小渕恵三の死因は脳梗塞、前兆が表れた会見後に倒れる。死の遠因は心房細動だった

小渕 恵三(おぶち けいぞう)さんは”陽気なお父さん”のキャラで人気を博しましたが、総理在任中の2000年4月に倒れて帰らぬ人になってしまいました。

あまりに急な訃報だったことから死因や経緯なども色々とささやかれているそうなので、今回は小渕さんの死因や最期の様子について見ていきましょう。

小渕恵三のプロフィール

本名:小渕 恵三 (おぶち けいぞう)

出身地:群馬県吾妻郡中之条町

生年月日:1937年6月25日

没年月日:2000年5月14日(62歳没)

最終学歴:早稲田大学(第一文学部)卒業

主な肩書:内閣総理大臣(第84代) / 内閣官房長官(竹下内閣)

小渕恵三の死因は脳梗塞

まずは小渕恵三さんの命を奪った病気(死因)について見ていきましょう。


いつも明るくて元気そうなイメージがある小渕さんですが、総理在任中の2000年4月に脳梗塞を発症して昏睡状態になり、そのまま意識が戻らずに亡くなっています。

よく「総理在任中に亡くなった」と誤解をしている方もいらっしゃいますが、亡くなる1ヶ月前に首相臨時代理の青木幹雄さんが小渕内閣の総辞職を決定しています。

以上のことから、正確に表現すると”総理在任中に倒れて退任後に亡くなった”になるので、選挙応援中に命を落とした大平正芳さんとは少し違うと言えるでしょう。

また、当時は容体以上に”総理が本当に代理を指名したのか?”という点に集中してしまい、最後まで地味な立場のままだったのは小渕さんらしいのかもしれません。

一部では独自外交を推し進めたことを嫌ったアメリカによる暗殺説が流れたものの、報復は事故のように見せつけなければ効果が薄いので小渕さんは違うでしょう。

政治家として脂が乗ったタイミングでの急逝に与野党問わず多くの人が悲しみましたが、もっとも無念だったのは小渕さん本人であることは間違いありませんね。

前兆が表れた会見後に倒れる

この項目では脳梗塞の前兆が現れたとされる会見動画などを見ていきます。

2000年4月1日の会見中に前兆(発作)を起こしたシーンは小渕さんに関する動画の中でも有名なので、記憶の片隅に焼き付いている方も多いのではないでしょうか。

記者からマイクを向けられて10秒ほど無言になっていますが、口元を見ると何か言葉を発しようとしている風に見えます。

つまり、考えがまとまらなかったから間が開いたわけではなく、話そうとしてもスムーズに言葉が出なかったのでしょう。


この様子について脳の専門医は「一過性の脳虚血発作」と分析しており、一時的に脳に血流が流れなくなって神経脱落の症状が出たとしています。

発作の原因については諸説ありますが、会見の前に行なわれた小沢一郎さんとの会談で”自由党の連立離脱”を突き付けられたことによるショック説が有力だという声もありました。

これまでの肉体的な疲労も相当なものでしたが、さらに先行きに不安を抱えるという精神的なダメージを負ったことで発作を起こした可能性は十分に考えられます。

しかしながら、党首を務める小沢さんには小沢さんの考えがあるので、小渕さんを死に追いやった犯人とまで言うのは少し酷なことかもしれませんね。

小渕さんは会見を終えた1日の晩に脳梗塞を発症して2日未明に順天堂大学医学部附属・順天堂医院に入院し、意識を取り戻すことなく5月14日に亡くなりました。

小渕恵三の死の遠因は心房細動

最後に小渕恵三さんの死因である脳梗塞の遠因が心房細動だったという話を見ておきましょう。

脳と心臓の病気なので関係が無さそうに思えますが、実はかなり密接しているとのことでした。

小渕さんの脳梗塞は「心原性脳塞栓症」とも言われており、血液を送り出す心臓のリズムが悪くなる心房細動によって出来た血栓が脳の血管に詰まる病気だそうです。

心原性脳梗塞は何の前ぶれもなく発症することが多く、しかも梗塞範囲が広いことから予後の悪さや死亡率も高いという非常に厄介な病気として恐れられています。

また、小渕さんは心臓に持病を抱えていたという証言もあるので、総理の激務が病気の進行に拍車をかけたことは間違いないでしょうね。


ちなみに、ミスタージャイアンツこと長嶋茂雄さんや、2022年5月1日に亡くなったイビチャ・オシム元サッカー日本代表監督も心原性脳塞栓症を発症しています。

定期的に人間ドックに行って健康に留意することが大切だと再認識させられます。

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