北山たけしの父・母・兄弟まとめ。芸名の由来は北島三郎と山本譲二!

ムード歌謡や人生の応援歌など多彩な楽曲を歌いこなし、演歌界を盛り上げている北山たけし(きたやまたけし)さん。

イケメンでファンに熟女が多いところは氷川きよしさんに似ていますね。

今回は北山たけしさんの父、母、兄弟にスポットを当てます。

また、芸名の由来となった師匠の北島三郎さん、兄弟子の山本譲二さんについても取り上げます。

北山たけしの父と母について


父・渡辺英気さんは福岡県柳川市でカラオケ教室を経営しています。

北山たけしさんの本名は渡辺毅(わたなべたけし)さんです。

英気さんは若い頃に歌手を夢みたことがあり、北島三郎さんの大ファンでした。

家の中はサブちゃんのポスターだらけで、毎朝ポスターに向かって手を合わせるほどの崇拝ぶりだったそうです。

自身が叶わなかった夢を息子に託したのでしょうか。

北山たけしさんは4歳の時から父に歌を習い始めました。

しかし8歳までは発生練習のみで、歌詞を歌うことは許可されなかったとのこと。

父のレッスンは超のつくスパルタ指導で、時には竹刀で叩かれたこともあったとか。

親子の二人三脚のおかげで、やがて北山たけしさんは地元テレビ局主催の子供向けのど自慢大会で優勝するなど、頭角を現していきます。

プロとして歌手デビューを果たした今は、子供時代のスパルタ教育があったからこそ今の自分があると父親に感謝。

二人はファンイベントで共演することもあるようですね。

母・正子さんは1998年にがんのため50代で他界。

北山たけしさんがデビューした日は正子さんの命日でした。

ひと目でいいから歌っている姿を見てほしかったと語っています。

北山たけしの兄弟は?

姉がいるという情報があるのですが、本人についての詳細はわかりません。

おそらく一般人なのでしょう。

妻・智子さんが北島三郎さんの次女ですから、北島三郎さんの子供にあたる義理のきょうだいは4人いることになります。

そのうち北島家の長男・龍さんは北島音楽事務所社長。

次男は、かつてロックバンド・1st BLOODのボーカとして活躍した大野誠さんです。

解散後は大地土子(だいちとこ)名義で作詞や作曲活動をしていました。

系列会社である北島音楽出版の役員も務めていたようですね。

2018年3月3日に死亡しているところを発見されたというニュースは衝撃的でした。

三女は歌手で女優の水町レイコさんです。

兄弟というと、北島兄弟のことにも触れないわけにはいきませんね。

2018年、北山たけしさんのデビュー15周年、大江裕さんのデビュー10周年を記念して始動した北島兄弟。

ユニット名の命名は、もちろん北島三郎さんです。

デビュー曲『ブラザー』は大野誠さんの遺作であり、日本レコード大賞の企画賞を受賞。


同年の紅白歌合戦にも特別枠で出場しています。

ここ最近は北島兄弟としての活動も多く、全国ツアーも展開していますね。

余計なお世話ですが、大江裕さんはもう少しダイエットをがんばりましょう。

北山たけしの芸名の由来は北島三郎と山本譲二!

日本一紙吹雪が似合う男・北島三郎さんと、日本一ふんどし姿が似合う男・山本譲二さん。

その昔、『ザ・ベストテン』でふんどし姿をあらわにさらけ出して『みちのくひとり旅』を熱唱したショッキング映像が忘れられません。

今日は鹿児島から東京に戻って来ました

そのままスタジオ入り 番組収録でした

そして 山本譲二兄さんとお会いしました

いつも優しく声をかけて頂き嬉しいです。

一緒に写真を撮って頂きました

10代で弟子入りを志願するも門前払いされた北山たけしさんは、21歳の時に再度チャレンジ。

10日間通いつめてようやく北島ファミリーへの入門を許されました。

それからは8年間におよぶ付き人としての修行の日々。

仕事は運転手、料理、庭の手入れといったもので、歌の練習は一切なかったといいます。

北島三郎さんは下積み時代が長かったことから、スタッフやファンをとても大切にすることで知られていますね。

そんな師匠の背中から学ぶことは多かったようです。

山本譲二さんは2007年に北島音楽事務所を独立してジョージ・プロモーションを立ち上げましたが、これは北島ファミリーからの離脱を意味するものではなく、のれん分け。

今も北山たけしさんの兄弟子にあたります。


「北山たけし」という芸名は北島三郎さんと山本譲二さんの名字から一字ずついただいたものだそうです。

以前は「北島三郎の弟子」という触れ込みがプレッシャーだったという北山たけしさん。

演歌を聴かない若い世代にも受け入れられるような新時代の演歌の担い手になってほしいです。

北山たけしが嫁と離婚の危機?子供はいない?性格&家について

コメント