演歌歌手の北島三郎(きたじまさぶろう)さんは7人兄弟だったそうです。
父親や母親はどのような人だったのか、気になります。
また、北島さんが生まれ育った北海道の実家や生家についても詳しく見ていきましょう。
北島三郎のプロフィール
愛称:サブちゃん
本名:大野穣(おおのみのる)
生年月日:1936年(昭和11年)10月4日
身長:161cm
出身地:北海道知内町
最終学歴:東京声専音楽学校中退
所属事務所:北島音楽事務所
北島三郎は7人兄弟の一番上だった
北島三郎さんのイメージは「明るい笑顔で伸びやかに歌う元気な演歌歌手」といったところでしょうか。
きっと、幸せな家庭に育ったのではないかと想像してしまいます。
とは言え、北島さんが生まれたのは1936年ですから小学校時代の半分が戦時中でした。
2023年現在では考えられないほど、不自由な生活をしていたに違いありません。
北島さんは男5人女2人の7人兄弟で、長男として誕生しました。
次男の大野捷(おおのしょう)さんはテレビに出たことがあるので、知っている人もいるでしょう。
土建業と運送会社を経営しているそうで、成功しているようです。
北島さんとよく似ており、身長も同じくらいだったと言われています。
歌唱力まで同じであれば、替え玉で歌っても分からないかもしれませんね。
5男の大野拓克さんは、北島さんの仕事を裏から支えていたそうです。
北島音楽事務所の常務取締役に就任して頑張っていたのですが、肝臓がんを患ってしまいました。
2014年に67歳という若さで、この世を去ってしまったのです。
まだまだこれから、したいことがたくさんあったことでしょう。
北島さんも、兄として弟を見送る立場になって無念だったに違いありません。
北島三郎の父親と母親
北島三郎さんの両親は、息子が歌手になることに当初反対だったそうです。
その理由としては、「成功するか分からない、不安定な仕事」だったからだといいます。
親は皆、我が子が幸せな人生を歩んで欲しいという願いを抱えて暮らしているでしょう。
芸能界に入るということは、浮き沈みの激しい人生を送ることになるのでさぞ心配していたに違いありません。
結局その思いは憂慮に終わり、北島さんは歌手として大成功を収めていますね。
父親はニシンの漁師から農業もしていた
北島三郎さんの父親・大野一郎(おおのいちろう)さんは、北海道でニシンを取る漁師だったそうです。
ニシンは当時漁獲量が多く、もうけも多かったために「ニシン御殿(大きな家)」が建つと言われていました。
祖父・父親とニシン漁をしていたので、かなり裕福な暮らしをしていたようです。
しかし、北島さんが小学校3年生の時に父親は漁師をスッパリと辞めたという話があります。
ニシン漁がこの先衰退するという風潮だったためで、その通り1955年以降の水揚げ量は大幅に減りました。
漁業を辞めた後は農業を始めたといい、北海道の中で海辺から内陸へ一家は転居したと言われています。
しかし別の説では、ニシン漁が衰退したため「半農半漁」生活に切り替えたとも言われているようです。
いずれにせよ、生活は貧しかったために北島さんは一時高校進学をあきらめたほどでした。
しかし、成績優秀だったために父親が「学費は心配せずに、高校へ行け」と言ってくれたそうです。
地元では珍しく、北島さんは片道3時間もかけて名門だった函館西高等学校へ通いました。
下に多く弟妹がいたので、高校卒業後は家を継いで家計を支えようと思った時期もあったとか。
しかし歌の世界に憧れるようになり、北島さんは父親の反対を押し切って上京したそうです。
デビュー後は芸能界で大活躍を続けたので、親孝行できたのではないでしょうか。
母親はキクエさん
北島三郎さんの母親は、大野(おおの)キクエさんといいます。
あまり詳しい情報は残されていませんが、一家を陰ながら支えた良き母親だったことがうかがえます。
高校が遠くて片道3時間もかかっていた北島さんは、毎朝4時に起床。
そんな息子のために、朝3時に起きてお弁当を2つ用意してくれていたそうです。
午前3時という時間帯は真夜中と言って良いでしょうが、大事な長男のために一生懸命準備していたのですね。
1983年に母親はこの世を去ったそうで、俳優の高倉健(たかくらけん)さんが命日に必ず線香を送ってくれていたそうです。
北島三郎の実家や生家は北海道知内町
北島三郎さんの生家は、生まれてから80年以上経っていることもあるのか残念ながらわかりませんでした。
実家は北海道上磯郡知内町本町にある3階建ての豪邸で、まるでビルのようながっしりとした造りです。
ドライブついでに北島三郎の実家も見てきました😆🎶#北島三郎#サブちゃん pic.twitter.com/igZZ43KCB5
— エテモンキー (@khaSq3T7KjoZUbD) May 3, 2023
外壁は茶色にピンクベージュ色で、のどかな地域では一際目立っています。
外装は北島さんではなく、すぐ下の弟・捷さんが選んだそうで2023年現在も捷さん一家が住んでいるのだとか。
リビングには長いテーブルがあり、椅子が約20脚も置いてあるのだそうです。
北島さんは兄弟が多いので、一族が集結したらそれでも足りないでしょう。
家からほど近い「道の駅しりうち」に掲げてある案内板にも、「北島三郎氏の実家」として実家が表示されています。
地元民からもとても愛されていることがうかがえますね。
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