植木等と小松政夫の関係は?スーダラ節で葛藤?実はサラリーマンだった?名言が多い!

植木等(うえき ひとし)さんといえばスーダラ節を思い浮かべる人も多いでしょう。
この歌に元気をもらったサラリーマンも少なくないはず。
ですが植木さんは自身の代表曲とも言えるこの歌を歌うことを躊躇していたそうです。

植木等のプロフィール

本名:植木等

生年月日:1926年12月25日

没年月日:2007年3月27日(80歳没)

身長:165cm

血液型:AB型

出身地:愛知県名古屋市

最終学歴:東洋大学文学部国漢科(旧制)

植木等はスーダラ節を歌うことに躊躇いがあった?

「ハナ肇とクレージーキャッツ」の代表曲であり昭和を代表する名曲でもある「スーダラ節」。
累計売上が80万枚と言われるスーダラ節は今でいうインディーズの楽曲。

元々はB面用に作られた曲でしたがスーダラ節の方がヒットしたことでA面とB面が入れ替えられています。
ちなみに最初にA面だった曲は「こりゃシャクだった」です。


植木等さんがブレイクするきっかけともなったスーダラ節。
実はスーダラ節を歌うことに躊躇いがあったそうです。

植木さんがスーダラ節を歌うことを躊躇った原因が詩。
テレビと違って生真面目な性格で、不真面目な内容の誌があまり好きではなかったようです。

その時に背中を押したのが植木等さんの父。
浄土真宗のお寺の住職である父から

必ずヒットする

と激励されたんだとか。

父の言葉もありスーダラ節を歌うことを決めた植木等さんですが、その後も

こんな歌がヒットして悲しい

と思い悩むことがあったそうです。
本当に植木等さんは真面目だったですね。

植木等はスーパーサラリーマンだった?

多くのギャグを生み出していることからバラエティの印象が強い植木等さん。
当時のはバラエティ番組「植木等ショー」や映画「無責任シリーズ」などコメディー路線が多かったのも事実。

ですが似たような内容が続くとマンネリ化が懸念されるのは今も昔も同じこと。
そこで無責任シリーズの配給元であった東宝が打ち出したのが「日本一の男シリーズ」。
日本一の男シリーズで植木等さんは有言実行型のスーパーサラリーマンを演じています。

「日本一の男」シリーズは10作も続いた人気作となり植木さんは新境地を開拓したと言えるでしょう。
一方の無責任シリーズはわずか2作品。
そのまま無責任シリーズを続けていたら俳優として高く評価される日は来なかったかもしれません。

親子と言えるほどの関係だった植木等と小松政夫

当時は今のようにお笑いの養成所があまりないことから師弟関係を結んでお笑いの修行をすることが多かった時代。
若い頃はコメディアンとして活躍していた植木等さんなら弟子入り希望が大勢いたことでしょう。
ですが、弟子となったのは小松政夫さんただ一人。

小松政夫さんが早くに父親を亡くしていることから

これからは僕を父と思えばいい

と告げた通り師弟というよりも親子に近い関係だった二人。
植木等さん夫婦が唯一仲人を務めたのも小松政夫さんでした。

多くのギャグを持つ植木等さんですが、代表的なギャグと言えば「お呼びでない」。
これは小松政夫さんが植木さんの出番を間違えたことから誕生したギャグだと言われています。


ですが、小松政夫さんは

聡明な彼が、まさか出番を間違えるはずがない

とこの有名なエピソードを否定しています。

今では植木等さんが小松政夫さんの名をアピールするために作り上げた偽りのエピソードだと言われています。
偽物のエピソードを作ってまで自分を売り出してくれた植木さんに小松さんは感謝してもしきれなかったことでしょう。

植木等が残した名言の数々

植木等さんと言えば数々のギャグを残したことで知られています。
ですが、人々の心に残る名言も多く残しているんです。

それでは植木さんが残した名言をいくつかご紹介しましょう。

自分がやりたいことと、やらなければならないことは別なんだ

住職を父に持つ植木等さんは生真面目な性格として知られています。
それだけにコメディーを演じることに葛藤に苦しむこともあったようです。
そんな植木さんが生み出したこの言葉は実感がこもっていて深みがある名言です。

オリジナリティーがその人の存在価値


似たような芸人だけでなく他人の芸を真似するだけの人もいる現在の芸能界。
植木等さんのこの言葉を聞くのは耳が痛い人も多いのではないでしょうか。

人と違うことをして確固たる地位を築き上げた植木さんならではの名言でしょう。
このようなタレントが増えればテレビがもっと面白くなると思ってしまいます。

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