ハナ肇は銅像とドラムで有名。自宅は世田谷の過去。最期まで病名知らず&植木等や谷啓との関係

個性の強いメンバーたちをリーダーとして引っ張り、クレイジーキャッツで日本のお笑いに一時代を築いたハナ肇(はなはじめ)さん。

クレイジーキャッツはコミックバンドであるとともに才人ぞろいのジャズバンドでもありました。

伝説の銅像コントやバンドマンの原点であるドラム、自宅、そして最期についてみていきます。

またメンバーだった植木等さんや谷啓さんについてもまとめます。

ハナ肇のプロフィール

本名: 野々山定夫(ののやま さだお)

生年月日: 1930年2月9日

没年月日: 1993年9月10日(63歳没)

血液型: B型

出身地: 東京府北豊島郡長崎町(現:東京都豊島区)

最終学歴: 工学院土木科

所属事務所: 渡辺プロダクション

ハナ肇といえば銅像役のコント!

ハナ肇さんのコントの中でも忘れられないのが銅像コント。

『新春かくし芸大会』で恒例となっていた銅像役の名物コントです。

首から上を銅色に塗りたくり、銅像に扮した大御所が微動だにできないところへ、後輩の芸能人がやりたい放題というシチュエーションでした。


ケーキをなすりつけられても、ペンキをかけられても、一斗缶で殴られても銅像ゆえに反撃できないハナ肇さん。

目鼻立ちが大きいうえに、目だけが反応して動いてしまうところも爆笑でした。

インパクト抜群で強く印象に残る

銅像コントを楽しんでいたファンの中では、ハナ肇さんと銅像がすっかり結びついているかもしれません。

観光旅行で有名な銅像を見たときなども、思い出すファンはたくさんいるのでしょう。

「銅像=ハナ肇」ですり込まれてしまうほどインパクトがあり、なおかつ面白いコントだったんですね。

こうした連想は、関係のないドラマなどを見ていても、勝手に頭に浮かんでくることがあるようです。

銅像かハナさん、どちらかが出てくる作品なら、自動的にコントの思い出がよみがえるのではないでしょうか。

これからも、ハナさんが残した仕事は長く語り継がれていくことでしょう。

本当に銅像ができたことはない

銅像とハナさんは切っても切れない関係となっていますが、それはあくまでもコントの影響。


実際に銅像ができた事実はありません。

「銅像=ハナ肇」が長くインプットされているファンの中には、本当に銅像があるかのような錯覚を起こした人もいるかもしれませんが、それは記憶違いです。

こうした話題は、志村けんさんの銅像ができたときもSNSなどで見かけましたね。

確かに、共演していた志村さんの銅像があるなら、ハナさんの銅像があってもよさそうなものです。

コントの中で銅像を演じていたわけですから、そんなアイディアが出たこともありそうですが、なかなか実現しないようですね。

有名人の銅像の話題で盛り上がるファンたち

ハナさんの名前が銅像の話題で登場したケースだと、近年は森喜朗さんもありますね。

銅像計画が進行中というニュースを知り、「銅像といったらやっぱり」と盛り上がるファンが続出しました。

有名な政治家とコントを結び付けるのは攻めた発想ですが、久々に大好きなコントを思い出し、嬉しくなってしまったのでしょう。

こうした現象は、今後も続いていく可能性が高そうです。


誰かの銅像が完成したり、計画が発表されたりするたびに、銅像コントの話題は何度でも復活することでしょう。

その中で「ハナ肇の銅像はどこに?」という話も繰り返されると思われますが、いつかは実現してほしいものですね。

ハナ肇の原点はドラム

10代の頃、アルバイトのかたわら進駐軍のクラブでドラムを学んだハナ肇さん。

バンドマンとしてのデビューもドラマーでした。

もともとジャズバンドだったクレイジーキャッツですから、ミュージシャンとして生きた生涯でもありました。

ドラムに関しては1985年に谷啓さん、宮川泰さんらと結成したバンド、ハナ肇&オーバー・ザ・レインボーで改めて腕を磨いていたようです。

同バンドは死去する直前まで活動。

クレイジーキャッツのメンバー安田伸さんは、ハナは晩年に真のドラマーになったと通夜の席で語っています。

ハナ肇の自宅はどこにあった?

ハナ肇さんの自宅は東京都世田谷区中町にあったそうですが、今は別の家になっているとのこと。

隣には以前沢田研二さんの自宅があったようですが、こちらもすでになく、違う家になっているそう。

ハナ肇さんほどの大御所が住んでいた自宅は気になりますが、ほかに情報は見つかりませんでした。


クレイジーキャッツのメンバーはみな家庭を大切にしており、スキャンダルとはほぼ無縁でした。

ハナ肇さんは亡くなるまでメンバーと家族のようなつきあいをしていたといわれています。

ハナ肇の最期

ハナ肇さんは1993年9月10日、肝臓がんのため杏林大学付属病院にて63歳で死去。

犬塚弘さん、谷啓さんらクレイジーキャッツのメンバーに見守られて旅立ちました。

病名ががんであることは本人には最期まで伏せられていたそうです。

入院中、ハナ肇さんはメンバーの沈んだ気持ちを吹き飛ばすため、冗談を言ったりふざけたりして笑わせていたのだそう。

告別式では、男泣きにしゃくり上げながら弔辞を読む植木等さんの姿が印象的でした。

クレイジーキャッツは正式に活動休止や解散を発表をしていませんが、ハナ肇さんの他界とともに事実上の活動停止に入ります。

ハナ肇と植木等・谷啓

ボーカルとギター担当の植木等さん、トロンボーン担当の谷啓さんは、ともにフランキー堺とシティ・スリッカーズに在籍していたところを引き抜かれたメンバー。

当初は引き抜きを快く思わないスリッカーズの芸能事務所から圧力もあったそうですが、谷啓さんは即座に移籍を決意。

二の足を踏んだ植木等さんはおよそ1年遅れて加わりました。


植木等さんは『スーダラ節』の歌声やCM、谷啓さんは「釣りバカ日誌」シリーズなどメディアへの露出も多く、メンバーの中では認知度の高い二人です。

まだ「男はつらいよ」シリーズが誕生する前、若き山田洋次監督の才覚を見抜き、「馬鹿」シリーズでタッグを組んだハナ肇さん。

才能を感じとる感覚にも優れていたのでしょう。

また、植木等さんや谷啓さんら人気スターを抱えたクレイジーキャッツをまとめ上げ、解散に至らせなかった功績も大きいと思います。

ハナ肇の経歴まとめ

高度成長期にテレビや映画で日本中に笑いを振りまいたクレイジーキャッツ。

正式なバンド名をハナ肇とクレイジーキャッツといいます。

クレージーキャッツと表記されることもありますね。

名称からわかる通り、バンマスはハナ肇さん。

インパクトのある芸名ですが、「ハナ」は興奮すると鼻の穴が大きくなることから、「肇」は尊敬するジャズピアニスト・和田肇さんからいただいたもの。

本名は野々山定夫さんといい、1930年2月9日、東京都豊島区長崎町で生まれました。

工学院工業学校土木科を中退しています。

クレイジーキャッツは戦後に進駐軍が持ち込んだジャズがブームを呼ぶ中で誕生し、音楽とコントの融合で芸能界を席巻。

喜劇や漫才とは違う瞬発力のあるナンセンスギャグが持ち味でした。


ハナ肇さんの「アッと驚く為五郎」、谷啓さんの「ガチョーン」、植木等さんの「お呼びでない?」は平成世代も一度は耳にしたことがあるでしょう。

当時、ハナ肇さんは渡辺プロダクションのタレントはもとより、芸能界のドン的な存在でした。

余談ですが、ザ・ドリフターズは渡辺プロの後輩にあたります。

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