演歌界のレジェンドであり、「キタサン」の冠号をもつ競走馬を所有してきた有名馬主でもある北島三郎(きたじま さぶろう)さん。
芸道60周年を迎えた2022年末に「ファイナルコンサート」と銘打った公演を行ってから、しきりに引退説がささやかれるようになりました。
まずは2023年現在の活動状況をみていきます。
北島さんといえば、2016年に頸椎症性脊髄症の手術を受けたことを公表していますが、それはどんな病気なのでしょうか。
かねてから「引き際は大事」と語ってきたこともあり、ご本人が引退についてどう思っているのかも気になります。
車椅子生活が続いていることからも体調は万全ではないようですが、具体的にどのような体調不良があるのでしょう。
北島三郎のプロフィール
愛称:サブちゃん
本名:大野穣(おおの みのる)
生年月日:1936年(昭和11年)10月4日
出身地:北海道上磯郡知内村(現・知内町)
最終学歴:東京声専音楽学校卒業
所属事務所:北島音楽事務所
北島三郎は現在もステージで歌い、新曲をリリース
デビュー60周年を無事に終え、2023年には87歳を迎える北島三郎さん。
ここ最近は舞台に立つことが少なくなりました、と自ら話しているように、観客の前で歌唱する機会は以前にくらべて減りました。
2022年12月の明治座ファイナルコンサート以来、約半年ぶりのステージとなったのが、閉館を迎える中野サンプラザで6月29日に開かれた「さよなら中野サンプラザ! 令和歌の祭典2023』。
スペシャルゲストとして北島さんの名がコールされると、観客席からはひときわ大きな拍手と歓声が。
車椅子で登場した北島さんは、「このホールにはお世話になったねえ」「足が不自由で、車椅子ですみません」「なぜ演歌は失恋すると北へ行くのかな」などとトークを繰り広げ、最後は出演者全員と『まつり』を熱唱。
これに先立つ同月5日のデビュー記念日には、ニューシングル『つむじ風』もリリースされました。
「お前が選んだお前の道だ どこまでやれるかやってみな」という歌詞は弟子たちへのエールでもあり、歌手生活61周年を迎えた自分へのエールとも受けとれます。
同日には明治座ファイナルコンサートの模様を収録した映像商品もDVDとBlu-rayの二形態で発売。
さらに、閉館している函館市の「北島三郎記念館」も「バーチャル北島三郎記念館」としてよみがえりました。
スマートフォンやPC等の通信環境があれば、無料で館内をめぐることができます。
実際に訪れなくても展示物を見て回ることができるバーチャルミュージアムですね。
北島さんは「よく再現できている」と太鼓判を押しつつ、「デビューしたころは想像すらできなかった時代になった」と感慨深げだったそう。
デビュー記念日に合わせて読売新聞でインタビュー連載もスタート。
連載タイトルの「歩(ふ)」は自身の同名曲にちなんだもので、月1回の掲載予定とのことです。
活動の幅は縮小したものの、年齢を考えれば意欲的な活動といえるでしょう。
北島三郎の病気は頸椎症性脊髄症
北島三郎さんには以前から頸椎に持病がありました。
自宅のパスルームで転倒し、頸椎の痛みを悪化させたのは2016年8月下旬のことです。
頸椎症性脊髄症と診断され、一時は歩行も困難になり、翌月の盛岡公演は延期に。
当初は「心配をかけたくない」という理由から入院治療の公表にとどまりましたが、9月12日に手術を受けていたことが11月に明らかになりました。
頸椎症性脊髄症とは、加齢や外的衝撃による頚椎の変化で脊髄が圧迫され、神経伝達に障害をきたす病気です。
その結果、手足のしびれや足のもつれなどの症状があらわれます。
たとえばお箸を使ったり、字を書いたり、ボタンをはめたりする日常の動作にダイレクトに影響がでてきます。
また歩く際に足元がおぼつかない感覚があるため、階段などで手すりをつかむようになるのも特徴です。
2019年11月には自宅でふたたび転倒。
洋服を取ろうとしたら足が滑り、そのままひっくり返ってしまったとのこと。
このときは両足の指を7本骨折する重傷を負いました。
かろうじて骨折を免れた指が3本だけですから、どのような倒れ方をしたのかを想像するとぞっとします。
骨折が完治したとはいえ、2023年現在は長時間立ち続けたり、補助なしで自力歩行するのは厳しい状態ではないでしょうか。
谷啓さんや細川俊之さんなど、自宅での転倒による悲しい事故は芸能界でも後を絶ちません。
高齢者にとっては住み慣れた自宅さえ大事故につながる危険をはらむということを、長寿国の日本人は肝に銘じる必要がありますね。
北島三郎は引退を否定、現役を宣言
すでに紅白歌合戦を勇退し、劇場公演にも一区切りをつけた北島三郎さん。
2023年には、さらに引退説・終活説に拍車をかける出来事が続きました。
そのひとつは、北島音楽事務所に所属する最後の4人の愛弟子が独立したこと。
退所は「船出」であり、今後もバックアップを続ける意向を示していますが、事務所の体制が変わったことに違いはありません。
事務所の法人名義で所有する競走馬についても、他の馬主や牧場への移籍手続きをすすめていると一部で報じられており、50年以上続いた北島音楽事務所は今後は規模を縮小していくとのこと。
もうひとつは、ホストをつとめる『サブちゃんと歌仲間』が3月もって27年間の歴史に幕を下ろしたこと。
これらのニュースを受けて、引退に向けた準備をすすめているという声があがったのはいうまでもありません。
ですが、ご本人は「歌手活動を引退するわけではない」と『文藝春秋』2023年7月号で明言しています。
ステージに立つことについても、体調と相談しながらまた挑戦したいと述べており、生涯現役を貫く意向を示しています。
北島三郎さんといえば大物演歌歌手というイメージが先行しますが、それ以外に原譲二名義での作詞・作曲活動、また舞台脚本の執筆など多彩な活動を行っていますので、テレビで見る機会は減っても活躍は続きそうです。
いまだ車椅子生活の北島三郎、目まいや貧血の体調不良も
現役を宣言したとはいえ、ここにきて愛弟子の退所やレギュラー番組終了が発表された背景には、やはり北島さんの体調不良もあると関係者は話しています。
頸椎症性脊髄症の手術後は歩行がおぼつかない状態になり、以来ずっと車椅子生活が続いていることも、これらの決断を後押しさせたのでしょう。
ここ何年かは身体のあちこちに不調を感じていたという北島三郎さん。
70の声を聞くころから「歳をとったな」と感じるようになり、とりわけ頸椎症性脊髄症を患ってからは段差につまずいたり、物を取ろうとしてよろめくことが増えたのだそう。
目まいや貧血に悩まされることもあったと打ち明けています。
60年にわたる歌手活動での勤続疲労もあったのでしょう。
ネット上には、「キタサンブラックが稼いでくれるから、もうゆっくり休みなよ」「もうすぐ米寿の高齢者に体調不良もなにも」といった労わりの声があふれました。
引退するには60周年がいい区切りだったと言う人もいれば、終わりなき芸道を歩み続けてほしいと言う人もいて、ファンの思いもさまざまなようですね。
昭和、平成、令和と三つの時代を歌い続けてきた北島三郎さん。
歌手活動や事務所の規模の縮小にさびしさは感じるものの、体調を労わりながら、少しでも長く歌声を届けてほしいですね。
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