諏訪根自子はハーフと疑うほど美人!子孫は不明、結婚した夫は元外交官。海外の反応まとめ

戦前に神童とうたわれ、いち早く欧州に渡って活躍したヴァイオリニスト・諏訪根自子(すわ ねじこ)さん。

日本人離れした美しい容姿は、一見するとハーフ美人のようにも見えますね。

両親のどちらかが外国人だったのでしょうか。

また子孫や結婚した夫についても調べてみたいと思います。

諏訪さんといえば、「日本人初の国際的ヴァイオリニスト」として有名ですが、その看板に偽りはないのでしょうか。

当時の海外の反応を振り返りながら、音楽的な実力を探っていきます。

諏訪根自子のプロフィール

本名:諏訪根自子

生年月日:1920年1月23日

没年月日:2012年3月6日(92歳没)

出身地:東京都

職業:ヴァイオリン,音楽家

諏訪根自子にハーフ説。姉妹も美人

16歳で渡欧する以前から、可憐な容姿もあいまって天才少女と評判を呼んでいた諏訪根自子さん。

その美貌はもはや伝説といっても過言ではありませんが、「ハーフなのでは?」と思う人はやはり多いようですね。

結論からいうと、ハーフやクォーターという情報は一切なく、その可能性は低そうです。

諏訪さんは東京生まれで、出生名を諏訪根自子、結婚後の本名を大賀根自子(おおが ねじこ)といいます。

父親の諏訪順次郎さんは山形県庄内地方の豪商・諏訪八右衛門さんの息子で、母親の滝さんも庄内の出身。

滝さんの旧姓は今田瀧さんといって、酒田高等女学校在学中から声楽家を夢みて、音楽学校進学のため歌人・斎藤茂吉のもとで行儀見習いをしていました。


順次郎さんも有島武郎や有島生馬ら作家と親交があったそうです。

諏訪根自子さんには二人の妹がおり、三姉妹と瀧さんの写真がネット上に投稿されています。

それは『音楽之友』1949年7月号に掲載されていた写真だそうです。

二人の妹も美人ですが、妹たちも瀧さんも顔立ちは純粋な日本人。

ハーフのような容貌をしているのは根自子さんだけです。

両親とも庄内地方の出身ですから、三姉妹とも庄内美人なのでしょう。

諏訪根自子の子孫は不明

諏訪根自子さんと夫の大賀小四郎(おおが こしろう)さんとの間に子供がいるかどうかは突き止められませんでした。

二人は1968年に結婚しており、その年に根自子さんは48歳、小四郎さんは58歳を迎えていますから、子供は授からなかったとも考えられます。

いずれにせよ、子供に関する記述は見つかりませんでした。

晩年、夫を見送ったあとの根自子さんを介護し、看取ったのは甥夫妻だったそうです。

この甥夫妻とは、すぐ下の妹で翻訳家の信木津儀子(諏訪晃代)さんか、末の妹でヴァイオリニストの諏訪晶子(諏訪光世)さんの息子夫婦と思われます。

根自子さんに子供がいないとすれば、彼女の血を引く子孫はいないことになりますが、諏訪家の血脈は妹の子供を通じて受け継がれていくでしょう。

諏訪根自子が結婚した夫・大賀小四郎とは

1938年、諏訪根自子さんはベルギーからパリに移りました。

翌1939年5月19日の演奏会でヨーロッパデビューを果たしますが、まさにこれから輝かしいヴァイオリニスト人生が始まろうとしていた矢先に第二次世界大戦が勃発。

帰国せずにパリにとどまった彼女の保護にあたったのが、同盟国ドイツの日本大使館員でした。

根自子さんはパリを訪れた在独日本大使館員の大賀小四郎さんと出会います。


1942年にパリからドイツに生活拠点を移すと、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演。

ナチスドイツの宣伝相ゲッベルスからストラディヴァリウスを贈られたのもこの頃です。

戦禍のヨーロッパで出会い、苦楽をともにした根自子さんと小四郎さん。

ベルリンが陥落してドイツが降伏すると、二人は米軍に捕らえられ、米国に拘留されたのち1945年12月6日にようやく帰国。

帰国後は人目を避けながら愛を育み、1968年に結ばれます。

根自子さんは初婚、小四郎さんは再婚でした。

出会いから、じつに27年後のことです。

1991年2月24日、71歳の根自子さんは最愛の夫を看取りました。

23年の結婚生活を通して小四郎さんを「先生」と呼び、いつも半歩下がって表舞台に立つことを好まず、演奏会出演を依頼されても夫の顔にわずかでも曇りが見えれば引き受けることはなかったといいます。

諏訪根自子に対する当時の海外の反応

第二次世界大戦中も欧州各地で演奏活動を続け、その美貌と演奏力で人気を集めた諏訪根自子さん。

彼女のファンだった城山三郎さんが「日本が初めて生んだ知的な美人」と述べているように、美人ヴァイオリニストという評価に異を唱える人はいないでしょう。

では、ヴァイオリニストとしての実力はどうだったのでしょうか。

当時の海外の反応を中心にみていきましょう。

まず、10歳の頃に師事していたアレクサンドル・モギレフスキーは、「根自子の場合、天才という言葉は少しも誇張された表現ではない」という言葉を残しています。


来日した名ヴァイオリニスト、エフレム・ジンバリストの前でメンデルスゾーンのコンチェルトを披露してジンバリストを驚嘆させたと『朝日新聞』が報じたこともありました。

12歳の初リサイタルでは、客席にいたヴァイオリニスト、ルネ・シュメーが「理屈抜きで言いますが、同年齢でこれほどの子はヨーロッパにもいませんよ」とコメント。

渡欧後も、パリで開かれた演奏会でジャック・ティボーに賞賛されたり、ベルリン・フィルやウィーン・フィルといった名だたるオーケストラと共演して聴衆を感激させたというエピソードが伝えられています。

日本人、とりわけ日本人のクラシック演奏家に対する目線はけっして寛容なものではない時代だったと思われますが、観客は彼女の演奏に感嘆し、惜しみない拍手を送ったというのです。

惜しむらくは、当時のレコーディングは編集のきかないアナログ方式の一発録りであること。

言うなればライヴと同じですから、残された音源のみで21世紀のヴァイオリニストと比較するのは無理があるでしょう。

2012年3月6日、92歳の生涯を閉じた諏訪根自子さん。

戦争がなければ、もっと活躍できたヴァイオリニストであったことはまちがいありません。

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