タレントの西村知美(にしむらともみ)さんは、2023年も変わらず素敵な笑顔とトークで数々の番組を盛り上げているようです。
健康番組で病気が発覚していましたが、その後は大丈夫なのでしょうか。
自宅や山口の実家について、微笑ましい話がいろいろあります。
西村さんは独特のキャラですが、姉や母親はどのような方なのか探ってみました。
西村知美のプロフィール
本名:西尾知美(にしおともみ)
生年月日:1970年(昭和45年)12月17日
身長:153cm
出身地:山口県宇部市
最終学歴:堀越高等学校卒業
所属事務所:芸映
西村知美は現在ラジオ番組レギュラーとバラエティ・情報番組を中心に芸能活動中
西村知美さんは、若い頃と比較するとメディアに出ていないようです。
しかしラジオ番組を2本レギュラーで持っており、毎週出演中。
ラジオ日本「加藤裕介の横浜ポップJ」の月曜パートナーと、ニッポン放送「森田健作 青春の勲章は くじけない心」の月曜パートナーを担当しているそうですよ。
さらに、単発ですが毎月2,3本ほどテレビ番組にも出演しています。
2023年2月もテレビ東京「よじごじDays」で、アキラ100%さんと一緒に草津温泉をロケしていました。
旅行番組に西村さんが出ると、明るく華やかな雰囲気になって良いですよね。
若い頃とほぼ変わらない素敵な笑顔を見せており、元気にしているようです。
西村知美はいびきで病気が見つかった
明るい性格で、病気もどこかに吹っ飛ばしそうな西村知美さん。
しかし、病気があったことが明らかに。
西村さんは幼い頃からいびきをかいており、結婚してからも治ることはありませんでした。
あまりにも大きないびきで娘さんも「隣の部屋で寝ていても聞こえる」と言うほどひどかったといいます。
2015年にたまたま出演した健康番組で、このいびき問題を伝えたところ「睡眠時無呼吸症候群」と診断されてしまいました。
大きないびきをかく人は、いびきの間に音が一定時間止まりますよね。
その間、なんと呼吸も止まっているというのです。
これは本当に恐ろしいことで、呼吸が止まると体に酸素が行き渡りにくくなるのだとか。
最悪の場合、脳疾患などの病気を起こし得るといいます。
西村さんは、別の健康番組に出た際にMRIを撮ってもらったそうです。
すると、軽度の脳梗塞が2箇所も見つかってしまいました。
軽度の脳梗塞だと自覚症状がほとんど無く、跡だけが画像を見るとわかるといいます。
どうしたものかと思いながら、「そろそろ病院に行ったほうが良いかな」と思った時にはコロナ禍に。
病院できちんと検査するには至っていないようです。
重大な病状が出る前に、早めに病院に行けるといいですね。
西村知美の自宅にまつわる楽しいエピソード
西村知美さんは、ミニチュア食玩コレクターなのだそうです。
もともと小さい物に興味があったそうで、自分でも買って収集していたといいます。
また、仕事でもらったものも合わせると随分と溜まったのだとか。
そこでガラスケースに収納して、自宅の玄関に飾っているそうですよ。
ドアを開けると、美味しそうなミニチュア料理がずらりと並んでいるのですね。
見ているだけでお腹が空いてきそうなほど、食玩の出来栄えはバッチリ。
西村さんは、玄関で食玩を眺めながら「今日の晩御飯はどれにしようかな」と考えることもあるそうです。
そうやって献立を迷うのも楽しそうなので、同じように集めて飾ってみたくなりますね。
また、西村さんは「温泉ソムリエ」の資格も持っているのだとか。
その資格を生かして、入浴を自宅でも楽しんでいるといいます。
バスタブトレーを置いており、果物や炭酸水を持って風呂に入るのだそうです。
タブレットも用意して、長風呂を目いっぱい楽しんでいる西村さん。
入浴剤も常にストックして置いて、その日の気分でどれか選ぶのだそうです。
お気に入りは「マグマオンセン」で、なんと大分・別府温泉の温泉水を粉末化した入浴剤。
本当は温泉巡りをしたいところですが、コロナ禍でなかなか自由に行くことが難しかった時期が長かったですよね。
そこで、このような入浴剤で擬似体験をして楽しんでいたようですよ。
西村知美の実家は山口県宇部市。1歳年上の姉と共働きの母
ここでは、西村知美さんの実家や姉と母について見ていきます。
西村さんは、山口県宇部市の出身です。
のどかな田園地帯の山口県のなかでは、かなり都会にある宇部市。
その中でも藤山という、中心部に近いところに住んでいたといいます。
宇部といえば、宇部興産(現・UBE)という化学やセメントなどの工業が盛んな地域です。
一昔前は、宇部で生まれたモモイロペリカンのカッタ君という人懐っこい鳥でブームになったこともありました。
ファンに姉が拉致されていた
西村さんが生まれ育った家族は、父と母そして姉の香里(かおり)さん。
姉は1歳年上で、西村さんが芸能界に入るきっかけを作った人。
こっそり「第1回ミス・モモコクラブ」に応募してくれてグランプリを受賞したのです。
幼い頃から姉妹の仲がとても良く、西村さんの芸能活動を理解してくれた人。
本日3月20日は #西村知美 さんのデビュー曲「夢色のメッセージ」が発売して37周年記念日です㊗️
来生姉弟コンビ&萩田光雄さんによるデビュー曲に相応しい透明感のある心温まる曲に仕上がっています☺そこに知美さんの癒しの歌声がプラスされ、オリコン初登場2位も納得👍#80年代アイドル#来生たかお pic.twitter.com/GAxYlvJny2— TAKA☆王子兄弟 (@itaka2941) March 20, 2023
実は、西村さんがデビューした頃にファンによって姉が連れ去られるという事件が発生。
自宅にファンが押し入り、ナイフを突きつけ車に乗せられてしまいました。
そして実家の山口県から東京まで行って、「西村さんに会わせろ」と脅迫したのです。
運良く、途中停車したところで救助されて姉は無事でした。
熱狂的なファンは、熱心に応援してくれてありがたいことが大半です。
しかし、このような一部のファンがいることで家族にまで命の危険が及ぶことがあるのですね。
西村さんの姉はとても怖かったはずです。
犯人は逮捕されましたし、命に別状が無かったことがせめてもの救いですね。
母は共働きで寂しかった子供時代
西村知美さんは母と長い間、確執のようなものがあったそうです。
共働きで家におらず、家事も思うようにできなかった母。
大人になれば事情も理解できますが、幼いうちは「どうして他のお母さんみたいに色々してくれないの?」と理解できないものですよね。
母が多忙だったため、会話もあまりできなかったそうで寂しい思いをしていたようです。
そのまま思春期を迎え、芸能界にデビュー。
微妙に母との間に溝を感じながら15歳で上京した西村さん。
芸能界に入ってしばらくしても、状況は改善されなかったといいます。
結婚して子供を身籠った時、「母は面倒を見てくれないだろう」と思っていたのだとか。
しかし、身重の西村さんが手伝いを頼むと喜んで手伝いに来てくれたそうです。
もともと、料理など主婦業は得意でなかったお母さんでしたが一生懸命お世話をしてくれました。
そして何より、ずっと一緒にいて生活することがなかったので母と一緒にいられて嬉しかったようです。
その後も母は、西村さんの娘が小さいうちは度々上京。
仕事で留守にする西村さんの代わりに、孫をきちんと見てくれていたようです。
西村さんが子供を持ってから、親との距離が縮まって本当に良かったですね。
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