植木等(うえきひとし)さんは、昭和を代表する日本のコメディアンです。
「わかっちゃいるけどやめられない」のフレーズでおなじみの無責任男のイメージが強いですが、よく見ると男前でかっこよく、実際は真面目を絵に描いたような性格だったそうです。
そんな性格は、「反戦僧侶」と呼ばれた、住職でありながら社会活動家だった父親の影響もあったと言われています。
植木等さんの若い頃についてや、父親についてなど、お伝えします。
植木等のプロフィール
本名:植木等
生年月日:1926年(昭和元年)12月25日
没年月日:2007年(平成19年)3月27日
身長:165cm
出身地:愛知県名古屋市
最終学歴:京北学園白山高等学校卒業
所属事務所:ワタナベエンターテインメント
「無責任男」植木等は若い頃かっこいい真面目な男だった
植木等さんは1961年にクレイジーキャッツのメンバーとしてテレビ番組「シャボン玉ホリデー」に出演し、大人気になりました。
その時に生まれたギャグ「お呼びでない?こりゃまた失礼いたしました!」で、お調子者のイメージが定着しました。
1962年に映画「ニッポン無責任時代」に出演すると映画が大ヒットし、その後も「無責任男」のキャッチフレーズで数多くの映画をヒットさせました。
植木等さんはスタイルも良く、歌も上手く男前で、一世を風靡するほどの人気でしたから、女性からの誘いも多かったのではないでしょうか。
ですが、お調子者で無責任男のイメージとは裏腹に、ご本人の性格は超がつくほどの大真面目で、酒の席でハメを外すようなことや、女性関係での浮いた話も全くなかったそうです。
植木等さんは21歳の頃にすでに結婚しており、お子さんもいらっしゃったそうで、仕事が終わるとまっすぐ家に帰っていたそうです。
かっこいい植木等。 pic.twitter.com/mb9n7D5Mqh
— 鮫順 (@tensame) June 14, 2021
また、植木等さんが「長嶋茂雄さん、力道山さん」と並ぶほどの昭和を代表する大スターになったのは、二枚目のコメディアンだったというところにも原因があると言われています。
それまでのコメディアンは、三枚目がおもしろい言動や振る舞いで笑わせていたのが主流でしたが、植木等さんは見た目のいい二枚目です。
その二枚目がおどけてとんでもないことをしでかす様が面白く、新鮮に映りました。
加えて、植木等さんは元々はジャズミュージシャンだったのでコメディソングを歌ってもセンスが良く、おしゃれでした。
1990年代に放送されたテレビ番組「植木等デラックス」では、ゲストのさだまさしさんに「無責任男は植木さんが無理やり作ったキャラクター」と言うと「世間はあれが地だと思っているからね」とコメントしていました。
黒柳徹子さんは「有責任男(うせきにんおとこ)」と評していました。
植木等の自宅は世田谷区の和風住宅だった
植木等さんは東京都世田谷区砧2丁目に住んでました。
閑静な住宅地に立つ和風住宅の2階建の豪邸でしたが、すでに取り壊されているそうです。
【ちょっと一興😉】
モノクロ▶カラー#植木等
昭和40年代前半、東京・世田谷の自宅前にて🤭@retoro_mode pic.twitter.com/gxj731cVw4
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) May 26, 2022
世田谷区に住んだ経緯は、それまで住んでいた目黒区から追い出されたためだ、と冗談交じりに語っていました。
世田谷区砧には映画撮影のスタジオや編集室など、映画製作者にとってはとても便利な場所だったようです。
実家は三重県伊勢市にある常念寺で父親が住職だった
植木等さんは出身は愛知県名古屋市ですが、3歳の頃に父親である植木徹誠さんが浄土真宗の真宗大谷派常念寺の住職となったため、現在の三重県伊勢市に移り住みました。
父親の植木徹誠さんは、社会活動家としての側面も持っており、檀家を訪れた際は「戦争は集団殺人だ」「鉄砲は人に当たらない様に撃つべき」と説き、治安維持法違反で4年間投獄されました。
かなり過激で行動派なお父様だったようですね。
徹誠さんが投獄されている間は、当時小学生だった植木等さんが学校から帰ると僧衣に着替え、檀家をまわっていました。
その時の経験があったため、1993年のハナ肇さんの葬儀では植木等さんが読経されました。
#歴史秘話ヒストリア「スーダラ節が生まれた」にちょっとだけ登場した #植木等 の父が住職をしていた常念寺の跡(#大台町 栗谷)はここ。入口に聞徳寺跡とあるが、聞徳寺跡はGoogleMapだと別の場所(御滝公園横)にある。
常念寺跡「教称院釈浄念法師」の碑
GoogleMaphttps://t.co/V07G4fSScQ#三重県 pic.twitter.com/FCVsZCR97Z— Ruby & Emmeline (@ruby_emy) July 2, 2020
植木等さんの「等」という名前は、徹誠さんの「人は皆平等である」という想いから名付けられたそうです。
また、植木等さんが「スーダラ節」のような不真面目な歌を歌っていいのかと悩み徹誠さん聞かせたところ、激怒されるかと思いきや「すばらしい!」と感動されたそうです。
「わかっちゃいるけどやめられない」という歌詞は、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の教えそのものであると言い、「がんばってこい!」と背中を押されたそうです。
一聴するとただのお調子者の歌ですが、深い意味が込められているのかもしれませんね。
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