「日本歌謡界の巨人」と呼ばれ、生涯変わらぬ美声で現役を貫いた春日八郎(かすがはちろう)さん。
演歌というジャンルはこの人から始まったと言っても過言ではないでしょう。
1991年に67歳で亡くなっていますが、死因は何だったのでしょうか。
また、ステージ映えする高い身長やタキシード姿、息子、娘、家族についてもまとめました。
春日八郎の死因は?
1924年10月9日、福島県河沼郡で誕生した春日八郎さん。
なんと大正生まれです。
10代の頃、浅草で観た藤山一郎さんのステージに心を奪われ、自分も音楽で身を立てることを決意。
極貧時代や戦時中の徴兵などの紆余曲折を経て、30歳を目前に『赤いランプの終列車』でようやく日の目をみます。
続く『お富さん』『別れの一本杉』の大ヒットで国民的歌手としての地位を確立。
余談ですが、『別れの一本杉』の作曲者である船村徹さんは当時まだ無名でした。
望郷演歌の先駆けとなったこの曲は、「船村徹」の名を一躍知らしめた曲でもあり、以降、作曲家として数々の名曲を送り出すことになります。
長きにわたり歌謡界の大御所として活躍してきた春日八郎さん。
1988年には三橋美智也さん、村田英雄さんと「三人の会」を結成し、コンサート共演を企画するなど演歌界の活性化に力をつくしました。
しかし、この頃にはすでに体調を崩しがちになっていたようです。
NHK紅白歌合戦への最後の出場は1989年。
1991年6月には左大腿部腫瘍の手術のため入院。
「三人の会」の公演に参加できず、盟友の二人へ病室からメッセージを送ったこともあったそうです。
退院後の9月6日、中野サンプラザで開催されたキングレコード60周年コンサートが最後のステージになりました。
その後、体調が悪化し再入院。
1991年10月22日、肝硬変と心肺機能不全により東京医科大学病院で息を引き取っています。
タキシード姿が似合う高い身長!名曲『お富さん』秘話
和服姿でステージに立つこともありましたが、春日八郎さんのトレードマークといえば、やはり黒のタキシードまたは白のスーツでしょう。
洋装をスマートに着こなす身長の高さと、あまり動かず直立して歌唱するスタイルが特徴的ですね。
また、外見は洗練されたダンディー風でありながら、どこか実直で、田舎の土の香りを感じさせる雰囲気もありました。
こうした相反するテイストが無理なく共存していたのも春日八郎さんの魅力だと思います。
タキシード姿で歌う純和風の『お富さん』。
歌詞に古めかしい言い回しがたくさん出てきますが、当時で125万枚を売り上げる爆発的ヒットとなり、歌詞の意味を知らない子供たちも盛んに口ずさむほどの社会現象になりました。
子供の頃ラジオで聞いた春日八郎の「お富さん」。歌詞が難しくてさ。「粋な黒塀 見越しの松に」→「粋な黒兵衛 神輿の祭り」と変換して覚えてしまった。 https://t.co/Uk09f7Wu4Q#子供の頃の勘違いをあえて言おう
— gurucchi (@gurucchi) 2019年8月14日
洒落た黒い塀、その塀の上から頭をのぞかせる敷地内の松の木。
風流ですが、いかにもお金持ちの妾宅といった、ワケあり風のお屋敷です。
今でいうと、愛人を住まわせる高級マンションのようなものでしょうか。
もともとこの曲は、キングレコードから懐古調の歌詞を依頼された作詞家の山崎正さんが、歌舞伎の演目『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』を題材にして書いたもの。
お富と切られ与三郎の再会場面を歌っています。
「仇(あだ)な姿の洗い髪」「他人の花」といった艶っぽいフレーズを子供たちが口ずさむことは教育上の社会問題にまで発展したそうです。
春日八郎の息子・娘・家族まとめ
キングレコードの準専属歌手時代は無給だったため、先輩歌手の前座や新宿の聚楽でステージに立つ以外に収入はなく、衣食にも事欠く生活が続きました。
26歳の時、聚楽で出会った桧坂恵子さんと事実上の結婚生活がスタート。
のちの春日夫人です。
子供についての情報はほとんどなく、人数はおろか、息子がいるのかどうかも不明でしたが、渡部修代さんという長女がいることはわかりました。
春日八郎さんの本名は渡部実さんといいます。
修代さんは父を特集するテレビ番組に出演したこともあります。
確かに。春日八郎の娘は父親そっくりだった。八郎の娘まで誰も知らんわーっ。 RT @chikao_1000: @tamutamuz そういえば、さんまとしのぶの娘もちょうど足して2で割った感じですね。
— 田村信 (@tamutamuz) 2011年3月18日
春日八郎さんといえば、清水アキラさんのセロハンテープ芸レパートリーの一人でもありますね。
清水アキラさんによると、春日八郎さんの妻と娘がものまねを見て驚き、それを本人に伝えてくれたのだとか。
家族が喜ぶからという理由で共演を承諾してくれたそうです。
父は渡部鬼佐久さん、母は豊岡キヨさん。
きょうだいは妹二人のほかに異母兄姉や異父兄姉が10人ほどいたようです。
父・鬼佐久さんは農業を妻にまかせて蕎麦打ち行商。
父は尺八を、母は三味線をたしなんだといいます。
演歌歌手の先駆けと位置づけられている春日八郎さん。
このあとに三橋美智也さん、村田英雄さん、三波春夫さん、さらには美空ひばりさん、北島三郎さんらが登場し、演歌は全盛期を迎えます。
演歌という音楽ジャンルが定着する以前から、長きにわたり歌謡界を牽引した功績ははかり知れませんね。
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コメント
春日八郎さんは私の同級生の映画監督の
長久プロダクションに淡谷のり子と
マルマルさんが渋谷事務所にいた。
道玄坂の下の飲み屋でのみながら
春日八郎さんは代議士になる。と。
理由はリーゼントで化粧品メーカー
をバックに名乗りたい!と!
ダメ!!!歌手で頑張りなさい!!!
声がダメになるからビールは×
ウイスキーの水割です。と。
銀座に移動!!!
新聞記者達が取り巻き始めたので
出場しません!
握手して別れました!
良い思い出になりました!
今日は、先生命日ですね30年前の、今頃の、時刻、タクシーで、世田谷の、家ま行き、安らかな、お姿が、お布団に有り、今もくっきり。先生の歌今も歌っていますよ。