北島三郎(きたじまさぶろう)さんは、言わずと知れた日本歌謡界を代表する大御所演歌歌手の1人です。
実は、北島さんは演歌歌手としてデビューする前の24歳の時、当時下宿していたアパートの大家さんの娘・雅子さんと結婚されています。
お2人の間には、2人の男の子と、3人の女の子の合計5人のお子さんが誕生しました。
今回は、そんな北島三郎さんの2人の息子さんについて、お伝えします。
北島三郎のプロフィール
愛称:サブちゃん
本名:大野穣
生年月日:1936年(昭和11年)10月4日
身長:161cm
出身地:北海道上磯郡知内村
最終学歴:東京声専音楽学校卒業
所属事務所:北島音楽事務所
北島三郎の息子・長男は事務所の社長
北島三郎さんの長男は、大野龍さんとおっしゃいます。
芸能活動はされていないため、写真などは公表されていません。
北島さんの個人事務所である「北島音楽事務所」は1972年10月9日に設立され、それまで所属していた新栄プロダクションから北島さんが独立する形で立ち上げられました。
当初は北島さんの妻である大野雅子夫人が社長を務めていましたが、2007年に山本譲司さんが事務所から暖簾分けで独立するのと同時に、龍さんへ受け継がれました。
龍さんは1963年生まれで、北島さんが歌手として初めてのヒット曲「なみだ船」を手にし、紅白歌合戦に初めて出場した年でもあります。
北島さんにとって龍さんは第一子でしたので、子供が生まれて改めて覚悟を決め、活動に望まれたのかもしれませんね。
それ以降、ご存知の通り北島さんは「昇り龍」のごとく演歌界で活躍して行くこととなります。
龍さんはご結婚しているそうですが、奥様に関しては名前や顔写真などの情報は一切公表されていません。
北島さんが、次女の智子さんと北山たけしさんの結婚の際に「長男には孫がいるので、たけしの孫も見たい」と話されていましたので、お子様はいらっしゃるようです。
2016年に行われた北島さんのデビュー55周年のパーティー「感謝の宴」の際、頚椎症性脊髄症のためうまく歩けない北島さんをマイク前まで連れて行った雅貴さんというお孫さんが龍さんのお子さんではないか、と言われています。
雅貴さんは、パーティーの際はビシっとした紺のスーツを着こなす、イケメンの若者でした。
北島三郎さんのお孫さん
雅貴って言うだぁ😳ビックリ— ( ˙-˙ ) (@balloon_color) October 7, 2016
北島三郎さんは名馬・キタサンブラックの馬主としても有名ですが、龍さんも馬主を務めておられます。
馬の名前はダイリュウブラックで、父親にキタサンブラックを持っています。
ご自身の名前「大野龍」から「ダイ」「リュウ」を取って、キタサンブラックから「ブラック」を取って名付けられていますね。
残念なことに、2023年にダイリュウブラックは亡くなってしまったそうですが、また馬主として挑戦されるのではないでしょうか。
北島三郎の次男はミュージシャン
北島三郎さんの次男は、ミュージシャンの誠さんでした。
1988年に1st Bloodというバンドでデビューしています。
バンドではボーカルを務め、MAKOTOという名義で活動していました。
カーオーディオ「クラリオン」のCMでも流れたり、プロモーションも頑張っていたようですが、1st Bloodは2枚のアルバムを残し、ヒットすることはなく解散してしまいました。
ですが、誠さんは幼少期からギターを習うなど音楽の才能があり、バンドを解散した後は作詞・作曲家として「大地土子」という名義で活動をされていました。
代表的な作品は、北島三郎さんが歌い、NHKで放送されていたアニメ「おじゃる丸」のオープニングテーマ曲になった「夢人」と「詠人」です。
1st Bloodとしてデビューした際には「親父を超えたいです」と言っておられましたが、バンドとして超えられなくとも、先で共に音楽を作ることができて北島さんも嬉しかったのではないでしょうか。
次男の死因は心不全だった
北島三郎さんの次男・誠さんが2018年3月3日、ご自身の自宅兼音楽スタジオで倒れているところを発見されました。
発見者は兄の龍さんでした。
作曲家として活動していた誠さんは、当時北島兄弟という北山たけしさんと大江裕さんのユニットのための楽曲を製作するために、自身のスタジオに籠っていたそうです。
ですが、何度連絡をしても繋がらないため、不安になった兄の龍さんが駆けつけて発見されたそうです。
誠さんは結婚をされておらず、一人暮らしをしていたために発見が遅れたとのことです。
駆けつけた救急隊によると、死因は心不全で、発見された時はすでに亡くなっていました。
同年3月7日に北島さんは記者会見を開き、「我が子に先立たれるのは辛い。」と涙ながらに語られました。
北島三郎の息子が亡くなったって、北島三郎がインタビュー受けてるけど、そっとしといてやれ……喋れてないじゃん、って思う
— れれれ (@siriremu) March 8, 2018
当時、誠さんには家族公認の彼女がいて半同棲状態でしたが、誠さんが倒れた際は帰省中で家にいなかったそうです。
遺作となったのは、その時に制作していた北島兄弟の「ブラザー」になりました。
2018年8月15日に「ブラザー」は発売され、大ヒットしました。
同年12月には「第69回NHK紅白歌合戦」でも「ブラザー」は歌われました。
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