深浦加奈子は座ったまま絶命。死因はがん。晩年は復帰を目指し闘病生活

少しクセの強い役を演じたら抜群の存在感、名バイプレーヤーの深浦加奈子(ふかうらかなこ)さん。

亡くなってから10年以上経つ今も、未だに忘れられない女優さんの1人です。

今回は深浦さんの座ったまま絶命したという最期、死因や晩年についてお伝えしていきます。

深浦加奈子のプロフィール

愛称:不明

本名:深浦加奈子(ふかうらかなこ)

生年月日:1960年(昭和35年)4月4日

没年月日:2008年8月25日(享年48歳)

出身地:東京都

身長:158cm

最終学歴:明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業

所属事務所:シス・カンパニー⇒父親の会社

深浦加奈子が座ったまま絶命したという最期

深浦さんが亡くなったのは48歳の時、最期は座ったまま絶命したといいます。

どのような最期だったのでしょうか。

なぜ座ったまま絶命したのか

座ったまま絶命とは、病気との壮絶な戦いだったことを意味しています。

深浦さんはベットに横になるのも苦しくてたまらない状態だったのです。

肺が潰れ、呼吸が難しく、寝ることもままならなかった。


ベットに座ったままで、テーブルを近づけ枕を置き、枕の上に体を置いていたそうです。

亡くなる5日前には座ったままの状態だったとのこと。

5日間も腰を曲げているのはどんなに辛いことでしょう。

しかし深浦さんにとってその姿勢が痛さに耐えれる唯一の方法だったのです。

闘病むなしく2008年8月25日22時57分、座ったまま絶命しました。

家族に見守られ旅立った

生涯独身で仕事に生きた深浦さんですが、孤独ではありませんでした。

父と母、姉の献身的な支えがありました。

声を発することも、亡くなる3日前からほとんどなかったといいます。

母に残した言葉は「私…大丈夫、もういいの」「お母さん…ありがとう」

途切れ途切れに絞り出した言葉です。

最期は家族に見守られ、座ったまま静かに息をひきとりました。

お別れ会に500人以上が参列

葬儀は親族だけ、告別式は近親者と戸田恵子さん、高橋克実さん、山村美智さん、松嶋菜々子さんなど親しい方のみで執り行われました。

親友だった戸田恵子さんは亡くなる2日前にお見舞いに行き「ありがとう」と小さいながら確かな声で言われたそうです。

お別れ会は1ヶ月後に開かれ、友人や関係者500人以上が参列し、若すぎる死を惜しみました。


気を使わせないように、ごく一部の人にしか病気も入院も伝えなかったといいます。

亡くなった後に深浦さんの座ったまま絶命したという壮絶な最期や闘病生活を知ったそうです。

舞台「おかしな2人」で共演し「キョン」と呼ばれ親しかった小泉今日子さんが涙を流して弔辞を読みました。

「お姉さんのように慕わせていただいた。早く逝かれて残念」と声を震わせた。

小姑役、お局役などで味のある名演技を見せた深浦さん。

普段の性格はさっぱりして明るく、後輩には姉さんと呼ばれ、多くの俳優に慕われていました。

多くの友人や信頼できる仕事仲間を持ち、仕事に生きた深浦さんは決して孤独ではなかったでしょう。

ご本人の遺言により、遺骨の一部は伊豆の海に散骨されたそうです。

深浦加奈子の死因は大腸がん(S状結腸がん)

深浦さんの死因はS状結腸がん。

S状結腸がんとは、大腸のS状結腸という部分に発生するがんです。

便が長い間蓄積される、S状結腸と直腸にがんができやすいといわれています。

女性のがん死亡率の1位にもなっているようです。

深浦さんは長い間がんの治療をしていました。

最初に異常を感じたのは2002年冬「美女か野獣」の撮影中、腹部に激しい痛みがあったそうです。

産婦人科で検査を受けるも、異常は見つかりませんでした。

しかし撮影を続けていくうちに症状は悪化し、撮影が終了すると大学病院で検査を受けました。

2003年3月、下された結果は大腸がんだったのです。

そこから別の病院で詳細な検査を受けるとステージ2と診察され、10日後の手術に備えそのまま入院。

ところが開腹すると症状はリンパ節に転移していたステージ3bの深刻な状態だったそうです。

最初に異常を感じた時にがんが見つかっていればと思うと残念でなりません。


手術は成功し、深浦さんは女優として復帰。

しかしその後も大腸がんの再発、転移と治療をくり返さなければなりませんでした。

所属事務所に迷惑はかけられないと2005年に「シス・カンパニー」から父親の経営していた会社に所属。

姉がマネージャーを務め、管理栄養士の資格を持つ母が栄養管理を行い、医師の義兄が医療のサポートを。

深浦さんと家族はがんと戦うことを決して止めませんでした。

同じ立場であったとしても、そこまで頑張れる方は僅かではないでしょうか。

がんを克服できると信じて疑わなかったのです。

晩年も女優復帰を目指し闘病生活

 

5年以上闘病を続けた深浦さん。

晩年、終末医療を勧める医師の言葉には応じませんでした。

女優を復帰を諦めることになるからです。

自身は晩年と思ったことはなかったのかもしれませんね。


医者がもう打つ手がないとした時でも自分でガンを学び、放射線治療を提案したそうです。

深浦さんの晩年の出演作品は、2008年12月公開の映画「ぼくのおばあちゃん」。

この映画が遺作になりました。

2008年2月には舞台「新しい橋」に出演。

深浦さんはまだまだ舞台の仕事がしたかったそうです。

7月28日には深浦さんたっての希望で、広島の原爆に関する報道番組のナレーションをしています。

体調がよくなかったにもかかわらず、広島に出向いてまでした仕事です。

姉に付き添われ、母親に「最後の仕事になると思う」と伝えていました。

くしくも言葉通りの結果となり、約1ヶ月後には人生の幕を閉じました。

晩年も女優復帰をするために闘病を続けた深浦さん。

本当は病院のベットの上でなく、舞台の上で最期を迎えたかったのかもしれません。

しかし周りの人に迷惑をかけることを嫌う性格です。

最後の最後まで、深浦加奈子の人生を全うしたのではないでしょうか。


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