でもありませんでした。


たこ八郎さんがテレビで多忙を極めていた頃、番組でダブルブッキングがあったそうです。

その際に、いか八朗さんがこっそり代役を務めたのだとか。

当時は別名で活動していましたが、たこ八郎さんにお願いして「いか八朗」に改名させてもらったそうです。

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