橋本 龍太郎(はしもと りゅうたろう)さんは総理大臣や大蔵大臣を歴任した政治家で、行財政改革や消費税増税を実施など様々な功罪をもたらしました。
一方、仕事だけでなくダンディーな姿も話題になっているそうなので、今回は橋本さんのイケメンぶりや多彩な趣味についてリサーチしていきましょう。
橋本龍太郎のプロフィール
本名:橋本 龍太郎 (はしもと りゅうたろう)
出身地:東京都渋谷区
生年月日:1937年7月29日
没年月日:2006年7月1日(68歳没)
最終学歴:慶應義塾大学(法学部)卒業
主な肩書:内閣総理大臣(第82~83代)
橋本龍太郎は若い頃からイケメンだった
橋本龍太郎さんは「龍さま」と呼ばれるぐらいの女性人気を誇った政治家です。
そこで若い頃からイケメンだったのかどうか気になったので調べると、昔や初当選をした頃のニュース映像がyoutubeにあったのでさっそく見てみましょう。
動画に映っている若かりし橋本さんは銀幕スターのような雰囲気を持つ好青年で、少し幼さを含む顔立ちはイケメンよりも可愛いと言った方が適切かもしれません。
もっとも、橋本さんの女性人気が高まったのはある程度年を重ねてからという点を踏まえると、政治に関心を持つ世代の女性の好みと成長がマッチしたとも言えます。
橋本龍太郎かわいすぎる
俺も橋龍みたいになりたい pic.twitter.com/5KZpc344pb— 津山 (@TYM30) May 5, 2020
確かに若い頃は好青年ではありますが政治家としては少し幼く見えていたので、中年になって貫禄が出て来たことが中高年のハートを掴むに至ったのでしょう。
また、ライバルである小泉純一郎さんも若い頃からイケメン政治家として有名でしたが、二人ともが総理大臣になったという事実は感慨深いものがありますね。
昔の小泉純一郎めっちゃダンディで草、しゅき… pic.twitter.com/yMUCSXI4Lk
— Eリンギ💉💉 (@naninunemo87) April 17, 2019
政治家としての資質に外見の良さは明確には含まれていないものの、やはり人前に出る機会が多いので見栄えが良いことに越したことはないでしょう。
橋本さんをイケメンとみるかどうかは受け手の審美眼によるので難しいところですが、政界というジャンルに限ればイケメンと表現して間違いありません。
橋本龍太郎はポマードではなくムースをつけていた
この項目では橋本龍太郎さんの整髪料について見ていきましょう。
橋本さんと言えばオールバックの髪型がトレードマークになっており、政治をよく知らない若い人たちから「ポマードの人」と言われることも多々あったそうです。
[82代]橋本龍太郎(1996.1〜1996.11,自民・社民・新さ)
※自民党総裁が総理に復帰,省庁再編,北方領土問題・沖縄普天間基地移設問題で成果
1996:
-住専問題(住宅金融専門会社の不良債権処理問題)
-普天間飛行場返還合意(移転が条件) https://t.co/ooPq3TYbOq pic.twitter.com/qrZ5BtcKde— 🇯🇵歴代首相(内閣総理大臣)と近現代史bot (@pmhistory_jp) June 13, 2022
髪がテカテカに光っていることからポマードをつけていると思われていましたが、鈴木宗男さんとのやり取りで整髪料が「ムース」であることを明かしていました。
また、ネット上では鈴木さんが「ポマード野郎」と陰口を言った際に橋本さんがムースと訂正したとされていますが、娘の鈴木貴子さんが一連の話についてツイートをしています。
今本人に確認しましたが
鈴木宗男が橋本龍太郎総理に
「総理、ポマードつければいいっちゅーもんじゃないですよ」と言ったら、
橋本総理は「宗ちゃん、俺はムースだ」と返されたそうです。鈴木宗男は「ポマードもムースも変わりないじゃないですか」と、なお食い下がったそうです。😅 https://t.co/bHwLtQDnr7
— 衆議院議員 鈴木貴子/すずき たかこ (@_SuzukiTakako_) September 23, 2021
貴子さんの取材によって宗男さんが陰口を言ってなかったことと、橋本さんがポマードではなくムースを愛用していたことが改めて証明される結果となりました。
もっとも、大手メディアもポマードという表現を使っていることが少なからずあるので、その時々によってムースとポマードを使い分けていたのかもしれません。
しかしながら、ここまで整髪料が話題になる政治家は橋本さんぐらいでしょうね。
橋本龍太郎にとって剣道や登山は心の糧だった
橋本龍太郎さんは読書やプラモデル作り、タバコなど数多くの趣味を持っていることで有名ですが、この項目では生涯の友だった剣道や登山について見ていきます。
龍太郎さんが剣道に興味を持ったのは小学校に上がる前のことで、きっかけは父・龍伍さんが持っていた防具や竹刀に憧れたという何とも子供らしいものでした。
本格的に剣道を始めたのはGHQの指導もあって高校2年と遅く腕前も特に優れたものではありませんでしたが、終生に渡って付き合いを続けた良き相棒と言えます。
本日出席した伯父の一周忌にて見つけた写真。初代内閣広報官であった伯父がしたためた「平常心」の文字と署名入りの手拭いを手に、剣道の練習に臨む故・橋本龍太郎元首相。我が家は、橋本家と遠い姻戚関係にある。 pic.twitter.com/IXjgjPjKoZ
— 白虎隊士末裔@東京 (@immature2010) February 8, 2015
また、愛好家として嗜むだけでなく全日本剣道連盟顧問や全日本剣道道場連盟会長に就いて伝統武芸の発展と保存に尽力。
病気で倒れても回復すればすぐに道場に向かうという熱の入れようで、剣道をしている時は余計なことを考えなくて済むという貴重な時間だったそうです。
もう一つの趣味である登山も高校生の時から始め、なんとエベレストの登頂を目指した日本登山隊のリーダーとしてベースキャンプまで登っていました。
残念ながら登頂することは叶いませんでしたが、没後にネパール政府の厚意によってエベレストを見ることが出来るタンボチェ村の丘に記念碑が建立されています。
タンボチェ村の丘には龍さん(橋本龍太郎元総理)のお墓と登山家の加藤保男さんの遭難碑があります。毎年、エベレスト街道を訪れる度にお参りしています。エベレストが美しく見渡せる丘です。 pic.twitter.com/XJp2LOk2pB
— 野口健 (@kennoguchi0821) January 5, 2019
橋本さんは登山を通じて案内人の重要性や自然の恐怖、準備の大切さやチームワークの大切さなど多くの事を学んだことで人生が豊かになったそうです。
もう一度エベレストを拝みたいという願いは叶いませんでしたが、没後も記念碑を通じて大好きな山を見ることが出来るのは登山者冥利に尽きるでしょうね。
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