バーブ佐竹の死因は多臓器不全。息子の現在(2023)と家族。師匠と経歴まとめ

流しのギター弾き出身で、『ネオン川』や『カクテル小唄』などにより人気歌手となったバーブ佐竹(バーブ さたけ)さん。

「バーブ節」と呼ばれた低音ボイスや、「顔じゃないよ、心だよ」というキャッチフレーズで親しまれました。

2003年に68歳で亡くなりましたが、今回はバーブさんの死因が多臓器不全という情報を確認します。

また息子の現在(2023)と家族情報を見ていきつつ、歌手としての師匠と経歴をまとめましょう。

バーブ佐竹のプロフィール

本名:佐武豊

生年月日:1935年2月7日

死没:2003年12月5日

身長:不明

出身地:北海道釧路市

最終学歴:釧路南中学校

バーブ佐竹の死因は多臓器不全

まずバーブさんの死因を確認します。

2003年12月5日、彼は68歳の若さで亡くなりました。


死因は多臓器不全と公表されています。

多臓器不全は肺や腎臓などの複数臓器が、機能低下によって働かなくなる症状です。

敗血症や外傷など、何らかの衝撃が原因となり起きる症状だといいます。

バーブさんは1998年頃から糖尿病を患っていたうえ、2003年1月には肝細胞がんが発見されていました。

別の病気の症状が悪化したタイミングで、多臓器不全を併発してしまったのかもしれません。

バーブさんは入退院をくり返し、治療を続けながらも、最後までステージに立ち続けていたそうです。

いずれ病気を完治させ、元気に活動再開するつもりで、治療を頑張っていたのかもしれません。

渋みのある声が魅力だったバーブさんですが、70代以降はより味わい深い歌声を聞かせてくれたはず。

60代での逝去は、歌謡界にとって大きな損失だったといえるでしょう。

息子の現在(2023)と家族

バーブさんの息子については、ネット上でさまざまな憶測が飛び交っているようです。

ネットの情報によると、息子は佐武峰登さんという名前で、2004年に覚せい剤所持により逮捕されました。

女子トイレに侵入を試みた際に取り押さえられ、覚せい剤所持が発覚したそうです。

当時のニュースについては、ほとんどの情報が削除されているため、彼の足取りを辿ることはできません。

現在はどう過ごしているのかさまざまに憶測されているようですが、おそらく釈放され、更生しているのでしょう。

当時のネットニュースが削除されていることからも、今は薬物を手放し、社会復帰している可能性が高いですね。

またバーブさんの妻は政子さんという女性です。

一般人のため詳細は不明ですが、2003年に夫が亡くなった際は、葬儀で喪主を務めました。

翌年に息子が逮捕されたため、非常に苦労された可能性が高いですね。

今は佐竹家が平穏を取り戻していることを祈るばかりです。

バーブ佐竹の師匠と経歴まとめ

バーブさんの師匠と経歴をまとめましょう。

彼は北海道釧路市出身で、中学を卒業後しばらくは、帯広や札幌でハワイアン歌手として活動していました。

しかし父に勘当されてしまい、19歳でギターを抱えて上京。

洋服を質入れしたお金で、コッペパンを買い、何とか飢えをしのぐ極貧生活を送ります。

その後は藤原満穂さん主宰の「アロハセレナーダス」で、ウクレレ演奏と歌を披露。

この時期に本名の佐武豊から、藤原さんに命名された「バーブ佐竹」という芸名に変更しました。


バーブは「竹」の英語「バンブー」をもじった名前だそうです。

佐竹の「竹」が由来であると同時に、「使うほど輝く竹のような歌手になれ」という意味だったといいます。

バーブさんは独立後、「バーブ佐竹とアロハキング」を結成するも失敗。

そんな中で出会ったのが、師匠の吉田矢健治さんです。

優しい「吉田矢メロディー」で知られた作曲家で、菅原都々子さんの『広東エレジー』が代表作です。

1964年12月、バーブさんは吉田矢さんによる『女心の唄』でついにレコードデビュー。

同曲は250万枚超の大ヒットとなり、翌年にバーブさんが日本レコード大賞新人賞に輝きました。

売れない歌手だった彼の人生を大きく変えたのは、吉田矢さんの切ない旋律だったのです。

バーブさんは病気がちだった晩年も、最後までステージに立ち続けました。


おそらく師匠が築き上げてくれた自身の歌手人生を全うしたかったのでしょう。

師匠に対する感謝の念を抱きながら、最後まで歌い続けた見事な生涯だったといえますね。

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