天寿光希の退団理由は怪我?今後の活動について。子役を経験し、宝塚音楽卒業後は首席入団

元宝塚歌劇団星組の男役として活躍し『ベルリン、わが愛』『うたかたの恋』などに出演した天寿光希(てんじゅ みつき)さん。

2022年に宝塚を退団してからは舞台に出演していないため、まだ目立った活動をしていない印象があるかもしれません。

今回は、天寿さんの退団理由が怪我だったという噂の真相に迫りつつ、今後の活動について確認します。

また子役時代の活動、音楽学校に入学した際のエピソードを紹介します。

天寿光希のプロフィール

愛称:ミッキー 、みっきぃ、みっく、かがっち、てんてん

本名:加賀千尋

生年月日:9月10日

身長:167cm

出身地:秋田県秋田市

最終学歴:聖霊女子短期大学附属高等学校、宝塚音楽学校

天寿光希の退団理由は怪我?

2022年7月24日、天寿さんは『めぐり会いは再び next generation/Gran Cantante!!』東京公演千秋楽を最後に、宝塚を退団しました。

退団公演では、最初で最後のエトワールを務めています。

エトワールはフィナーレのパレードが始まる合図をする重要な役割であり、新人にとっては憧れの存在ですね。

天寿さんが退団することになった原因が怪我だったと考える人もいるようですが、こちらは事実ではなさそうです。

怪我をしているにもかかわらず、エトワールのように重要な役割を演じ切れるとは思えません。

また天寿さんは新人時代に一度怪我をしており、こちらの情報が退団理由と混合された可能性が高いのです。


2005年に91期生として、宝塚歌劇団に首席入団したにもかかわらず、怪我によって新人公演の主演を務められませんでした。

ここでスターとなるチャンスを逃してしまった結果、エトワールも退団公演まで務められず、地味なポジションに甘んじていた印象があります。

目力の強さや美青年らしい顔立ちから考えると、もう少し華々しく活躍できた可能性もありました。

しかし重要な時期の怪我が原因となって、トップに立つことはできませんでした。

そのような実力主義の厳しい世界の中でも、17年間スキルを磨き続け、安定的に活動していた職人肌のタカラジェンヌだったのです。

天寿光希の今後は舞台俳優か

天寿さんは宝塚を退団後、あまり目立った活動をしていません。

2022年中はこれまで頑張った自分を労わり、少し休息期間を設けた可能性もありそうですね。

ただしメディア出演は少しずつこなしているため、舞台からの引退は考えていない様子です。

退団の余韻を味わいながら、少しずつ次の活動へと移っていくに違いありません。

2022年8月時点でSNSを開設しておらず、ファンは最近の様子を推測するしかない状況です。

退団後にSNSを開設し、日々の活動や生活の様子を発信してくれる元タカラジェンヌは多いため、天寿さんも近々発信を始めるかもしれませんね。

天寿光希は子役を経験

天寿さんは宝塚入団前から、子役として舞台に立った経験がありました。

生まれ育ったのは秋田県秋田市ですが、一時期、親の転勤に伴い東京で暮らしていたそうです。

その時期に、音楽家の小椋佳さんが制作した「アルゴミュージカル」に出演し、子役として活動を開始したのです。

子供の頃からミュージカルで歌やダンス、演技の基礎を身に付けていたのですから、優秀なタカラジェンヌになったのは当然ですね。

子役時代の仕事を通じて、ホリプロのミュージカル女優・笹本玲奈さんと交流を深めていました。


笹本さんとはよき友人・同志として、今もたまに連絡を取り合っているのかもしれません。

東京で宝塚の観劇を始めたのもこの頃でした。

いつしか宝塚の舞台に憧れ、ミュージカルで自身のスキルを意識的に向上させるようになったのではないでしょうか。

親の仕事の都合で故郷の秋田県に戻りましたが、その後も度々東京に向かって、宝塚を観劇していました。

懸命にお小遣いを貯めて東京へ向かっていたエピソードから、宝塚への情熱の強さがうかがえますね。

天寿光希は音楽学校を卒業後、歌劇団に首席入団

天寿さんが東京でミュージカルに挑戦し始めた理由は、あくまで思い出づくりでしかありませんでした。

それでもいつしか宝塚を夢見るようになってからは、本格的に歌とダンスを習い始めます。

初めて観劇した宝塚の舞台は花組公演『哀しみのコルドバ/メガ・ヴィジョン』でした。

群舞の迫力や男役の美しさに圧倒され、すぐにとりこになりました。

2003年、高校卒業後に憧れの宝塚音楽学校に入学。入学可能な年齢の上限である18歳の年に合格したため、同期生の中では「お姉さん」のポジションだったそうです。

卒業後は宝塚歌劇団に91期生の首席として入団しました。

宝塚は成績順に4名が委員を務めます。


首席の生徒は同期生のまとめ役である「一番委員」を務める必要があり、仲間に対して厳しくあたることもあったそうです。

憎まれ役となって、同期生から怖がられていたことも自覚していました。

思いやりがあるからこそ厳しくあたっていたことは、同じ委員の澄輝さやとさんや藤咲えりさんは理解していたそうですよ。

強い意志で宝塚に入学した天寿さんのストイックな人柄がうかがえるエピソードですね。

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