塾講師だけでなくタレントとしても人気を集めている林 修(はやし おさむ)さん。
雰囲気や人柄を見る限りでは庶民派という印象を受けますが、なんと祖父は有名な画家で父親は大企業の副社長だったというエリート揃いの家系であることが分かりました。
今回の記事では林さんの実家や家族、家系図などを中心に見ていくことにします。
林修のプロフィール
本名:林 修(はやし おさむ)
出身地:愛知県名古屋市
生年月日:1965年9月2日
最終学歴:東京大学法学部(卒業)
林修の実家は名古屋市にある
まずは林修さんの実家の場所やエピソードについて見ていきましょう。
実家は公式プロフィールに掲載されているとおり愛知県名古屋市。
詳細な場所については有名になった後の取材などで千種区と判明をしています。
千種区は地図のとおり名古屋市の中心部。
名古屋大学や河合塾の本部があるなど教育関係が充実している区としても有名です。
さて、そこで気になるのは実家の詳細については、さすがに明らかになっていませんでした。
次の家系図の項目で取り上げますが、祖父は有名な日本画家で父親も大企業の副社長という点を踏まえると、自宅も相当な豪邸だった可能性は高いでしょう。
また、林さんは小さい頃に黒塗りの車で送り迎えをされていたそうです。
やっぱり普通の家庭とは一味違う裕福な家と考えるのが妥当ですね。
林修の家系図がすごい
この項目では林修さんの家系図について見ていきましょう。
家系図を言葉で紹介してもわかりづらいので、当サイトが作成した図をご覧ください。
父親は日本酒「松竹梅」や調味料のみりんで有名な宝酒造株式会社の副社長、祖父は林雲鳳という名で活躍をした日本画家です。
母親に関する情報は特にありませんでしたが祖父は経営者をしていたそうなので、もしかすると父親も社長で自身も社長令嬢だったのかもしれません。
修さんの妻・裕子さんも産婦人科の医師で東邦大学の助教授という経歴の持ち主ですから、まさに家族そろってエリートという素晴らしくも羨ましい家系であることが分かります。
ちなみに、裕子さんは12歳下の才女というだけでなく美人という点でも話題になってました。
林修先生の奥さん可愛い pic.twitter.com/9qVTmGCbNA
— 物部 布都 (@Mononobenohuto) June 9, 2013
昔の写真はまるでアイドルのようなルックスは、まさに才色兼備といったところでしょうか。
二人の馴れ初めや家庭については多くを明らかにしていなかったものの、最近になって2016年頃に息子を授かっていたことを公表しています。
息子さんの結婚や孫の話はまだまだ先のことではありますが、子供の誕生によって家系が今後も紡がれていくことになったのは良かったと言えるでしょうね。
兄はいないが妹が1人いる
こちらの項目では林修さんの兄弟について見ていくことにします。
さっそく兄弟について調べると、修さんには4歳年下の妹が1人いることが分かりました。
妹さんは三重県で建設会社を営んでいるそうですが、一部週刊誌で兄・修さんの妹であることを信用材料にして契約を取ったりしていたことが報じられています。
しかも、福島原発の除染作業の契約で取引先への代金未払いがあるのだとか。
他にも様々なトラブルが起こっているとの記述があったそうです。
兄弟は10年以上も会っていないので修さんからすると迷惑な話ではありますが、こればかりは家族の問題なので第三者がとやかく言う問題では無いでしょう。
とは言え、自力で起業したのであれば妹さんもかなりの人物であることは間違いないですね。
林修の両親や日本画家の祖父
最後の項目では林修さんの両親や祖父をチェックしておきましょう。
父親の光一(こういち)さんは1936年8月30日に生まれ、慶應義塾大学文学部を卒業しました。
宝酒造株式に入社して以降は出世コースを歩み、同社の副社長や宝ホールディングスの取締役などを務めた実業家として知られています。
私生活では「勉強以外の事をしなさい」という独特の子育て観を持ち、修さんの前で競馬を楽しむなどエリートらしからぬ面白みのある人物でした。
一方、母親の敦子さんについては良家の令嬢という点に加え、娘を出産したときに競走馬の名前を連呼しながら病室に入ってきた光一さんを叱ったというエピソードがあるそうです。
光一さんが少し無邪気で子供っぽい頃があるので、もしかすると林家は敦子さんの立場が強い家庭だったのかもしれませんね。
さて、最後に今回の記事を締めくくる祖父について見ていきましょう。
祖父の雄一さんは1899年6月26日に岐阜県で誕生し、多治見尋常高等小学校を卒業後は名古屋で森村宜稲さんに、上京後は松岡映丘さんに師事をして日本画を学びました。
独り立ち後は”林雲鳳(はやしうんぽう)”という雅号で数々の作品を遺しており、1930年の第11回帝展に初入選を成し遂げています。
また、出身地の岐阜県を治めていた土岐一族を描いた「美濃源氏土岐一族画像」は大作として有名で、2024年現在も瑞浪市民図書館に収蔵されているそうです。
【美濃源氏土岐一族と明智光秀】#麒麟がくる
「いつ見るの?今でしょ!!」
笠原町(旧土岐郡・現多治見市)出身の画家 林雲鳳(うんぽう)が描いた大作「美濃源氏土岐一族画像」(瑞浪市民図書館蔵)を展示中。
林雲鳳は、塾講師 #林修 さんの祖父にあたります。
大河で話題の今見に来てください。 pic.twitter.com/yWudlkGtjF— 岐阜県博物館【公式】 (@gifukenpaku) February 16, 2020
そこで気になるのは修さんの画力ですが、雄一さんに言われて林檎の絵を描いて見せた際、とても悲しい顔をされたことをエピソードとして明かしていました。
残念ながら修さんに画の才能はありませんでしたが、それを補って余りある学力と子供たちを指導する力、そしてタレントとしての能力があったことは結果が証明しています。
修さんに限らずどんなスターであっても才能を生かせる職でなければ成功は難しいので、自分に合った道を早く見つけることができるかが人生では大事なのでしょうね。
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