熊川哲也の若い頃がかっこいい!実家は札幌市?両親や兄弟との生活&祖父がバレエのきっかけ

バレエダンサーの熊川哲也(くまかわてつや)さん。

ダンサーとしてだけでなく、振付家・演出家として世界的に活躍されていますね。

そんな熊川哲也さんですが、若い頃がめちゃくちゃかっこいいと話題です。

さらに実家は北海道にあり、両親や兄弟、祖父など家族についても気になるところですよね。

そこで熊川哲也さんの若い頃や実家、ご家族についてまで詳しくお伝えしていきます。

熊川哲也のプロフィール

愛称:テディ

本名:熊川哲也

生年月日:1972年(昭和47年)3月5日

身長:174cm

出身地:北海道旭川市

最終学歴:ロイヤル・バレエ学校

所属事務所:矢島聰子事務所

熊川哲也の若い頃がかっこよすぎる

熊川哲也さんは2023年で51歳になられたのですが、とても50代とは思えないほどかっこいいですよね。

そして若い頃が今以上にかっこいいという情報がありましたので、さっそく見ていきましょう。

若い頃も本当にかっこいいですよね。


ですが現在の印象も残っていて、かっこいいまま年を重ねられたんだなということが分かります。

熊川哲也さんといえば、昔も今もバレエダンサーとして功績を残されています。

10歳のときにバレエを始め、14歳のとき世界的名バレエ教師のハンス・マイスターにその才能を認められました。

15歳からイギリスにあるロイヤルバレエ学校に留学。

第17回ローザンヌ国際バレエコンクールでは、日本人初めてとなるゴールドメダルを受賞しました。

1989年には、英国ロイヤル・バレエ団に東洋人として初めて入団しました。

このように、「日本人初」「東洋人初」といった快挙を数々成し遂げられています。

若い時からこのような功績を残してきたため、日本でも非常に注目度の高かった熊川哲也さん。

それに加えてこれだけイケメンとなると、女性人気が高まらないわけがないですよね。

若い頃のバレエをしているお姿も、本当にかっこよくて素敵です。

まさに「プリンス」といったイメージですね。

実際にSNSでも、

昔も今も、ずっと「かっこいい」と言われていて、本当に素敵だなと思いますね。


ちなみに51歳になられても、独身を貫いています。

これだけかっこいいので、数々の女性に言い寄られたと思うのですが、独身とは驚きですよね。

それだけ今もバレエに集中し、ずっとバレエに人生を注ぎ続けているのではないでしょうか。

熊川哲也の実家は北海道札幌市?

熊川哲也さんは、北海道旭川市で生まれました。

15歳の時にイギリスにバレエ留学するまでは、北海道で暮らしていたんですよ。

しかし父親の天職に伴って、3歳のときに旭川市から札幌市に転居しました。

よって現在の実家は、ご両親が引っ越しなどをしていなければ北海道札幌市にあると思われます。

熊川哲也さんは、北海道を愛していることでも有名ですよね。

イギリスに留学していた頃は、北海道がかなり恋しくなっていたとか。

年に1回実家に帰った時は、畑仕事に汗を流して北海道を満喫していたんだそうです。

さらにご自身のKカンパニーを創設されたときも、忙しさなどから自分を見失いかけたとか。

その時も、愛車を運転してはるばる北海道に行き、幼馴染との再会や自然を満喫したんだそうです。

車好きということはとても有名ですが、まさか東京から北海道まで車で行かれるとは。


何時間かかったのでしょうか。

それほどまで、熊川哲也さんにとって北海道は大切な場所になっているんですね。

大好きな車に乗る時間も、とても大切なものだったのでしょう。

熊川哲也の両親、兄がいる、バレエは祖父がきっかけ

熊川哲也さんは、父・健一さん、母・さち子さんの次男として誕生しました。

兄弟は兄がいて、さち子さんは次に女の子が欲しかったそうですが、男の子が誕生。

しかし熊川哲也さんはさち子さんにとても顔が似ていたそうで、女の子の服がよく似合っていたんだそうです。

旭川市で3歳まで過ごし、その後健一さんの転職で札幌市に移住しました。

その時に住んでいた家は、廃業予定の小さな雑貨屋兼住居。

そこでさち子さんは雑貨屋を経営しながら、子育てをしていました。

実は小さい頃は、バレエとは無縁の生活を送っていたとのこと。

しかし熊川哲也さんは父の両手のひらに乗って立ち、バランスを取る遊びが大好きでした。

こうした遊びの中で、バレエの素質を見に着けていったのかもしれませんね。

実際バレエを始めたのも10歳の時なので、小さい頃から英才教育を受けていたわけではありません。


その中で急遽才能を発揮されたのですから、小さい頃から素質があったのでしょう。

そして父親の実家は富良野の農家です。

ということは、熊川哲也さんの祖父は富良野で農家をやっていたということになります。

一方母方の祖父は、バレエスタジオを開いていました。

庭をつぶして、30畳ほどの小さなバレエスタジオを立てたんだそうです。

そこに遊びに来ていた熊川哲也さんが興味を持って、バレエを始めたとのこと。

名前は「久富淑子バレエ研究所札幌支所」で、自宅の隣だったため行き来もしやすかったんだと思います。

他にも野球や剣道などいろんな習い事をしていたそうですが、バレエだけが最後まで続きました。

そして徐々に頭角を現し、バレエダンサーとしての道を歩み出したんだそうです。

最初、父の健一さんは「男がバレエをやるなんて」と早く辞めてほしかったと言っています。

確かにこの時代、男性のバレエダンサーはまだまだ少なかったですよね。

しかし息子が選んだ道ということで、応援することを決めました。

自分からバレエを辞めたいと言い出したことも、なかったんだそうです。

熊川哲也さんの活躍には、ご家族の支えやきっかけがあったからだということが分かりますね。


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