音楽活動のみならず、映像監督や飲食店経営まで、多角的な活動を続けるシンガーソングライターの曽我部恵一(そかべけいいち)さん。
その活動の拠点となっているのが、東京都世田谷区にある下北沢です。
サニーデイ・サービスが解散した2000年、ご結婚を機に下北沢での生活が始まったといいます。
そこで今回は、曽我部さんが下北沢に転居されるきっかけとなった結婚やご家族、そして離婚後のシングルファーザー生活についてお伝えしていきます。
曽我部恵一のプロフィール
本名:曽我部恵一
生年月日:1971年(昭和46年)8月26日
出身地:香川県坂出市
最終学歴:香川県大手前中学校・高等学校卒業、立教大学法学部中退
所属事務所:ROSE RECORDS
曽我部恵一、元妻は一般人で離婚理由は不明
曽我部さんは、2000年にご結婚されています。
元妻の方は、一般人だったようで、お名前など詳しい情報はありませんでした。
辛うじて、X(旧Twitter)上に、福岡の方であるような投稿がありました。
曽我部恵一福岡のあの方と離婚されてシングルファーザーだったんだ。シャキーン!の曲がお子さんへの愛が溢れる曲で毎朝グッときていたんだけど納得した。
— ちゃんスィモ (@chanSuimo) January 15, 2023
「あの方」と表現されているので、投稿者の方は元妻をご存じだったのでしょうか。
地元では知名度のある方だったのかもしれませんね。
さらに、X上の情報になりますが、福岡にあったロシア料理店「ツンドラ」でご結婚前の奥さまとデートをしていたそうです。
福岡市大名にあるロシア料理店「ツンドラ」が5月7日に閉店だって。
(うろ覚え)アーティストの曽我部恵一さんがデートでツンドラに食べに行って、その後、その彼女と結婚したと聞いてて。1960年創業って、すごく歴史ある店だけに残念…。— いのうえしんぢ (@inoueshindi) April 16, 2021
曽我部さんの口から福岡でのデートが語られたということで、元妻が福岡出身という情報はかなり信ぴょう性が高そうです。
残念ながら、お二人の思い出の地の一つである「ツンドラ」は閉店されています。
離婚理由については、曽我部さんから語られることがなく、わかっていません。
過去のインタビューから、離婚時期だけは2013~2014年ごろだと推測されます。
2017年に発表された記事で「シングルファザーになって3、4年」といわれていました。
離婚当時、末っ子のご長男は、まだ未就学児だったようです。
幼児がいるときの離婚では特に、母親が子供を引き取ることが多いと思われます。
しかし、父親である曽我部さんが3人のお子さんを引き取られたのには、なにか理由があったのでしょうか。
奥さん側に引き取れない身体的や経済的な事情があったのではないかと想像されます。
曽我部恵一は再婚していない
2013~2014年ごろに離婚されたと思われる曽我部さんですが、その後に再婚の情報はありません。
音楽活動のほか、バー兼レコード店、カレー店の経営など、お仕事だけでも多忙と思われますよね。
さらに、子育てや家事も行われているため、恋愛にさける時間はなさそうです。
音楽の制作などは、自宅でされているようなので、出会いもほとんどなかったのかもしれません。
夫から「最近俺より先に妻の方が曽我部恵一さんのインスタにいいねしてる」と言われるんですが、ここ数年の曽我部恵一さんは加齢とともににじみ出てくるタイプの色気が最高セクシーで現在のわたしの好みのタイプ筆頭に躍り出てきているため仕方がないのです
— はせおやさい (@hase0831) July 7, 2020
曽我部さんを、セクシーだと評する方は多く、女性人気も高いです。
インタビューなど答えられているときの朗らかな笑顔とライブ中のカッコよさとのギャップもまたいいですよね。
子育てが落ち着いてきそうな今後、新たな恋が始まる可能性は十分にあります。
2019年には、ソロアーティスト・後藤まりこさんとのデュエットで『結婚しようよ』のカバー曲をリリースされました。
リリース時のインタビューで曽我部さんは下のように話されています。
一度離婚したからといって、結婚自体に嫌なイメージを持たれている様子はありません。
「人生のピーク」は一度でなくてもいいですよね。
曽我部恵一の3人の子供たち
曽我部さんには上から、長女・次女・長男の3人のお子さんがいます。
子育ては基本的には放任という曽我部さんのもと、それぞれ個性的に成長されているお子さんたちについて紹介します。
長女は韓国に留学
長女は、はるこさんといいます。
K-POPにハマっているというはるこさんは、大学を休学して韓国に留学されているそうです。
はるこさんが生まれたときに作ったという『おとなになんかならないで』はライブでも定番の名曲ですよね。
自分の子供が生まれたときや、成長を感じたときにこの曲を思い出すファンも多いようです。
次女はインドア派
次女は、うみさんといいます。
うみさんは家で絵を描いているのが好きだそうです。
あまりに外に出かけないうみさんのスタイルをおもしろいと曽我部さんが感じたことから生まれた歌が『うみちゃん、でかけようよ』でした。
高校は通信制の学校に入られたといううみさん、インドアに徹底していますね。
長男は父にそっくり
長男は、淳さんといいます。
曽我部さんの音楽の影響を姉弟の中で一番受けられているようです。
11歳の誕生日と思われる写真です。
奥にいるのは次女のうみさんでしょうか。
バンド活動もされているといわれているので、親子セッションが見られるのではないかと楽しみですよね。
曽我部恵一、シングルファーザーとしての思い
離婚後、シングルファーザーとして子育てをされている曽我部さん。
子育ての基本方針は「放任」らしいです。
いい学校いい会社へと、学力を優先しがちな世の中の流れよりも、日々を楽しく生きてほしいという思いがあるようです。
ただ、放任といっても子供のことを考えていないわけではありません。
ライブで地方に行くことも多い曽我部さんは子供たちに寂しい思いをさせているかもしれないと悩むこともあったそうです。
そのような悩みを解消する曽我部さんの考え方は、「決して完璧にやろうとはしないこと」だそうです。
お弁当に前日の夕食や冷凍食品を使う、デリバリーを頼むなど、ほどよい手抜きで苦悩を軽減することが大切だといいます。
2023年、曽我部さんは、私生活をありのままに記したエッセイ本を出版されています。
出版後のインタビューでは、曽我部さんなりの子育てに向かうスタンスを話されていました。
子育てにおいて、見返りを求めないこと、自分を犠牲にしないことも大切にしてきた考えのようです。
今後も、曽我部さんから語られるお子さんたちの成長が楽しみですね。
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