西村知美(にしむらともみ)さんは数々の天然エピソードで知られるタレント。
そんな彼女の若い頃の写真がとてつもなくかわいいと評判なのです。
またあの武豊騎手の奥様・佐野量子さんとの関係や世間で語り継がれる「ワープ事件」の概要や真相にも迫ってみました。
西村知美のプロフィール
愛称:知美ちゃん、トロリン
本名:西尾知美
生年月日:1970年(昭和45年)12月17日
身長:153cm
出身地:山口県宇部市
最終学歴:堀越高等学校
所属事務所:芸映
西村知美の若い頃がかわいいと話題
西村知美さんは2023年現在53歳、年齢を重ねても相変わらずキレイなかたですが彼女の若い頃が超絶かわいいと評判なのです。
百聞は一見に如かずということで早速画像を集めてみました。
あどけないかわいらしさ、グラビア雑誌『Momoco』の表紙を飾った頃
西村知美さんは学習研究社から出版されていた女性アイドルグラビア月刊誌『Momoco』への登場が芸能界入りの第一歩。
1984年姉が彼女の写真を応募し、このグラビア雑誌に桃組出席番号922として掲載されたのがはじまりです。
翌年には同誌が開催した『第一回ミス・モモコクラブ』でグランプリを受賞しています。
【Momoco(モモコ)/1986年5月号】ピンナップなし/表紙・巻頭=西村知美/菊池桃子/石川秀美/少女隊/杉浦幸/小原靖子/島田奈美/設楽りさ子/紘川淳/他入荷https://t.co/kMp4cRSCCK⇐こちらからご購入になれます。文献書院&ブンケンロックサイド出品中 #momoco #西村知美 #菊池桃子 #80年代アイドル #古本 pic.twitter.com/sEstUsRUW6
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1986年に『Momoco』で表紙を飾った時の西村知美さん。
当時16歳ということでまだあどけない表情。
眉毛を整えていないところに時代を感じますが、ぷっくりしたほっぺたがかわいいですね。
『ドン松五郎の生活』で女優デビュー
1986年には『ドン松五郎の生活』という映画で女優デビューを果たします。
本日入荷のLPレコードです。
1986年公開、西村知美主演映画
ドン松五郎の生活のサントラ盤が入荷しました❗️
こちらから通信販売でも購入出来ます。https://t.co/5UFIdI814L pic.twitter.com/GQOf4gzY4x— 神保町タクト (@CdTacto) June 21, 2021
メイクもほとんどしていないのにこんなにかわいいのは反則ですよね。
西村知美さんはこの作品の主題歌も歌っており、アイドル歌手としてもデビュー。
かなり華々しい売り出し方に、事務所から彼女への期待値の高さが伺えますよね。
『わたし・ドリーミング』でレコード大賞受賞
💗アイメモ第79回💙西村知美💗
M1 わたし・ドリーミング
作詞:安井かずみ/作曲:加藤和彦/編曲:武部聡志
1986年9月29日/3rd.#fmodawara #アイドルメモリーズ #いまのまい #80年代 #90年代 #アイドル #西村知美 pic.twitter.com/WJDWcAlMqM— まいのアイドルメモリーズ🌟次回:昭和とらいあんぐる7周年記念 (@idolmemories879) September 30, 2021
86年には日本レコード大賞で新人賞受賞。
純朴そうなイメージでこんなにかわいいときたら人気が出るのも納得ですよね。
少し大人の表情、20歳の西村知美
20歳の西村知美さん
おとなトロリン「ヴァンタン」(1991/2/28)
場所:ロサンゼルス同名タイトルCDに収録された「花泥棒」という題名を言うと何故か周りの人が笑うそうです。(悲しい歌なのにね!)#西村知美#トロリン#1991年 pic.twitter.com/nKtFluUcHs
— Terzaghi.cw (@TerzaghiCW) May 23, 2020
1991年にリリースされたアルバム『Vingt ans』は20歳の頃の作品。
20代に突入したということで、これまでにない大人っぽい表情を見せています。
20歳の西村知美さん。
知美さんの隠れたキャラクターは、わかる人にはわかっていたんだなと。(文・小沢忠恭)~抜粋
【宇部に遊びに行って、たくさん写真を撮った。
精一杯頑張っていたのか、水を得た魚のようだったのか、
<続く>#西村知美#トロリン#1991年 pic.twitter.com/dHiexMjAqQ— Terzaghi.cw (@TerzaghiCW) October 30, 2019
西村知美さんが12月17日に誕生日です。2歳上が佐野量子さんと菊池桃子さんで、凄い時代になったものです。 テレカ全盛期、アイドル様は20歳というのは意味あるもので、記念テレカが発行されることが多かったです。俺は間接的に仕事に関わってましたね。 #西村知美 #テレカ #アイドル #誕生日 pic.twitter.com/CpoubhtidA
— 維桜(いお) (@fortis3758) December 17, 2018
今でこそバラエティ番組などで活躍する「おもしろキャラ」で売れているイメージが強いですが、若い頃はアイドルしてたんですね。
さて、今回はデビュー当時からアイドルにとっては大きな意味のあるハタチの頃までの画像を集めてみました。
オンライン上で話題の西村知美さんの若い頃がかわいいという噂は本当のようですね。
西村知美と佐野量子は同じ路線、ライバルと思いきや二人は仲良し
西村知美さんと佐野量子さんは同世代の元アイドル同士。
ライバルなのかと思いきや2人はとても仲良しなのです。
類は友を呼ぶ、佐野量子は西村知美にも負けない天然キャラ
佐野量子さんは現役時代浅井企画に所属していました。
同事務所には小堺一幾さんや関根勤さんらも所属していたころから2人との共演が多かったそう。
この2人が佐野さんの天然ボケを拾い、上手に活かしたことからバラエティでも活躍するようになっていったと言います。
昔から類は友を呼ぶともいいますし、確かに同じく天然キャラで知られる西村知美さんと気が合いそうです。
実はアイドルの写真の撮影経験が豊富なカメラマン・小澤田忠恭さんによると佐野量子さんのおおらかさは西村知美さん以上。
彼が明かす佐野量子さんの天然エピソードが驚きなのでご紹介します。
当時地元静岡からバスで東京まで仕事に通っていたという佐野量子さん、ある時帰りのバスを乗り過ごしたことがあったといいます。
その時の彼女がとった行動がとんでもないのです。
『困ったなあって思っていたらトラックが停まってくれて、家まで送ってくれました』
ここまで来ると天然を超えて危なっかしいエピソードですね。
もしかしたら佐野量子さんといる時は西村知美さんがツッコミだったりするのでしょうか。
西村知美「夢色のメッセージ」予約カード
182×63mm 1986年
佐野量子「ファースト・レター」予約カード
207×78mm 1985年#西村知美 #佐野量子 https://t.co/N9ByRbMwY4 pic.twitter.com/fNrXAOZZxe— sick36 (@sick362) November 9, 2022
天然な2人はキャラだけではなく、ふんわりしてかわいい見た目も似ていますよね。
佐野量子引退後も2人の友情は続く
ご存じの方も多いかもしれませんが佐野量子さんは1995年にJRAの騎手・武豊さんと結婚し芸能界を引退しました。
今では一般人となりメディアへの露出はほとんどない状態です。
そんな佐野量子さんが久しぶりに登場したのが西村知美さんのブログ。
2014年西村知美さんのブログに、2人で遊んだ時のものと思われるツーショット写真が登場。
佐野量子さんの変わらぬ美貌に驚かされた方も多かったことでしょう。
また2021年には「コロナ禍でなかなか会えていないけれど、コロナが落ち着いたら会いたい」と書かれています。
佐野量子さんが芸能界を退いてから2023年で28年になりますが、今でも2人の友情が続いているというのがステキですよね。
西村知美のワープ事件とは
西村知美さんにはワープ事件という何ともSFチックな名前の疑惑があります。
一体何のことかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これは彼女が24時間テレビでチャリティーマラソンを走った時に起きた事件のこと。
日本の夏の風物詩ともなった有名テレビ番組で起こった「西村知美ワープ事件」の詳細と真相について探ってみました。
視聴者に衝撃を与えたワープ事件とはどんな出来事だったか
西村知美さんがマラソン走者に抜擢されたのは2002年のこと、女性ランナー最長の100kmに挑みました。
雨の中、ひざの痛みに必死に耐えながら完走した姿は全国の視聴者に爽やかな感動を与えてくれましたよね。
しかしこのチャリティマラソンについて不可解な点があるというのです。
それは次のようなもの。
西村知美さんは番組2日目の午後6時過ぎ、70km地点を走っていました。
番組が終わるまではあと3時間、ゴールまではまだ30kmあり、時間内ゴールは難しいと思われました。
ところがそれから1時間後の午後7時、テレビに表示された残りの距離が一気に残り10kmにまで縮まっていたというのです。
それが本当だとすると1時間で20km走破したことになりますね。
時速20kmがどれだけ速いかというと、オリンピック・マラソン選手レベル、まさに世界記録レベルの速さなのです。
どれだけトレーニングを積んでいても西村知美さんは普通の女性タレント、しかも前日から既に70kmを走り続けて疲労はピークに達していたはず。
いくら何でも1時間20kmはあり得ないですよね。
これを見ていた視聴者からは「ワープした」、「車で移動している」、「ヤラセだ」という声が噴出。
これが世にいう西村知美さんのワープ事件なのです。
実はこのワープ事件を機に同企画が距離を誤魔化してないかをチェックする視聴者らによる「監視グループ」が現れたほど、ワープ事件は世間に大きな衝撃を与えたのです。
残り距離の表示ミス?ワープ事件の真相
オンライン上で情報を探ると視聴者を騒然とさせた西村知美さんのワープ事件の真相は、録画映像と生中継映像を混ぜて放送したため起こった視聴者の誤解だったという説があります。
実際のところ西村知美さんは午後6時時点には東京都目黒区を走っていました。
ところが放送使われたのはまだ残り30km地点である川崎市内走行中に撮影された録画映像だったのです。
しかし見ている人は川崎市内を走る映像が録画映像だと気づかず、残り30kmという表示も午後6時現在のものと認識。
その結果午後7時に残り10kmの映像が流れた際に「1時間で一気に20km走った」という誤解に繋がったというのです。
2002年回顧録(ランナーは西村知美さん)。録画と生中継を混同させ放送したため、ネット住民が世界記録だと誤解して騒ぎになりました。追跡する人は皆無。雨。24時間テレビマラソンhttps://t.co/Z90I34u9HD pic.twitter.com/sWHnWLURB0
— 24時間テレビマラソン現地応援 (@24marason) August 18, 2016
実際に日本テレビが説明した記録などが残っているわけではないので、この説明の真偽や出所は不明ですが、一応の筋は通っていますよね。
どちらにしろ、視聴者の誤解を生むような放送をするのは問題があると言わざるを得ませんが。
もしこれが本当だとしたら、一生懸命100㎞自力で完走したにも関わらず「車移動でワープした」と今日に至るまで噂され続ける西村知美さんにもかなりの迷惑をかけていることになります。
ワープ事件の真相がテレビ局の放送の仕方に起因する誤解であったということならば、放送局はしっかりこの反省に立ち視聴者に変な誤解を与えないような番組作りを心掛けて欲しいものです。
西村知美の天然エピソードはレベル違い
西村知美さんといえばその類まれなる天然ぶりでも有名ですよね。
そこでこれまでテレビなどで明らかにされた彼女の天然エピソードの中でもとりわけすごいと思わされたエピソードをご紹介します。
これは2022年に出演した『激レアさんを連れて来た。』で披露された天然エピソード。
ある日のこと西村知美さんは、お腹が空いていたのか食事処を探して歩いていたそう。
そんな時彼女の目に飛び込んできたのが「○○家」と書かれた提灯。
中を覗くと人々がお寿司を食べていたので、レストランで間違えないと思って中に入ったそう。
しかし実はそこはレストランではなく、お通夜の席だったというのです。
彼女のとんだ間違いにその場にいた「○○家」の人たちもさぞかし驚かれたことでしょう。
テレビで天然エピソードを明かす芸能人は沢山いますが、さすが元祖・天然と呼ばれる西村知美さん。
この日の番組への出演は15分程度でしたが、スタジオにいた共演者と視聴者に強烈なインパクトを残したようです。
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