大津美子、現在(2024)活動なし。病気を克服!若い頃から歌が上手い&身長150前半?

「ここに幸あり」などの名曲を抜群の歌唱力で歌い上げる大津美子(おおつよしこ)さんは、2024年現在は表舞台から遠ざかっているようです。

40代前半で重い病気にかかりましたが、見事に克服。

若い頃から歌が非常に上手く、下積み時代を経験せずデビュー直後からヒット曲に恵まれました。

身長は推定150cm前半というところでしょうか。

大津美子のプロフィール

本名:中條美子

生年月日:1938年(昭和13年)1月12日

出身地:愛知県豊橋市

最終学歴:私立桜ヶ丘高校卒業

所属事務所:オフィス大津

大津美子、現在(2024)の芸能活動は控えめ

2024年には86歳になる歌手の大津美子さんですが、ここ2~3年ほどメディアで見かけることが少なくなったように感じられます。

オフィシャルサイトでは、最新情報を載せているのでチェックしてみました。

しかし、2021年11月にBS日テレ「歌謡プレミアム」で「ここに幸あり」をはじめとした5曲を歌ったところで更新されていないのです。


年齢的にあまり無理をしないようにしているのかもしれません。

引退した可能性も捨てきれませんでしたが、オフィサルサイトのコピーライト記載が「2024年」となっていました。

このことから、大津さんはまだ芸能界を引退していないようです。

同い年の芸能人だと山城新伍(やましろしんご)さんや小林旭(こばやしあきら)さん、梅宮辰夫(うめみやたつお)さんに島倉千代子(しまくらちよこ)さんなど一流の方ばかり。

しかしすでに亡くなっていたり引退していたりと、現役で活躍している人は少なくなっています。

さらに見ていったところ、2023年10月に東京で行われた「日本歌手協会歌謡祭」で大津さんが「東京アンナ」を歌ったという情報が。

持ち前の歌唱力は衰えることなく、見事に歌い上げていました。

大津美子、重い病気を克服した過去

大津美子さんは割と若い頃に、大病を患った経験があるそうです。

そのようなことを感じさせないほど、長い期間ステージに立ち続けていた記憶がありました。

産経新聞のサイトによると、1980年に42歳だった大津美子さんは急に倒れたそうです。

病名は「くも膜下出血」ということでした。

命を失うことが多く、誰もが知っている恐ろしい病気。

幸い大津さんの夫が、すぐ病院に運んでくれたそうです。


たった1人でいるときに発症しなかったのは、不幸中の幸いでしょう。

大津さんは即手術となり、命は助かりました。

しかし、直後に「右半身の麻痺・言語障害・記憶障害」という重い症状が出ました。

夫や息子のことも分からなくなり、まだ9歳だった息子はとても辛い思いをしたのだそう。

大好きなお母さんが突然倒れて、自分のことを認識してくれなかったのです。

相当なショックを受けたことでしょう。

しかし1ヶ月を超える入院生活の中で、徐々に元の状態に戻っていった大津さん。

何と、ラッキーなことに後遺症も残らなかったそうです。

しかし大病を患った後は気弱になってしまいました。

「もう歌手に戻ることはできないだろう」と思っていたそう。

しかし、自宅にいた時に無性に歌いたくなり声を出してみました。

すると、良い声が出てとても嬉しかったといいます。

それから復活の準備をしっかりして、見事にカムバック。

発病から2年後の1982年に、新曲「ふたりの讃歌」を発売しました。

大津さんは病気になって、生活習慣を改めたそうです。

病気になるまでは、どうしても仕事柄「夜型人間」になってしまっていました。

しかし健康を第一に考え、夕食は早めに摂るように心がけているそうです。

その心がけがあって、長生きをしているのでしょう。

大津美子は若い頃から歌が上手かった

大津美子さんの若い頃について、気になったので見ていきます。

生まれた時から戦争が続いていたため、大変辛い時代を生きて来ました。

大津さんは疎開していたそうで、その場所がお寺だったそうです。

運良く、その寺で歌を習うことができました。

終戦の1945年当時大津さんは8歳でしたので、小学校低学年頃まで教えてもらっていたと推定できます。

幼い頃にきちんと歌唱力を身につけたことで、その先も自然と歌の道が開けていきました。


終戦後、赤十字のボランティアとして病院や老人ホームに歌を歌いに行くように。

歌が上手く、東海の「のど自慢荒らし」と言われて知られていたほどでした。

15歳の時に作曲家・渡久地政信(とくちまさのぶ)さんに弟子入りを申し込んだ大津さん。

何度か断られたそうですが、やっとのことでお許しが。

別に「大津さんに才能がない」と思われて断られからではありませんでした。

「まだ学生だったため、もう少し経ってから」断られていただけだったようです。

歌に情熱をかけていた大津さんは「歌を聴いて(認めて)弟子入りさせてほしい」頼み込んだのだそう。

歌声を聴くと、すぐに弟子入りが認められたといいます。

ただ歌が上手なだけでなく、一生懸命自分を売り込む努力が実を結んだのでしょう。

自宅は愛知県豊橋市だったため、週末に夜行電車で上京してレッスンを受講。

1955年キングレコードに入社し、「千鳥のブルース」がデビュー曲になりました。

そして、次の曲「東京アンナ」がヒットしたのです。

長い間売れずに苦労する歌手が多いなか、大津さんは新人の頃から有名歌手になることができました。

さらに、1956年に公開された映画「ここに幸あり」の同名主題曲を歌ったところ爆発的にヒットしたのです。

大津美子の身長は150cm台前半?

大津美子さんの身長がプロフィール欄に記載されてないことから、「どれくらいの身長だったのだろう」と気になるところ。

レコードやCDのジャケットには顔だけが写っていることが多いですが、ふわりとしたセミロングのパーマヘアで上品なお顔立ちです。

華やかなので、160cmくらいはあるのでしょうか。


テレビなどの出演番組で共演者と撮られた画像がありましたので、比較してみましょう。

一緒に並んでいた160cmの藤あや子(ふじあやこ)さんの鼻あたりぐらいでしたので、150cmから153cm辺りのように見えました。

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