谷啓の死去は78歳、死因は脳挫傷。トロンボーンを始めた理由&自宅は三鷹

目をパチパチとしばたたかせながら、どこかとぼけたような芸風がおなじみだった谷啓(たにけい)さん。

60年代に爆発的な人気を呼んだコミックバンド、クレイジーキャッツのメンバーでした。

2010年の死去や死因、担当楽器のトロンボーン、三鷹の自宅についてお送りします。

谷啓のプロフィール

本名: 渡部泰雄(わたべ やすお)

生年月日: 1932年2月22日

没年月日: 2010年9月11日(78歳没)

出身地: 東京府荏原郡東調布町(現: 東京都大田区田園調布)

最終学歴: 中央大学経済学部(中退)

所属事務所: ワタナベエンターテインメント

谷啓が死去。死因は?

2010年には、これまでの功績から「したまちコメディ映画祭」の「コメディ栄誉賞」を受賞することが決定していた谷啓さん。

そんな矢先の9月10日、自宅階段で2階に上がろうとしてつまずき、倒れて頭を強打。

音に気づいた家族が倒れている谷さんを見つけて救急搬送されましたが、翌11日に脳挫傷で急逝してしまいます。


78歳でした。

2年ほど前から体調を崩しており、物忘れの症状も出ていたという谷啓さん。

すでにレギュラー番組を降板し、療養の日々を送っていたそうです。

『釣りバカ日誌20 ファイナル』が遺作となってしまいました。

認知症がひどくなっていた

谷啓さんの認知症が始まったのは、2008年頃。

それから亡くなるまでの間に、認知症の症状はかなり進行していました。

この日会見したタレントなべおさみ(71)によると、谷さんは一昨年ほど前から、物忘れがひどくなったという。

仲の良かったタレント・なべおさみさんは、お見舞いに行った際のエピソードも明かしています。

会ってから1時間半後にもう一度対面すると、谷さんはなべさんの顔がわからなくなっていたそうです。

谷さんは、「お前、なべおさみみたいだな」と言ったそうなので、ぼんやりとはわかっていたのかもしれませんが、ショックを受けたなべさんは涙を流しました。

こうした物忘れの影響なのか、外へ出ると何かから逃げるような様子で動き始め、家族が慌てて追いかけていたのだとか。

家族の顔もわからなくなり、他人に追いかけられているような気持ちだったのかもしれませんね。

さらに、足元がおぼつかない状態だったようで、近所の人からフラフラしながら歩いているところを目撃されています。


遺作となった映画でも、共演者から支えられるようにして撮影したという谷さん。

死因は転倒による脳挫傷ですが、そんな状態だったために、つまずきやすくなっていたのかもしれません。

没後にコメディ栄誉賞

訃報が流れた2010年9月は、前述した「第3回コメディ栄誉賞」が没後に授与されたことも話題になりましたね。

今月、脳挫傷で死去した故谷啓さんがコメディ栄誉賞を受賞し、息子の渡部泰裕さんが代理で賞を受け取った。

この受賞は生前から決まっていたものですが、親しい人の顔を忘れ、家族から逃げ出そうとするほど症状が進行していたとすると、転倒事故がなくても自分で受け取るのは難しかったかもしれません。

とはいえ、全力で取り組んできた谷さんの仕事が、高い評価を受けたことは確かです。

当時は「ハナ肇とクレージーキャッツ」結成55周年のアニバーサリーイヤー。

「第3回したまちコメディ映画祭in台東」では、谷さんも出演するクレージーキャッツの作品が上映され、その音楽に影響を受けたアーティストによるライブも開催されました。

亡くなってしまったのは残念ですが、そうした素晴らしい仕事は、これからも長く語り継がれていくことでしょう。

中学時代にトロンボーンに一目惚れ!

12日に営まれた通夜の祭壇には譜面と鉛筆のほかに愛用のトロンボーンも。

トロンボーンとの出会いは中学生の入学式でした。

ブラスバンドの演奏でトロンボーンを見るや一目惚れした谷啓さんは吹奏楽部に入部。

けれどもその楽器の名前を知らず、また、恥ずかしがり屋な性格から人にも聞けなかったそうです。


高校時代にはバンドマンの仕事をはじめ、大学時代にはバンドを結成して米兵の観客を相手にステージに立つように。

そうした活動で鍛えられた腕前はやがて注目され、シャープス&フラッツに参加。

ありきたりな演奏では面白くないからと、スライドを足で動かすなどコミカルなプレイも披露していたようです。

音楽雑誌ではトロンボーン奏者として上位にランキングされるように。

谷啓さんがハナ肇とキューバン・キャッツに加入したのは1956年。

このバンドがのちのクレイジーキャッツです。

70年代の半ばからは自らのバンド、谷啓とザ・スーパーマーケットを組んで活動していました。

谷啓の三鷹の自宅。以前の自宅は全焼!

谷啓さんは東京都三鷹市大沢の戸建てに住んでいました。

実は1968年にも自宅を新築しているのですが、その家は1969年1月19日に不審火による火災で全焼。

麻雀好きだった谷さんの自宅は近所の人々が出入りする麻雀サロンと化していたようです。

シャイで照れ屋の谷さんは自分から誘うことが苦手だったため、三色の回転灯を設置して近所に合図していたのだそう。

赤色が不在、黄色がメンバー不足、緑色がいつでもどうぞ。

火災跡に麻雀卓が焼け残っていたことから、その場所で野次馬と麻雀を打ったという逸話もあります。


この一件については、近所の住民に心配をかけないための気遣いだったとのことですが、どう見ても異様な光景ですね。

むしろ自宅全焼の直後に現場で麻雀に興じる奇行ぶりが心配になります。

このほかにも、目立つのが嫌で大きめのサングラスをかけて余計に目立ってしまったとか。

ハナ肇さんの愛称「ハナちゃん」を「ちゃん」付けで呼ぶのが気恥ずかしく、犬のように口笛で呼んでいたといったエピソードがありますが、少し天然なところがあったのかもしれません。

口数こそ少ないものの、ここぞという場面で笑いをとった谷啓さん。

幼い頃から引っ込み思案で照れ屋だったといいますが、その一方で、人を笑わせたい、驚かせたいという強い願望もあったのでしょう。

初期のクレイジーキャッツのコントはほとんど谷さんの手によるものでした。

谷啓の経歴まとめ

懐かしの流行語や昭和のギャグ特集などで必ず紹介される「ガチョーン」。

この生みの親が谷啓さんです。

ハナ肇とクレイジーキャッツのトロンボーン奏者であり、コメディアン、俳優でもありました。

クレージーキャッツと表記される時もありますね。

本名は渡部泰雄さん。

アメリカのコメディとジャズが大好きで、有名コメディアンだったダニー・ケイさんにあやかって芸名を「谷啓」に。

生年月日は1932年2月22日 、出身は東京都大田区田園調布、学歴は中央大学中退です。


クレイジーキャッツはもともとジャズバンドで、初めからコメディアン志望だったのは谷啓さんだけでした。

のちに定番となった金だらいコントや視力が悪いのを表す牛乳瓶の底のようなメガネなどは谷啓さんのアイディアから生まれたといわれています。

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